たったひとつの”選択”
「離れていろ!」
フォスに警告し、シャイードは、扉との間に厄災を挟む位置へ飛び上がった。フォスはシャイードの言葉に従って離れたあと、何かに気づいてあらぬ方へ飛んでいく。
厄災は笑みを収め、シャイードに向き直った。
両手を動かし、空中に氷の騎槍を複数作り出す。今度はシャイードが不敵に笑う番だった。
彼は空中で一度身を立てたあと、頭を倒して厄災へと向かっていった。当然、厄災は氷槍を放ってくる。
「ドラゴンとは何かを教えてやる!」
シャイードは思い切り息を吸い込んで胸を膨らませ、炎を吐き出した。飛来した氷槍は一瞬で蒸発し、爆散する。砕けた氷片がシャイードの鱗を打ったが、ダメージはない。
シャイードはそのまま、厄災へと突っ込んだ。
高温の炎が、厄災の身体を焼く。
厄災は初めて、声を上げた。
奇妙な声だ。錆びて古びた蝶番が軋るような、甲高く不安定な。同時に、闇に蠢く亡者たちがあげる低い慟哭にも似ていた。
厄災は墜落し、反射的に扉の方へと逃げる。
シャイードは炎を吹きかけたまま地上に降り、厄災を追った。
敵の金の身体は溶け落ち、タールのようなぐずぐずした塊となって石畳を汚す。シャイードは構わず、炎を吐き続けた。
(もしかしたらこのまま、燃やし尽くせるんじゃね!?)
ドラゴンの炎ほどの高温を、厄災は浴びたことがなかったのだ。姿形を真似ながら、ドラゴンを知らないとは皮肉なことだ。
扉神の両開き扉は、既に両側とも直角まで開いていた。その向こうに見える空間は、黒でも白でもない。光でも闇でもない。
見えるようでいて何も見えない。
扉の上に、二つの目があった。ぐるぐると彷徨っていた輝く瞳が、厄災を捉える。
(そのまま、まっすぐ、……逝っちまえ!!)
シャイードは最後の一息まで全て吐き出す勢いで、炎を吹きかけた。これほど長く、これほど高温の炎を吐いたことはない。
唇が、舌が、ぴりぴりとした。
だがそこで、厄災が急上昇した。焼き切れた翼ではなく、魔力で浮かび上がったようだ。
(逃げた!?)
厄災は、扉の向こうに行くのを嫌がっている。
シャイードはその事実に戸惑った。アルマが元の世界に還りたがったように、扉を開いて追い込めば、容易くそこに逃げこむと予想していたのだ。
シャイードも首を上に向けるが、そこで炎の息が切れる。
厄災は、黒いぐずぐずの塊になって空に留まっていた。もはやドラゴンの姿は欠片もない。焦げた肉塊。所々、赤黒く燃えている。
シャイードは厄災に向けて、再び炎を吐きかけた。
しかし――
厄災の身体の周りに、うっすらと青みがかった透明な卵の殻が生まれている。炎はその曲線に沿って厄災の周りを回るだけで、中身に焦げ一つ付けられない。
(駄目か!)
厄災は、ドラゴンの炎を学習してしまった。
殻の中で、炭塊だった厄災が徐々に姿を変えていく。さなぎの中で、どろどろに溶けた芋虫が蝶へと変化していくように、それは、再びドラゴンの形を取ろうとしていた。
シャイードはその場に留まり、高速で再生していく厄災の姿に目を瞠っていた。卵の中から、三対の瞳がシャイードを睨み付ける。
四肢が、翼が、尾が、次第に明確になっていく。
(駄目だ! アイツが完成してしまったら……、もう俺に勝ち目はない)
シャイードは厄災から、異界への扉へと目を移した。
彼はすうと息を吸い込む。一瞬だけ目を閉じた。そして覚悟を決めて目蓋を開くと、厄災の卵に向けてジャンプした。
両手で巨大な卵をつかむ。下半分に抱きつくような形となった。
(重力を――!)
無敵だが無力である卵を抱え、翼で力強く空を打った。
己の持つ全ての力、魔力、意志、それをもって厄災を扉へと導く。
これしかない。
帰還を拒否する厄災をこの世界から去らせるには、誰かが道連れになる必要がある。
(その誰かとは――俺だ!!)
一瞬で全ての言葉が一度に蘇り、シャイードは己の定めを知った。
◇
――計画に巻き込むな、というようなことを言っていた気はするが
――なんでサレムは俺を卵のまま十二年も隠し持っていたんだ
――兄さんを人間の都合に巻き込みたくなかったのではないか?
――生き残った私と目が合ったとき、奴は急に考えを変えたのだ。『ドラゴンにはまだ利用価値がある』と
――あの男は、千年前の英雄達ができなかったことを、自ら成し遂げようとしていた。再び異界への門を開き、厄災をあるべき世界へと還そうとしていた
――シャイード、すま……ない……、私を、許……
――すまない、シャイード
◇
ああ、今にして漸くわかった。
師匠が俺を育てたわけが。
そしてサレムの、セイランの、去り際の謝罪の意味が。
サレムはウェスヴィアの中に英雄の素質を見た。
真の身分を明かし、人類の敵である厄災をこの世界から消し去るため、彼に協力を求め、宮廷魔術師として彼が皇帝の座につく手助けをした。
二人はスティグマータを集め、扉神を喚び出して厄災を元の世界へと還す計画を立てた。
私生児であり王位継承権を持たぬウェスヴィアは、手始めにクルターニュ山のドラゴンを倒すことで、自らの武勇を王族に認めさせた。
半神であるとの噂もまき、民から信仰を集めやすい下地もつくった。
サレムがドラゴン退治に関わったとは思えない。イヴァリスによれば、サレムはドラゴンを利用することに否定的だったようだし、現にシャイードの存在を隠して姿をくらませている。
一方で、ウェスヴィアがイヴァリスをその場で殺さずに連れ帰ったのは、依然として不可解なままだ。他の卵は壊したことから、その時点でドラゴンが厄災を倒すのに有効とは考えていなかったはずだ。
しかし後にウェスヴィアはドラゴンについて、従わせることが出来れば切り札となると考えを変えたのだろう。
サレムはウェスヴィアの考えに反対した。
人の過ちのために、ドラゴンを犠牲にすることは出来ないと。何か他に方法があるのではないかと。
けれども結局サレムにも、ドラゴンを犠牲にせず厄災を倒す方法は見つけられなかった。
世界とドラゴンを天秤に掛ければ、答えは明白だ。
サレムは悩んだ末に卵を孵し、いずれやってくる厄災の復活に備えた……
シャイードは扉に向かいながら、瞬きをした。瞳に溜まっていた涙が、砕けて空に散る。
(俺は死ぬために生まれた。殺すために育てられた。世界のための道具だった)
(けれどサレム――セイランが最後に心話で伝えてきた言葉も、きっと嘘じゃない)
(俺を傷つける”宝物”。それでも俺は、その煌めきが欲しい。世界を守れば、きっと沢山の宝が俺のものになる)
(だから、俺は――! 俺は自分の意志で、この方法を選ぶ!)
(選ばされたんじゃない。……たったひとつの方法を、俺が選んだ!)
シャイードは吼えた。
扉に到達する。
卵の上方から二本の長い腕が生え、扉本体を掴んで抗った。
「……ったく。往生際の悪い奴だな」
シャイードは鼻をすすった。
「俺が一緒に行ってやるから、諦めろよ。あっちで仲良く殺ろうぜ」
――ヴォオアアァァアッ!!
低い呻きに、大気が震える。厄災は同意してくれないようだ。
シャイードは力任せに翼を打つ。厄災は抗う。
ピシピシと、卵にヒビが入る音がした。
重力を掛ければ卵が割れる。
掛けなければ扉の向こうに送れない。
卵が割れればシャイードに勝ち目はない。
(どうすれば――!!)




