上陸
全力で飛行するうち、浮島はみるみる近づいて来た。もう虹色の光はない。
「気のせいか? 以前よりも低い場所を飛んでるみてえだが」
「うむ。徐々に高度を下げているようだ」
「なぜだ? まさか墜落するなんてこと、ねぇよな!?」
浮島は隕石とは桁違いの大きさだ。あれが落下したら、一体どれ程の被害が出るか、シャイードにははかりかねた。大惨事になろうことだけは想像に難くない。
「肯定も否定も出来ぬ。だが今のところ、落下の速度は緩やかなようだ。上陸して片をつけよう、シャイード」
シャイードは頬をこわばらせたまま、頷く。
「扉神は?」
「我が問いたい。シアから連絡はないのか?」
「まだだ。だが連絡がないって事は、それだけ忙しいか急いでいるってことだろう」
「……だとよいが」
浮島は背の低い円錐をひっくり返した形をしている。上面はほぼ平らだ。
下側はむき出しの土のようだが、所々に大きな石が混じっている。近づくにつれ、何かの建造物の残骸らしいとわかった。
そして上面は遠目にも白っぽく見えたのだが、それは地面が壊れた建造物と石畳に覆われているせいだとわかった。
「どこかの都市を、そのままくりぬいたようだな」
シャイードは厄災が現れるのを警戒しつつ、高度を落とした。
浮島の中央付近に、壊れた石畳と瓦礫が見えるばかりの広い空間がある。シャイードはそこに降り立った。
途端に全身の鱗が、ぞわっと逆立つ。
歪みが酷い。
子どもの頃、立った状態で自らぐるぐると回転する遊びをしたことがあるが、あの直後のように世界が回った。両足が、揺れてもいないのにふらつく。
「う、うげー……」
「大丈夫か、シャイード」
「あんまり」
「上を見ろ」
アルマが言った。シャイードはこみ上げる吐き気と戦いながら、なんとか顔を上げる。
「おわ、なんだこれ……」
先ほど彼らが飛んできたのは普通の空だった。それが今は、様々な空の色をパレットの上でかき混ぜたように、マーブル模様になっている。
「やはりこの浮島は、複数の世界膜にまたがって存在しているようだ」
「この気持ち悪さは、そこから来ているのか」
目元に手をやったまま、何度か深呼吸をする。少しずつ、目眩が収まってきた。
それと同時に、周囲の様子が見えてくる。
かつては広場のような場所だったのかも知れない。足元の石畳には、中央から端に向かって幾何学模様と放射状の直線を組み合わせた巨大な図形が描かれていた。かなりひび割れ、がたがたになっているが、かつては美しかったのだろう。
広場の周囲には瓦礫の山がある。一部は建造物の形を留めているようだ。焼け焦げた跡や、円形のひび割れ跡など、奇妙な痕跡があちこちに見られた。
広場の装飾なのか、人型の石像も複数転がっていた。
シャイードの心に、何かが引っかかった。既視感がある。
来たことのないこの場所を、知っている気がする……
「……厄災は、どこにいる?」
「近い。すぐ近くにいる。気をつけろ」
アルマが囁いた。頭上にいる彼の姿は見えないが、声が緊迫している。
シャイードは身構えた。
ごくりと唾を飲み込む。
小さなドラゴン姿のフォスが、視界を右端から左端へと飛んでいる。フォスも何かを感じているようで、小さな首を右に左に動かし、気配を探っていた。
確かに、いる。
何かを感じる。
すぐ傍に。
シャイードはハッとして右の建物を見た。倒れかけた柱の影が、動いたような気がした。
しかし、凝視していても、何も変化はない。
逆の視界の端を、何かが高速で移動した。
左を向く。
瓦礫と瓦礫の間に、影がうずくまっている。シャイードは目を細めた。
(なんだ……?)
影の中がチカチカと輝いた気がした。そちらに向かい掛けたとき。
「シャイード!!」
頭上から鋭い声が発せられた。次の瞬間、シャイードは何者かに首を掴まれ、石畳に叩きつけられている。
「がはっ……!!」
そのまま引きずられ、石畳をバリバリと剥がしながら広場の端へと運ばれた。
背後からの攻撃で、敵の姿が見えない。
シャイードは、首を捉えた何者かの手(?)を両手で引きはがそうとした。硬い。しかもこの硬さは……。
「ぐ……ぉおおぉお!!」
渾身の力を込めて引きはがしにかかる。だがその前に、シャイードは凄い力で投げられた。建造物を背中で破壊しながら吹っ飛び、新たな瓦礫の山を作りあげて止まった。
「ってえ……」
苦痛に顔を歪めながら片眼を開くと、空に巨大なシルエットが浮かんでいる。
「……!? アレ、は……」
細身だが均整の取れた身体に、鋭い爪を持つ四肢。頭の上には二本のねじ曲がった角。長い尻尾。そして背中に大きな皮翼――
――ドラゴンだ。
輝く黄金色をした雌ドラゴンが、シャイードを見下ろしていた。
「な、なん……っ」
驚いて固まっている間に、金竜の周囲に空気が幾つも渦を巻く。それらは真空の槍となってシャイードの元に降り注いだ。
「!!」
尻尾の力で咄嗟に転がるも、右脇腹と右ふくらはぎに直撃を喰らった。シャイードは苦痛に悶える。
真空の槍は黒い鱗を破壊し、皮膚に穴を開けた。血が噴き出す。
シャイードは歯を食いしばり、すぐに体勢を整えて四足で走った。直前までいた場所の、瓦礫や石畳が弾ける。
「アルマ! 何か魔法、」
呼びかけるが、返事がない。いつの間にか、アルマは頭の上からいなくなっていた。シャイードは瞳を左右に動かして魔導書の姿を探すが、その背中に真空の槍を喰らってもんどり打って倒れた。
「ぐ……っ、クソ……」
四つん這いの姿勢で金竜に向き直った。金竜は、空中に直立姿勢で浮かんでいる。その顔には、良く見れば目玉が三対、計六つもあった。
中央の一対はシャイードを見据えているが、上と下の二対はそれぞれ別の方を向いている。
金竜は首を傾げた。
両手を前に突き出すと、その周囲にぱちぱちと電気が弾けるのが見える。
(次は電撃か。ドラゴンの癖に、魔法ばっかり使いやがって!)
電撃を見極めて避けようとする直前。シャイードの左手側から、幾つもの光条が金竜を打ちすえた。
金竜が勢いによろけ、電撃は何もない空間に飛んでいく。
「アルマ!」
広場に、背後にルミナス・カーバンクルを従えたアルマが立っている。光条は絶え間なく幾度も金竜に命中し、敵の身体を押しやった。
シャイードは翼を大きく羽ばたかせ、アルマの傍へとジャンプする。
「無事か」
「我は問題ない。だが、こちらは問題だ」
金竜が二人に向き直った。光条は今も激しく敵の身体を打ちすえているが、もはや最初ほどの効果はない。輝く鱗の表面で、光が消失している。
「学習された」
アルマが腕を振り、ルミナス・カーバンクルの幻影が消える。
「イヴァリスの言っていた通りか」
アルマが頷く。
直後、炎の塊が飛んできた。シャイードがアルマの前に腕を伸ばし、弾けさせる。
金竜は、両手に新たな炎の球を浮かべていた。
「アイツ……、ドラゴンのくせに炎まで魔法かよ」
「奴はドラゴンではない。厄災だ」
「お前は俺の後ろにいろ。炎なら任せとけ」
次々に飛んでくる炎の球を、シャイードはこともなげに叩き落としていく。
「ハッ。ドラゴンと戦ったことがないのは本当らしい。んなもん、効くか!」
金竜は首を傾げた。
次には氷塊を手の中に生成している。
「アルマ!」
アルマは高速で詠唱していた。
投げられた氷塊は、途中で弾け、無数の氷刃となってシャイードに襲いかかる。面で襲い来る氷刃に対し、逃げるのは間に合わない。
そもそも避けるのは論外だ。シャイードが避ければ、無防備なアルマを攻撃に晒してしまう。
シャイードは両腕をクロスして、後ろ足を踏ん張り、衝撃に備えた。
しかし、氷はシャイードに到達できない。突如現れた歪み鏡の停滞フィールドが盾となり、氷刃を受けきった。
停滞フィールドは一瞬で消失する。
シャイードは目を丸くした。
「すげえ! これをずっとかけといてくれればいいのに」
「いや。停滞フィールドは強力だが、詠唱を早めれば早めるほど、また面積を広げれば広げるほど、持続時間がもたなくなる」
「でも今のは、タイミングバッチリだったぜ」
「たまたまだ」
金竜はまた首を傾げていた。今はだらりと両腕を下げている。
「なんだ? 魔法が打ち止めになったか?」
「汝とて、そうは思っておらぬであろう?」
シャイードは唇を歪めた。笑ったのだ。
その時、視界の端で明るい光が弾けた。
シャイードもアルマも、厄災すらもそちらを向く。
フォスが輝いている。
そしてその下に……
「扉!!」
先ほど、影がうずくまって見えた場所に、巨大な黒い扉が出現していた。




