終わりの始まり
白化した森を歩いていたイールグンドは、強い耳鳴りを感じて足を止めた。
どこまでも白い森、命のない森の真ん中だ。獣の足跡もない。鳥の声も聞こえない静かな場所。――だった。
その森が、突然ぐらぐらと揺れ始めた。
(地震か?)
イールグンドはその場に片膝をつく。そして梢を見上げた。大きな揺れだ。収まるどころか、ますます酷くなっていく。
(……っ!? 地面が!)
足元が蠢いた気がして視線を落とすと、みるみるうちに地面が盛り上がってきた。あちらでも、こちらでも。そこからは白化した木の根が飛び出し、蛇か長虫のようにうねり始める。すぐ近くの木の幹から、鋭い枝が馬上槍のように突き出した。イールグンドは素早く身を躱す。別方向からも枝が伸びてきて、イールグンドのマントをかすめた。
(白森が……、目覚める)
屍が死霊術師の力で蘇るように、白化した木々がざわめき始めた。土から根を引き抜き、動きながら分裂し、増殖する。
鞭のようにしなる根から根へと飛び移りつつ、イールグンドは恐怖を覚えた。
郷の近くにも、白化した木々が生えている。同じようになっているとしたら……。
(戻らねば)
◇
平原には、どこからともなく現れた魔物があふれ出していた。不定形のゼリー状のものや、頭が何本もの触手になった四足獣、翼の生えた目玉、光り輝く小さな人型……。
それまで平原では見かけたことのない異形の魔物ばかりだ。
魔物たちはそれぞれ、勝手な動きで移動を始める。
その先には、小さな村や町が点在していた。
◇
帝都のパレードの裏で行われていた反乱は、その日のうちにほとんど収束していた。
最後まで抵抗して、軍に捕縛された者たちもいたがごく一部だ。大抵の奴隷は、支援者である奴隷解放戦線が方針を転換したことを知ると武器を手放した。はしごを外されたと怒りを覚える奴隷もいたが、リーダーであるクルーセスが帝国議会の元で合法的に奴隷を解放していく方針を説明すると、一応は納得して各々の仕事に戻った。希望があれば、人は我慢が出来る。
奴隷たちが略奪したり、壊したり、燃やしたりした主人の財産については、奴隷自身の手で復旧させることとした。
一部の奴隷主はそれだけでは損害が埋まらないと訴えてきたが、それについては後日丁寧に調べると返答してある。
レムルスは奴隷たちの反乱について、いろいろと思うところがあった。
けれど彼は、すぐにもっと別の深刻な事態に対処しなくてはならないことになる。
「大変です、陛下!」
翌日、早々に執務室にやってきたのはグラドノフ将軍だった。レムルスはその時、宰相のナナウスにクルーセスを引き合わせ、今後について相談をしていた。向かい合って話していた二人は落雷のような声に振り返り、レムルスは椅子から立ち上がる。
「どうした、グラドノフ。まだ奴隷が何か?」
老将軍が自ら足を運ぶとはよほどの事態だ。皇帝の問いかけに、将軍は挨拶もそこそこに口を開いた。
「いえ、別件です。各地に配備していたワイバーン兵が、未明より続々と到着しております。彼らは異口同音に魔物の出現を報告し、救援を願っておるのです」
「なんだって、魔物?」
レムルスは耳を疑った。老将は顎を引く。
「それも、珍奇なものばかりとのことです。今、情報武官たちに分析を急がせております。帝都の近隣にも同様の魔物が出現しているようで、幾つかの集落と既に連絡が途絶えております。即時の対応が必要と愚考いたしましたので、某が直に参りました。いかがなさいますか」
「帝都の内部には入り込んでいないのだな? 地下はどうだ?」
「はい。今のところ報告はありません。警戒は続けています」
「うむ。では一旦、外門を閉ざして胸壁と見張り塔に兵を配置せよ。守りを固めたのち、ワイバーン兵を二人以上で組ませて周辺の偵察に出せ」
「避難民への対応は?」
「ああ、そうだったな。……では南門に限り、通用門の使用を許可する。避難してくる民はそちらへ誘導せよ。門に魔銃兵を配置しておけば、何とか魔物に対処出来るだろう」
「はっ!」
「まずは王都周辺の情報収集だ。事態の把握が出来なくては、救援は送れない」
「やむを得んでしょうな」
老将は渋い顔で頷いた。気持ちとしては救援要請に応えたいが、現時点では難しいこともわかっている。主君の言は正論だ。
彼は一礼して下がった。
老将軍がいなくなると、レムルスは椅子に深く腰を掛けた。額に手を置き、深いため息をつく。
ナナウスとクルーセスは僅かに視線を見交わした。その後、宰相が一歩前へ出る。彼は胸に手を当てた。
「陛下。どうやら優先順位の高い事態が発生したようですので、私も下がらせていただきます。対処せねばならぬ事態が、様々起こってくるでしょうから」
「うむ。そうしてくれ」
レムルスが答えると、宰相は踵を返して部屋を出て行く。室内にはクルーセスと、護衛のクィッド、レムルスのみが残った。
クルーセスは首を傾げた。
「僕はどうしようかな? 君は疲れているようだし、歌でも歌おうか?」
もちろん冗談のつもりだ。しかし、レムルスは真面目に受け止めた。
「いや。それよりもそちらの兵力をまとめておいてくれ。いざという時には、お前たちにも魔物と戦って貰いたい」
「ふぅん? 最前線に出せば、体よく厄介払いできるしね?」
クルーセスは皮肉な口調で返した。レムルスは疲れたように首を振る。
「そのような意図はない。言い忘れたが、これは世界の存亡の危機だ」
「……冗談?」
眉を跳ね上げたクルーセスに対し、レムルスは顔を上げた。執務机の上に置いた人差し指が、とんとんと跳ねる。
「魔物が出現した原因はわかっている。おそらく、滅びの魔神が復活してしまったのだと思う」
レムルスはクルーセスに、以前シャイードから聞いた話を伝えた。




