神の創造
シャイードは幻夢界で、ドラゴンの姿に戻った。
「アルマ。お前、運命神を演じたときの姿になれるか?」
「なぜ?」
「俺が黒いから、お前も今の姿だとぱっとしねえんだよ。演出だ」
「もちろん容易い。あの姿は、細かいところまで記録してある」
言うなり、アルマは白い長衣に身を包んだ、神々しい姿に変わった。髪の煌めきも、顔に施された化粧も、以前見たままだ。
シャイードは息を吸い込む。
彼はアルマに思惑を語った。アルマがきちんと理解したことを見て取ると一つ頷く。
「よし。フォス、お前はちょっと待っていてくれ。水の下は危ねぇからな? アルマ、俺に乗れ」
「わかった」
アルマはシャイードの角をつかみ、頭の上に立つ。
「水の下に入ったら、お前は神になれ。いくぞ!」
「汝こそ、自我をしっかり守れよ。シャイード」
二人は黒い水面に勢いよく飛び込んだ。
水の中に入った途端、周囲に大量の思念を感じる。
……『だれ』『だれだ』『だれかきた』『なにかきた』『なんだ』『大きい』『こわい』『おびやかされている』『わからないものに』『囲まれている』『助けて』『こわい』『こわい』『こわい』『……』……
人々の集合的無意識は、浮島の出現と共に引き起こされたビヨンドの大量出現にとまどい、怯えているようだ。
シャイードの心にも、怯えが忍び込んでくる。
(やめろ! 俺は怖くなどない。お前らの気持ちは、俺の気持ちじゃない)
必死に自我を保とうとする。
アルマが片手を大きく横に振り払った。水流が、人々の感情を一時的に遠ざける。
「世界の終わりにおびえる者たちよ、我が言葉を聞くが良い」
……『だれ』『だれ』『だれ』『美しい』『まぶしい』『なんと美しい』『……すき』『きれい』『ほしい』『だれだ、あれは』……
今度は人々の好意と欲望が押し寄せてくる。シャイードはその圧に耐えつつ、無性にイライラとした。
(コイツの事なんて、何も知らないくせに)
牙をむき出す。アルマが片足をトンと踏みならし、シャイードは我に返った。
今のは誰かの独占欲だ。ここは嫌いだ。自分の気持ちと、周りの気持ちがすぐにごっちゃになってしまう。
「我はアルマ。魔法仕掛けの神だ。汝らを救うために降臨した」
……『なんだって』『神?』『神』『神と言った』『ああ、確かに』『神に見えるわ』『神に間違いない』『助けてくれる』『救ってくれる』『救世神』『助けてほしい』『救ってほしい』『こわいのはいや』『死にたくない』……
アルマは両腕を緩やかに広げた。
「救いを願う者は、祈りを捧げよ。隣人と手を繋ぎ、心を一つにせよ。さすれば悪しき者は扉の向こうへ、永劫の闇へと追いやられるであろう」
……『ああ、よかった』『助けて貰える』『祈ります』『助かりたい』『神様』『救世神』『アルマ神』『神よ』『神よ』『神よ』『助け給え』『救い給え』……
アルマは右手を持ち上げた。
「滅びの魔神を、”ここではないどこか”へ。扉の向こうへ」
……『ここではないどこか』『ここではないどこかへ』『扉』『扉の向こう側へ』『追放する』『祈る』『願う』『祈ろう』『皆で』……
不安と怯えに満ちていた集合的無意識が、アルマという神の形を目の当たりにして、穏やかにまとまっていく。
信仰、法悦、共振。
どれもシャイードにはなじみのない異質な感覚だ。
『ぅう……』
吐き気がする。信仰とは、神に対する巨大な信頼だ。身も心も差し出し、委ね、従うほどの。アルマに向けられたその感情の余波を、シャイードも浴びていた。
黒竜にとっては猛毒である信頼と愛情。圧倒的な共振の渦に身を縛られ、真っ暗な深淵に引きずり込まれていく。手足が急速に冷えた。
沈む、沈む、沈む。
底の方にある、青みがかった暗黒。その奥から、懐かしい歌が聞こえてきた。以前にも聞いた穏やかなハミングだ。
(子守歌――)
「シャイード、どうした。沈んでいるぞ」
頭上にいつのまにか、白い何かが乗っている。それがわからない言葉を発していた。
何かが心に引っかかる。けれど、下方に存在する気怠い静謐の方が魅力的だ。
「シャイード! 自我をしっかり持て」
『じが? じがってなんだ……』
霞のかかった思考は、カラカラと空回った。シャイードは目を細め、微笑む。沈めば沈むほど、平穏で、幸せで、満たされた気持ちになった。
酷く眠い。
――だから、ねちゃだめだってば! にぃに!
どこからともなく白い光が飛んできて、シャイードの周りをくるくると回った。昏い世界で、場違いなほど明るい。
シャイードの目蓋が少し持ち上がり、金の瞳がその光を追う。
『光……。懐かしい匂いがする』
無意識の海の中で、実際に感じているのは匂いではない。記憶。感情。心の琴線に触れるもの――それらの情報を、シャイードは匂いとして知覚していた。
光が鼻先に取りついた。
『鼻って、なんだっけ……』
良く見れば光は、つるんとした丸い頭を持つ、四足で尻尾のある生き物だ。背中から蝙蝠に似た皮翼が生えている。輪郭は発光しているせいかおぼろげで、翼の生えたトカゲみたいだった。
それは四肢をいっぱいにふんばり、翼をぴんと立てていた。威嚇でもするように。
――おきろ! にぃに!! 思い出せ、シャイード!
光は怒った。光は、爆発した。
『――はっ!』
シャイードは途端に自分が誰であるか思い出した。アルマが先ほどから彼の名を何度も呼びかけていた。
深淵からの歌声は相変わらず魅惑的だが、シャイードは翼を打って水面を目指す。アルマに触れようと手を伸ばす無意識たちを振り切り、勢いよく海から飛び出した。空中で錐もみして水を飛ばす。
「ぶはっ……! ハァハァ……また引きずられそうになった……」
心臓がそれまでの怠惰を取り戻すかのように、激しく脈打っていた。
アルマが近くに浮いている。彼は腕を組んでいた。
「わかっていても、避けがたい危険というものはある」
「いや、途中までは我慢できてたんだ! けど」
「まあ、あの圧倒的な好意は、汝には毒であったろうが」
魔導書は首を左右に向けた。
「全く。フォスがいなければどうなっていたことやら」
「……フォス?」
なぜそこに光精霊の名が出てくるのかわからず、シャイードもフォスを目で探した。
海上で待つように言っておいたはずだが、付近に光は見えない。最後に水面を見下ろすと、暗い水底から上ってくる輝きが見えた。
「フォス! ……じゃない……」
シャイードの鼻先に飛んできたそれは、光る小さなドラゴンだった。




