異形と悪魔
夜半。異形の魔物の襲撃を受けた村は、混乱を極めていた。家は燃え、住民たちは逃げ惑う。
六本足の馬に人の上半身がくっついた魔物は、しなる長い腕を伸ばして人々を捕らえた。顔のあるべき場所には大きな口。臼のような四角い歯がずらりと並ぶ。
魔物は新鮮な獲物を頭からバリバリと食べた。
翼の生えた目玉の魔物は、睨み付けた人間を発狂させる。
最悪なのは黒い手の魔物だ。神出鬼没で、地面や壁や天井からいきなり何本もの黒い手が生えてくる。そしてつかんだ者を、次々と連れ去った。
村から逃げ出そうにも、外も魔物に包囲されていた。赤子を抱えた母親が、顔を涙でぐしょぐしょにしながら前のめりに走る。
鍬を持った夫が慌てて追いかけるが、何度も背後を振り返るため、まるで追いつけない。瞳には怯えが見えた。
子どもたちは竈の中に隠れ、開口部に椅子を引き寄せていた。両親から声を出すなと言われていたが、周囲の断末魔を聞くにつけ、ガチガチと歯が鳴るのは止められない。
もう駄目だ。
誰もがそう思った。
もう駄目だ。村は全滅する。あとは死が、苦痛を長引かせずに速やかに訪れてくれますように。
村の外から唐突に雄叫びが聞こえてきた。大勢の声。馬のいななき。甲高い風切り音が加わる。
「一人で戦おうとするんじゃないよ! どんな技を持っているのかわからない。慎重に。だがまあ、大胆にいけ!」
騎馬隊を指揮する仮面の人物が、周囲を鼓舞した。手元で矢をくるりと回転させると、目玉の魔物を正確に射落とす。
騎馬兵たちは勇ましい声をあげながら、魔物に対して一撃離脱の波状攻撃を仕掛けた。無数の矢を受けた人型の魔物は、不気味なうなりを残して煙のように消える。
最初は新たな魔物の襲撃かと怯えた村人も、次第にそれが助け手であることを理解した。彼らは身を隠し、祈り、わずかな希望にすがった。
永遠とも思える時間が流れたが、客観的には30分にも満たない。異形の魔物は消え失せ、死体も残らなかった。
生き残った村人が、隠れ場所から様子を伺っていると、町の広場に仮面の弓騎兵が進み出た。後頭部で高く結った黒髪が、風に揺れている。
「ファルディアだ……!」
人々は絶望のため息をつく。
敵が去り、新たな敵がやってきただけだ。ファルディアは略奪者。既に多くの家々が焼け落ち、家畜もちりぢりになるか魔物に殺されている。
これ以上、何を奪おうというのか。
ファルディアの戦士は周囲を見回し、突然大笑いした。
「なんだいなんだい、もぐらみたいに巣穴に引きこもっちゃってさ! 安心しなよ。あたしらは味方だ。なんてったって、同じ帝国の臣民だからね!」
それでも村人は出てこない。
ファルディアの戦士であり、新たな大族長となったバールミは馬から下りた。弓を足元に置き、両手を挙げる。
周りにいた弓騎兵たちも、顔を見合わせたあとで同様にした。
村人たちはその様子を伺って初めて、恐る恐る建物の影から姿を現す。
「ほ、本当に味方なのか……? あのファルディアが」
「そうだよ。おや、この辺にはまだ伝わってないのかねぇ?」
バールミは肩をすくめる。
「もっとも、そうでなくたってこりゃ人族全部にとっての危機ってやつじゃあないのかい? こんなときに助け合わないで、いつ助けあうってんだ」
小石が飛んできて、バールミの仮面を打った。
村人たちは驚愕し、発射地点とおぼしき方に目を向ける。眉を吊り上げた少年がいた。
「帰れ、悪魔ども! お前たちの力なんか、借りるもんか!」
「なんということを!」
少年はすぐに、傍の村人たちによって取り押さえられた。数人の大人に抑え込まれても、少年は足をじたばたして悪態をつき続ける。
口を塞ごうとした男が、指に噛みつかれて悲鳴を上げた。
バールミは無言で、少年に近づいていく。
「ひっ! 許して下さい、許して下さい! 魔物の襲撃で混乱しているのです、ほんの子どもです!」
老女が庇うように前に出た。だがバールミは、彼女を避けて少年の前に立つ。
仮面の奥から冷たい瞳が見下ろした。
見返す少年の瞳には、闘志が燃えている。
バールミは片手を横に滑らせて、村人を下がらせた。
「聞き捨てならないねぇ? おい、小僧。あたしのどこが、悪魔に見えるってんだ、ああん? 手も足も目も鼻も口も、あんたと同じ数だと思うんだがね。この通り、尻尾も羽も生えてないよ」
「うるさい! お前らは俺の父ちゃんを殺したんだ、この悪魔どもめ! 今さら味方面したって、俺は信じねえぞ。信用させて、背後からブスッとするつもりなんだろ」
バールミが片膝をついてしゃがむと、少年はびくっとした。それでも逃げようとはしない。
バールミは少年に腕を伸ばし、強く引き寄せた。
少年は固まる。村人たちも、どんなにむごたらしい殺しの技が行われるのかと固唾をのんだ。
だがバールミは抱きしめただけだ。
「そりゃあ悪かった。確かに、あんたからみたら悪魔だな」
「……!」
「でも助けてやったんだから、帳消しだろ? ……なんてこたぁ、言わない。罪も憎しみも、そう簡単に消えるもんじゃないのは知ってるさ」
少年は口を引き結ぶ。
バールミは彼の頭をぽんぽんと撫でた。
「けれど今だけは。その気持ちをしまっておいてくれないかい? あんたたちはもう、あたしらの同胞だ。ファルディアは同胞を見捨てない。危機が去ったらさ、幾らでもあんたの憎しみを受け止めるよ。な?」
バールミはするりと腕を放して立ち上がった。
「さあ、魔物退治ならあたしらの十八番だ。自分らの土地は、自分らで取り戻すんだ、野郎ども!」
「おおーっ!!」
先ほど身を挺して庇おうとした老女が、心配して少年の傍に寄り添う。
少年の唇が、への字に歪んだ。目に涙が浮かんできて、悪魔の後ろ姿がぼやける。彼女はきびきびと、部族の者たちに命令を下し始めた。村人を救うべく。
その姿は確かに、自分と同じただの人間に見えた。




