勝者と敗者
「俺が勝ったんだから、お前は俺の言うことを聞け、イヴァリス」
イヴァリスは億劫そうに目蓋を少しだけ開いた。
「いいから早く殺すがいい」
「駄目だ。俺の質問に答えるまでは、楽にはさせねえ」
黒竜は腕を組んで顎を反らした。金の瞳が赤竜を見下ろす。
「燃やした禁書には、何が書いてあった? 厄災はどうすれば滅ぼせる?」
「……」
イヴァリスはだるそうにため息をついただけだ。
「言えよ! この俺が命じているんだぞ」
「……厄災は、滅ぼせない。滅ぼす方法が、ない、……のだ」
「!」
シャイードは目を瞠った。知っていたことではある。厄災は滅ぼせない。だから、千年前の英雄たちにもどうしようもなかった、と。
それでもビヨンドである以上、何かしら制約や綻びがあるのではないか。今まで、幾つものビヨンドに対峙しながら、手探りで道を切り開いてきた。例えそれが人間には難しい条件でも、自分なら可能かも知れない。禁書にはそういった手がかりが書かれてるのではないか。シャイードはそう考えた。なぜなら、サレムが他でもない自分に託したから。
「でもっ! 千年前にはドラゴンは戦わなかっただろ? ドラゴンはニンゲンよりもずっと強い。俺たちなら、」
「確かに」と、イヴァリスは瞬きで同意する。
「可能性はある。僅かながら。……禁書によれば、厄災の強さはその”学習能力”にある。初めての攻撃は効く。しかし、二度目の攻撃は効かない。兄さんの炎の息が効くとすれば、一度だけだ。……兄さんは、一度で厄災を燃やし尽くせるか?」
「たった一度で!? どんな奴か、どんな大きさかもわからねえのに……」
ミスをすれば詰みということか。シャイードは首を振った。
「それじゃあ駄目だ。俺が一度でも失敗したら、もう後がない」
「そうだ」
イヴァリスは苦しげに目蓋を閉じた。ヒューヒューと息をつき、また少しだけ開く。
「言ったはずだ。ウェスヴィアのやろうとしたことを」
「シャイード、無事か!」
そこに、フォスを伴ったアルマが到着した。雪の上を走ってきたのだ。アルマは倒れた赤竜を見遣った後、シャイードを見上げた。
口の端に片手を立てる。
「殺したのか、シャイード」
シャイードはぼんやりしながら首を振った。魔導書は首を傾げる。
「やりづらければ、我が代わりにやるぞ」
シャイードはアルマに向けて片手を突き出した。
「ちょっと黙ってろ。うるさい」
呼ばれたからやってきたアルマは、フォスを見た。フォスは知らないよ、とばかりに小刻みに揺れる。
「スティグマータを集めて、ニンゲンを集めて、……あと半神を騙った?」
イヴァリスが、兄の呟きに吐息する。
異論がないのだと理解し、シャイードは続けた。
「お前は、ウェスヴィアがスティグマータを集めていたのは、厄災を倒すためだと言っていたな? それはつまり、扉神を喚び出すためだ。ウェスヴィアは禁書の内容を知っていた。サレムも。厄災が倒せぬものであると知っていた彼らは、扉神を喚び出して向こう側に追い払う計画を立てた」
「スティグマータを全員揃えるのは至難の業だが、奇しくも、スティグマータたちも独自に仲間を集めて扉神を喚び出す計画を立てておった。転生の記憶をおぼろげに思い出した巫女を中心に」
アルマが今しがた見てきたもので補足し、シャイードは頷く。
「春告鳥――セティアスは、旅をしながらスティグマータ集めに協力していた」
思い返せば吟遊詩人は、ザルツルードの公衆浴場でも、奴隷の兄弟に探りを入れていた。おそらく、彼らがスティグマータかどうかを確認していたのだろう。
「汝が戦っている間に、我は奴らに会ったぞ。やはり、扉神を喚び出そうとしていた」
「でも果たせなかったんだな。――もう一人の巫女であるシアがいなかったから」
「……」
イヴァリスは目を閉じたまま、何も言わない。
シャイードはニヤリと口元を歪めた。
「でも、今はいる。そうだな、アルマ」
「うむ。無事に合流したぞ」
「どうだ! イヴァリス。ウェスヴィアに出来るなら、俺にだって出来る。俺が厄災を一発ぶん殴って、扉の向こうに送ってやる!」
イヴァリスはその言葉で目蓋を開いた。
赤い瞳で、兄竜を見つめる。
人差し指を突き出して胸を張る兄。その金瞳には、自信と誇りがみなぎっていた。
身体はボロボロなのに、と、イヴァリスは不思議に思う。
厄災は滅ぼせないと教えたのに。
イヴァリスは隣に立つ魔導書に視線を動かした。彼が隣に来てから、兄は自信を取り戻したように思う。
「私が、そこに……、立ちたかった。……兄さん」
独り言のように呟き、イヴァリスは気を失った。
シャイードには聞こえていた。口をぎゅっと結び、鼻から息を吐き出す。それは白い霧となって、空気に流れた。
シャイードはアルマの前に掌を差し出した。アルマはその上に乗る。
彼を頭の上に乗せ、再び両手を弟竜の下に入れた。
「重っ……、く、ない!!」
シャイードは両腕にイヴァリスを抱えた。肋骨やら左大腿骨やら背骨やら、戦いで痛めた骨がビキビキと傷む。顔をしかめた。
「重く、ない!!」
そう唱えると、弟竜は何とか持ち上がった。
「ほう」
アルマがシャイードの角につかまりながら、感心したように目を細める。
シャイードは翼を広げ、何度も力強く打って飛び立つ。浮島は、最初に現れた地点よりも南東の方角に移動していた。
「首を洗って待ってろよ、厄災! 首あるかしんねーけど!」
シャイードは北へ飛び、湯気を立てる湖にイヴァリスを投げ込んだ。




