レムルスの提案
数日後――。
帝都の王宮内の大聖堂にて、盛大な結婚式が開かれた。厄災復活の影響により、周辺の王国や公国、自由都市にも大小様々な被害が発生していたが、招待された地域の使節はほとんどが出席していた。
人間だけでなく、人数は少ないものの、エルフやドワーフの姿もある。
街道はところどころ歪み、毀れており、ビヨンドではないにせよ、魔物の動きが各地で活性化したままだった。
しかし遠方からの参列者は早々に都入りしていたため、影響は少ない。むしろ近隣からやってくる招待者の方が、移動に苦労をしただろう。
結婚式後の晩餐の席で、使節たちはやや浮き足立っていた。皇帝から重要な提案があると通達されていたのだ。
こたびの結婚により、北の大国フロスティアとの強固な同盟を果たし、後顧の憂いをなくした帝国。果たしてどのような無理難題をふっかけられるのだろうかと身構え、最高級の美酒にも手を伸ばせずにいる。
くわえて使節たちには先ほどから、気に掛かることがあった。
それは上座近くに設置された、無人のテーブルだ。
配置図によれば、そこにはミスドラの使節がいるはずだったが、姿を見せていない。
彼らは結婚式にも参列しなかった。
これはあからさまな決裂の意志表明ではなかろうか。
「帝国は、いよいよミスドラとの戦争に踏み切るつもりではないか」
「結婚式を機に、各国との間に軍事同盟を結ぶつもりだろう。少なくとも、中立条約を取り付けてくるはず。断れぬにしても、代償に何を請求するのが良いか」
「ミスドラの命運もついに尽きるのだろうか」
「かの国には魔術の学府がある。それに獣人兵も強靱だ。寡兵とはいえ簡単には……」
「その前に、砂漠に守られた地だ。帝国とて、簡単には派兵できないはず……」
各国・各地域の使節は様々な事態を想定し、対応について熟慮した。
一方、犬猿の仲であるはずのドワーフたちと同じテーブルについても、イールグンドはリラックスした様子だ。
エルフにしては変わり者の彼は、他者をその種族で判断しない。そもそも彼自身、自分が何者なのか思い悩んでいるくらいだ。
なにより、同席するドワーフたちとは白森の暴走事件で協力した仲でもあったからだが、これはまた別の話となろう。
人間の使節とは対照的にドワーフたちは上機嫌で、次々と美酒の杯を空けている。この程度の度数の酒で、ドワーフを酔わせることは不可能だ。
イールグンドは若き皇帝がこの場で何を提案するつもりなのか、興味を引かれていた。
世界は繋がっている。
ヒトの国で起こる事柄から、エルフたちも目をそらしてはいられない。イールグンドは鋭敏な聴覚で各国使節の話を盗み聞きながら、静かに時を待った。
歓談の仮面の下に、緊張感の漂う宴が終わりに近づく。上座に着いていた皇帝が口元を拭い、すっくと立ち上がった。
会場のざわめきが、潮が引くように静かになっていく。
老獪な使節団が、未だ顔に幼さの残る皇帝の一挙手一投足を、固唾をのんで見守った。
「この度は余と后のために、はるばる遠方より参列してくれたこと、真に大儀である。衷心より礼を述べよう。くだくだしい話を余は好まぬし、諸君らも好まぬところと推察するゆえ、早速本題に入らせて貰う」
凛とした少年皇帝の言葉に、居並ぶ者たちは居住まいを正し、表情を引き締めた。
皇帝の隣で、大柄な后だけがニコニコと太陽のような笑みを浮かべ、場の雰囲気に僅かな柔らかさを添えている。
「皆にも既知のこととなったが、我々はここ数日、滅亡の危機に瀕していた。実に千年ぶり、二度目のことだ。唐突に、訳もわからぬうちに、我らは大異変の中に放り込まれた。――そう感じた者も、多かったのではないか?」
レムルスが言葉を切ると、何人かが頷いた。皇帝は小さく顎を引き、再び口を開く。
「けだし小さな異変は以前からあったのだ。しかしながらそれらは軽視され、目を背けられた。おそらく神の助けなくば、今この瞬間、ここに生きている者は誰もおらなかったであろう。――なにゆえか?」
皇帝は場内を見回した。
「なにゆえ、滅亡の崖縁に立つまで、我らは平原を歩いていると思い続けたのだと思う?」
皇帝に問われた人々は、ちらちらと視線を交わし合った。返事をすべきか、このまま黙って先を待つべきなのか、判断に迷ったのだ。
一人の勇気ある若者が手を挙げた。レムルスは彼を指差す。
「畏れながら愚考を申し上げまする。千年前の滅びの魔神の顛末について、今日では文献の記述も大きくわかれております。事実、かの時代の勇者によって、魔神は倒されたと信じるものも多くありました。ここ帝国でも、そうではありませんか? 日々の小さな異変を目にしたとして、どうして滅亡とつなげられましょうか」
レムルスは頷いた。
「なるほど。……他には?」
最前列の壮年の男が手を挙げた。レムルスは目を合わせて頷く。
「我々の前には、目に見えぬ滅亡よりも先に対処せねばならぬ喫緊の問題が山積みだからではないでしょうか」
「滅亡は喫緊の問題ではないと?」
レムルスに問われると、男は首を振った。
「それは後知恵というものです。真実が霧の向こうに隠されている間は、我々は手元を見て進むしかありません」
「ふむ。確かにそなたの言うとおり、誰しも問題の存在すら知らぬ事には対処出来ぬであろう」
男は重々しく頷く。
「で、あればだ。先の意見と同様、この度の存亡の危機は”知らなかった故の”危機だと結論づけられるな。つまり知っていれば、簡単に対処出来たことだと?」
人々は言葉に詰まった。
今度は見回しても、誰も手を挙げる者はいない。
レムルスは口端を持ち上げた。そしてゆっくりと頷く。
「もちろん、まずは問題について知ること、理解することが必要だ。その上で、解決法を考えるには多くの知恵と協力が必要なのだと思う。何事においても」
レムルスは言葉を切り、両手を天に向けた。
「ゆえに余は、ここに、世界会議の発足を提案したい!」
凛とした声が会場に響き渡る。人々は瞠目した。ざわめきは急速に広がった。予想外の提案だったからだ。
「なんだ、どういうことだ?」
「包括的な軍事協定を言い換えただけでは?」
「馬鹿げている。前例がない」
「結局のところ、帝国だけが利を得るつもりでは……」
各参列者は疑心暗鬼に陥った。素早く小声で相談しながら、警戒を強める。
イールグンドも目蓋を見開いたが、彼はすぐに黙って表情を和らげた。
隣のドワーフに、横から小突かれる。
「なんじゃ、ニヤニヤしおって」
「別に。ただ少し、皇帝に親近感を覚えただけだよ」
イールグンドも何か提案をするたびに「馬鹿げている」という言葉を長老たちから聞いたものだ。
レムルスは手を下ろし、会場が静かになるのを辛抱強く待った。そして再び口を開く。
「余は此度の騒動の中で、ある者から聞いた。前皇帝ウェスヴィア、つまり余の父は世界に再び危機が訪れることを知っていた。彼は賢者と協力したが、途中で決裂し、一人で事を成そうとして果たせなかったのだと。――我々の手は小さく、腕は短い。それでつかめるものも、届く距離もたかが知れている。しかし危機を経て知った。一人一人は小さな力であっても、我らが手を携えたなら――それは巨大な力になるのだ」
レムルスはここで、隣に座る后に片手を伸ばした。エローラは口元に微笑みを讃えたまま夫の手を取り、立ち上がる。
彼女のと対比で、レムルスは小さく、頼りなく見えた。
「余はこの通り、まだ子どもだ。皇帝の冠に値するとは思っておらぬし、時折、この重責に潰されそうになる。だが今はもう、逃げ出したいとは思わない。なぜなら余には夢があるからだ。出来た。余は世界を今よりも良くしたいのだ。しかしもちろん、どうすれば良くなるのかわからなければ、今は何が駄目なのかもわからない。――だから教えて欲しい。教えあおう。共に考えよう。何が出来るか、何が最善か、どうすれば良くすることが出来るのか。会議はそのための手段だ。手を携えよう、一度だけでなく、何度でも。これから先も!」
会場は静まりかえった。
世間知らずの子どもの夢だ。世の中はそう簡単ではない。綺麗事ではすまされない。利害が衝突すれば、手を携えるなどと言っていられない場合だってある。
大人は誰もがそう考えた。
これは理想論だ。
すぐに瓦解するだろう。
イールグンドは、立ち上がって手を叩こうかと考えた。彼とて、皇帝の提案がすぐに理想通り上手く行くとは考えていない。けれど、とにかく試してみることが肝要だと思うのだ。
試して駄目なら、道を修正すれば良い。試すことさえしなければ、世界は今までと何も変わらぬままだと思うから。
しかし彼が行動に移るよりも先に、会場の入口からパチパチと手を叩く音がした。
「いいじゃんいいじゃん! オレ様、そういう青臭い理想論は大好物よ」




