精神の檻
回転する巨大な円筒は、直径が六メートルほどもありそうだ。長さも同程度あり、その表面に、ドラゴンの爪に似た尖った骨が何列も連なっていた。円筒の軸からハンドルが伸びていて、ボーンゴーレムが押している。そして円筒の上部、ハンドルの間には骨で作られた四角い籠があった。背後には円筒よりは小さな二つの後輪があり、籠の後部を支えている。
円筒は異形の魔物たちを次々に巻き込み、その重さで轢殺していく。
超巨大にして凶悪な、手押し車といったところ。
「ヒヒヒ。粉砕粉砕ィ~」
籠の内部に設えられた椅子に王者のように座る男は、死王ラザロ。腕には怪しく輝く魔杖を抱え込んでいる。彼の前には椅子がもう一つ。そこでハンドルを握っているのがディアヌだ。彼女は正面窓から身を乗り出した。
「ラザロさん! 帝都が見えてきましたよ! 兵士が城壁の外で戦っているみたい」
「ふむ……。先ほどの隕石で、城壁の一部が壊されたようだな。遅参した」
ラザロはいらだたしげに舌打ちした。
「だが吾輩が挽回してやるぞ。厄災の落とし子どもなんぞ、このジャガンナートでことごとく轢き殺してやる。千年前の恨み、今こそ思い知るがいい。フハハハハハ!」
「ノリノリだなぁ」
ディアヌは子どものような死王の態度に苦笑した。だが彼女もまた、瞳を輝かせている。
ボーンゴーレムは手強い敵だったが、味方になれば心強い。
一部が壊れていたゴーレムを、ラザロはいとも簡単に修復した。やる気になった死王を止められる者は余りいない。
◇
「異形と戦っている? 仲間割れか?」
グラドノフは両目を細めた。
「ともかく助かった。今のうちに、負傷者を城壁内へ。消耗した魔法兵ももう下がれ! 元気な者は俺に続け! この機に、残った魔物を一気に殲滅する」
「はっ!!」
戦況の変化に勢いづいた彼らは隊列を立て直し、突撃した。城壁上の魔銃兵も援護射撃を行う。
◇
「あっ! 兵士の皆さんが、こちらの存在に気づいたみたいですよ! 取りこぼした異形をやっつけてます、ラザロさん」
ディアヌは顔を上気させ、振り返った。
ラザロが消沈している。椅子の前面に腰を押し出して、半ば滑り落ちたような格好で座っていた。
「ラザロさん!?」
さっきまでの元気はどこへ行った、とディアヌは目を瞬かせた。
「ぅう……。人前に出るのは気が進まぬ……。吾輩はその、少しばかり変化してしまったからな。ああっ人形を作っておくのだった! 骸骨以外の!」
「何言ってるんですか! 皆さん、歓迎してくれますよ。この辺にいた大きな異形は、ラザロさんの”邪魔者伸すぞ”でやっつけたじゃないですか!」
「ジャガンナートだ!」
「同じですよ」
「まあ……。い、いや違う! 格好良さが違う!」
つい同意しそうになったあと、ラザロは高速で否定した。億劫そうに身を起こすと、ディアヌに左手の人差し指を突きつけた。
「ディアヌ。貴様に吾輩の代理として将軍に挨拶する任を授ける。非常に名誉なことだ、喜べ!」
「中身はラザロさんだなぁ……」
「う、うるさい。死王とて、苦手なことはあるのだ」
ラザロはフードを深く下ろした。それから両手を組んで、指先を神経質そうに何度も組み替えている。
「はいはい」
ディアヌは呆れたようにため息混じりで言い、前に向き直った。その口元が、嬉しそうに弧を描いている。
ラザロは気づかず、しんなりしていた。
◇
暗闇に囚われたシャイードは、何とか外に脱出しようともがいていた。
しかし身体が上手く動かない。タールのように重たい闇だ。
(クソッ! こんなところで……!)
前脚を立てようとしても沈む。水泳のように交互に闇を掻く。翼を動かしても、余り役に立っていないようだ。
何度ももがいていると、不意に首の後ろを掴まれ、大きな力で持ち上げられた。
『どこに行くつもり、シャイード?』
「えっ」
聞き覚えのある声だ。シャイードは目蓋を開いた。
銀の鱗に囲まれた、金色の大きな瞳が見える。
『あなたは本当にやんちゃね』
雌ドラゴンはそう言って、爪でつまみ上げたシャイードに頬ずりをした。そして再び、温かな砂の上に彼を置く。
シャイードは驚いた。先ほどまでもがいていたのは、この砂のせいだったようだ。
砂は皿状の岩の窪みに満たされている。
すぐ傍には、彼の弟竜たちがいた。赤に緑、青に茶色。みんな小さく、生まれて間もない様子だ。身を寄せ合い、丸まって眠っている。
「あれ……? みんな、無事なのか? 卵は」
壊されてしまったのではなかったか。
記憶に霞が掛かったようになっている。それともあれは、夢だったのだろうか。
『にぃ~に!』
背中に衝撃を感じて振り返ると、白いドラゴンがいた。シャイードと同じ、金の瞳だ。
「お前……、フォス、か?」
『にぃに! あそぼ、あそぼ』
シャイードと同じくらいの大きさのフォスは、じゃれついてきた。
シャイードは混乱した。
「いや、今はそんな場合じゃ……」
何かをやっている途中っだった気がするが、思い出せない。額に手を当てる。何だったろう。大事なことだった気がする。
『怖い夢を見ていたのね』
巨大な母竜が言った。温かくほの暗い洞窟の中だ。母竜はシャイードにじゃれつくフォスを優しく引きはがし、二つの頭を撫でた。
『何も気にしなくて良いのよ。あなたたちの怖いものは全部、母さんが食べてあげるからね』
「……。うん」
シャイードは安心した。心が軽くなる。
なぜだかずっと、……ずっと長いこと、重荷を背負っていたような気がする。身の丈に合わない重荷をだ。
それが取り除かれ、安堵で身体から力が抜けた。
母さんがやってくれる。俺よりもうまくやってくれるだろう。何であろうとも。
シャイードは笑顔になった。
「本当にそうだ。母さんがいれば、何も心配いらないな」
隣ではフォスが、うつらうつらとしている。幼竜である彼らは、まだ長い睡眠が必要なのだ。シャイードの目蓋も重くなってきた。
『もうお眠りなさい。目が覚めたら、心配事は全部、全部、綺麗になくなっているわよ』
「そうする」
『あなたは眠るのが大好きでしょう?』
「ああ、大好きだ」
『ここはとても気持ちが良い場所』
「確かに」
『おやすみ、シャイード。私の愛する子ども』
「おやすみ、……母さん」
シャイードは砂の上に丸くなり、幸せに満たされて目蓋を閉じる。
『眠るんじゃない、シャイード』
男の声がした。聞き覚えはあるが、弟たちのものではない。
『眠っている場合ではないぞ』
「うるさいなぁ」
シャイードはイライラして、尻尾の先端で砂を叩いた。心地よい声だが、訳もなく勘に障る。無性に逆らいたくなる。
「母さんが眠って良いって言ったんだ」
『我一人では防ぎきれぬ……っ』
声に焦りが滲んだ。シャイードはそれを、珍しいと感じた。言っていることはわからないが。
『起きるのだ、シャイード!』
『シャイード。あなたの耳の周りを羽虫が飛んでいるわ。潰してしまったらどう?』
そうしようという気持ちと、やりたくないという気持ちがせめぎ合う。
シャイードは身体を包み込む尻尾の中に、ますます身を丸めた。
「面倒くさい」
『シャイード、目を覚ませ!』
――いやだ。目など覚ましたくない!




