墜落 1
(――いや)
シャイードは石畳の上で反転して身を起こし、落ちているものを確かめるべく四足で歩行した。
そこには黒い書物が落ちていた。
「アルマ!?」
シャイードは爪の先で本をつつく。
それは確かに、見覚えのある魔導書だ。それから上体を起こし、その場に座り込んだ。掌の上に本を載せて観察する。
傷一つない。
「バラバラに破られちまったはずなのに……」
『にぃに。フォス、本あつめた』
胸に貼りついていたフォスが、ようやく恐慌状態から覚めて浮かび上がる。
『にぃにのだいじな本』
「べ、別に大事じゃねえけど!」
『だいじじゃ、ない? フォス、むだした?』
反射的に口をついた反論に、フォスの声が曇った。シャイードは「うっ」と唸って言葉を飲み込む。
「……そうかフォス。お前、俺と厄災が戦っている間、自分の出来ることをしていたんだな。バラバラになって散らばっていたアルマを、一カ所に集めたのか」
『うん』
フォスはシャイードの掌、魔導書の隣に降りたって、頭を上げた。撫でてと言わんばかりだ。
シャイードは目元を和らげ、フォスの頭を指で撫でる。改めて、元通りになった魔導書を見下ろした。
「魔導書の時は無敵だと聞いてはいたが、流石にあの時は肝を冷やしたぜ。厄災の攻撃は、お前にとって綻びなのかと思ったし。……おい、アルマ? 聞こえているか?」
黒い表紙を、爪の先でつついてみる。アルマは無言だ。
「いい加減、人の姿になったらどうだ? あ、もしかして、魔力切れなのか?」
シャイードはため息を吐いた。
顎に向けて、掌を持ち上げていく。途中でフォスが離れた。
首を露わにし、魔導書を逆鱗にくっつけた。
「ほら。人の姿を取れる程度になら、持っていって良いぞ。俺の魔力」
目を閉じ、眉間に皺を寄せる。
自ら進んで逆鱗をすりつけるなど、恥ずかしいし照れくさいしムズムズして不快だが、アルマには聞きたいこともあった。
鱗を剥がれたかのようなビリッとした痛みが走る。シャイードは顔をしかめたのち、片眼を先に開いた。手を下ろして、魔導書を見守る。
魔導書が光って、その形がもやもやと歪んだ。それが人の形を取ろうとしたところで、また元の本に戻ってしまった。
見ている間に、再び本の輪郭がぼやけたが、それだけだ。
シャイードは鼻面に皺を寄せる。破れたことと関係があるのかわからないが、どうやら今のアルマは、人型になれないようだ。
その時、地面ががくがくと揺れた。
「!? 地震?」
反射的に言ってから、ここが空中であったことを思い出す。身体がふわりと浮く感覚があった。
「落ちてる、のか?」
シャイードは周囲を見回す。浮島の空は、いつの間にか現世界の青空に戻っていた。浮かんでいる雲が、上に向かってすっ飛んでいく。やはり、落下している。
シャイードは掌の魔導書に困惑した視線を向けたのち、これを口の中に放り込んだ。
石畳を蹴って飛び立つ。フォスも従った。
西に向かって水平に飛ぶ。浮島の領域を出た途端、シャイードは心臓をぎゅっと掴まれる心地を味わった。
眼下の景色に、非常に見覚えがある。右手には故郷の山、そこから広がる森林地帯。進行方向のずっと向こうに内海の煌めきが見える。
そして浮島の真下は森が切れ、すり鉢状に土地が削れたクルルカンの遺跡があった。
浮島に降り立ったとき、既視感があったのも当然だ。
クルルカン遺跡の周囲に残っていた石畳と同じものが、浮島の広場に敷き詰められていたのだから。壊れた建物もそうだ。探索の中で散々目にしてきた石材、建築様式、模様。
浮島はクルルカン遺跡の一部だ。
「まずい!!」
一瞬で理解したあと、シャイードは身体を捻って方向転換した。頭を下にして、地面に向かって矢のように飛ぶ。
両目を細めると、遺跡の入口付近に人が集まっているのが見えた。
「なんで!?」
シャイードは叫んだ。よりによって、人数が多い!
少人数なら救い出せただろうが、遠目にも無理だとわかる。このままでは、人々が落下する浮島の下敷きになる。
まだ高度はあるが、落下速度は加速している。目算、数十秒。走って逃げたところで、絶対に間に合わない!!
「逃げろ!!!」
それでもシャイードは大声で叫んだ。
声が届いたかはわからないが、何人かが顔を上げているのが見えた。
翼よ千切れよとばかりに飛びながら、シャイードの頭は、めまぐるしく動いた。
浮島はシャイードが殴って壊せるほど小さくない。
アルマの魔法には頼れない。
扉神は帰還してしまった。
――絶望的だ。
(駄目か……!)
諦めようとしたその時、窪みの中心付近にアイシャが立っているのが見えた。
◇
扉神が消えたことで、祈りを捧げていた人々はぼんやりとしていた。夢から覚めたばかりのように、今まで何をしていたか、ここがどこだったか、わからなくなっている。
それから徐々に、記憶が戻ってきた。
「祈りが届いた、……のかな?」
アイシャが手を繋いだまま、父を見上げる。父は唇をへの字にして、片眉を上げていたが、娘を見下ろして頷く。
「わからんが、俺の直感は上手く行ったと告げている」
「そうだよね。……」
「どうした、アイシャ?」
にこりと笑った娘が、突然顔色を変えて黙り込んだので、店主は彼女の顔を覗き込んだ。
「見て!」
アイシャは片手で空を指し示す。
「何か、落ちてくる!」
その声に、人々が顔を上げた。
「何だ?」
「隕石……?」
丁度その時、上空から雷鳴のような吠え声が聞こえた。
人々は弾かれたように走り始める。小さいと思えた影が、みるみる大きくなっていったからだ。
「アイシャ!」
「うん!」
店主も娘も、ほとんど同時に走り出している。走って走って走って、見上げたい気持ちを抑え込んだ。見上げればその分、速度が落ちる。転ぶかも知れない。
とにかく走るしかない。
アイシャの左前で、ローブ姿の術師が振り返り、足を絡ませた。
「あっ!」
「立ち止まるな、アイシャ!」
父親は言って娘を促しつつ、前につんのめる術師のベルトを掴んで軽々と持ち上げた。アイシャはほっとし、遺跡の端へと走る。階段が見えてきた。




