皇帝と脅迫者
レムルスが豪華な馬車の中で緊張の時間を過ごしていたところ、外で人が動く気配と、会話が聞こえてきた。
「どうしたんだろう?」
彼は開いた窓から顔を覗かせる。
帝国兵が二人、護衛の兵士と向かい合ってなにやらもめている。その片方がレムルスの視線に気づいて手を振った。
レムルスは瞬く。護衛兵が振り返った。困惑顔だ。
「クィッド」
名を呼ぶと、直属護衛官はすぐさま立ち上がった。車体が揺れる。彼は「話を聞いてきます」と言って馬車を出て行った。
クィッドを交えて会話を始める彼らを見ているうちに、ふと、若い方の兵に見覚えがあるような気がしてくる。
まもなくクィッドが走って戻ってきた。また車体が揺れる。
「陛下。その、彼らは陛下と直接話がしたいと申しております」
「今か!?」
「はい。これからパレードがあることは承知の上で、それでも今でなければならない重要な案件なのだと。片方はフォレウス=エル・エステモントです」
「”双牙”の持ち主の?」
クィッドが頷いた。父の代の戦役で手柄を立て、国宝の魔銃を与えられた魔銃兵だ。
さらにエステモント家と言えば、有名な奴隷商人の家系でもある。
「もう一人は伝令兵のようでした」
「伝令兵なのに、乱入の特権を宣言しなかったのか?」
「はい。護衛の兵たちもそれで困惑したようです。通して良いものかと」
「……。武器を全て預かった上で、ここに通せ」
クィッドは驚いて目を見開いた。
「よろしいのですか? もうすぐ時間ですが」
レムルスは頷き、背もたれに深く身を預ける。
「奴隷解放戦線が何か仕掛けてくる可能性があると聞いている。エステモントの者なら、その筋から重要な情報を手に入れたのかも知れない。幸いと言っていいのか、僕は広場でエローラ姫を迎えるまでの間、馬車の中で暇だ。ここならお前もいてくれるから安全だし。……だろ?」
「もちろんです。陛下には指一本触れさせません」
クィッドは馬車から半身を乗りだし、近くの護衛に皇帝の言葉を伝えた。
その後、丸腰になった二人の兵が乗り込んでくる。
皇帝の隣にクィッドが座り、それまでクィッドが座っていた向かい合わせの座席にフォレウスとクルーセスが座る。
レムルスの正面がフォレウスだ。クルーセスは背負っていた楽器も取り上げられている。
座席の間は空間が広めにとられており、立ち上がって大股に二歩進まねば相手方に手が届かない。
もしも二人が不審な動きをしたとしても、大柄なクィッドが立ちはだかれば皇帝には手が届かない。そしてクィッドは、格闘術のエキスパートだ。
レムルスははす向かいに座ったクルーセスの顔をまじまじと見つめた。流石にこの至近距離ならばわかる。髪の色は違っているが、先日、ユリアがぼうっとなった吟遊詩人に違いない。
レムルスはクィッドを見遣った。彼は気づいていないようだ。
(吟遊詩人が、どうして伝令兵の格好をしているのだろう)
問うて良いものかどうか迷っている間に、フォレウスが口を開いた。
「皇帝陛下におかれましては、本日もご機嫌麗しく。ご結婚おめでとうございます」
「ああ、うん。ありがとう」
戸惑ったせいで、素で答えてしまった。小さく咳払いをしてごまかし、続ける。
「まさかわざわざそれを言いに来たわけではあるまいな?」
「いえいえ、そんな。俺が今日ここに来たのは、帝国の民がどうやら危機に面しているようだからです」
フォレウスは言葉遣いを普段通りに戻した。クィッドの表情が険しくなるが、皇帝は軽く片手を挙げて続けるようにと示唆した。
「帝都におきまして、奴隷の蜂起を扇動した者がおります」
「そのことなら既に聞いている。奴隷解放戦線とかいう、ダスディール王国の残党どもだとか」
「はい。そしてここにいるクルトが、彼らのリーダーです」
「!!」
フォレウス以外の三人が驚愕した。クィッドは椅子から尻を浮かせ、両手を胸の前で構えた。レムルスも、普段であれば立ち上がっていたかも知れない。今は衣服が重すぎるせいで椅子に縫い付けられたままだったが。
クルーセスは隣から、信じられないという顔でフォレウスを見つめていた。
「なんだよ。どうせ言うなら早いほうが良いだろ」
フォレウスは視線に気づき、やや前屈みで座ったまま片手をひらりと振った。その時、馬車が揺れてゆっくりと動き始めた。城門が開き、帝国旗を掲げた騎馬隊を先頭に、隊列が広場に向かって進んでいく。
「陛下。お下がりください」
「下がるって……どこに?」
困惑するレムルスをよそに、クィッドは向かいの二人に突進し、胸ぐらにつかみかかった。フォレウスが慌てて両手を突き出す。
「待った待った! 俺たちは誓って、皇帝陛下に危害を加える気はない! だよな!?」
「……」
クルーセスは目を閉じ、無抵抗で胸ぐらを掴まれている。フォレウスは上目遣いに巨漢を見つめた。
「まあ心配なら、簀巻きにしてくれても構わんが、とにかく話を聞いてくれ。余り時間がないようなんだ」
フォレウスは隣の足を蹴った。クルーセスが目蓋を開く。
「皇帝陛下と話をさせてくれ。その後でなら、僕はどうなろうと構わない」
「クィッド、余の隣に。そなたがそこにいると、彼らの目が見えない」
レムルスは皇帝らしく命じた。クィッドはすぐさま手を離し、主君の隣へと戻ってくる。だが瞳は鋭く向かいの二人の間を往復し続ける。
「本題に入るがよい」
「帝国内に存在する奴隷を、全て解放していただきたい」
クルーセスは単刀直入に切り出した。
レムルスはその言葉を聞いたあと、ゆっくりと一つ瞬きをして口を開く。
「その願いを余が聞き届けない場合は、何が起こる?」
「ほらな? 賢いだろう?」
フォレウスは得意げに、隣に小声で言った。クルーセスはちらりと隣に視線をやったのち、続ける。
「エローラ姫には死んでいただきます。それから奴隷たちが都のあちこちで蜂起します。詳しい場所は僕も知らない。あちこちです」
レムルスは額に手を当てた。
「奴隷たちはそなたの言葉に賛同したということか」
「搾取され続ける生き方を欲する者が、この世のどこにおりましょうか?」
「そなたと今、問答する気はない。どうすれば止められる?」
「今すぐに奴隷を解放すると宣言していただければ。僕が責任をもって止めます」
「そのような国の重大ごと、余の一存では決められぬ。猶予を貰えぬか」
「出来ません」
クルーセスは首を振った。
「僕は不退転の決意でここにいるのです」
「そなたを人質に取り、メンバーに思いとどまらせることも出来よう」
「そのような事態でもとどまらぬよう、仲間には言い聞かせてあります」
皇帝は深いため息をついたのち、フォレウスに視線を向けた。
「そなたも同じ考えか? エステモント」
「そう見えます?」
フォレウスは後頭部を掻いた。
「俺は反乱を未然に防ぎたいんですが、これといって妙案が浮かばなくてね。陛下に丸投げに来ただけです。どうしたらいいですかね、これ?」
ざっくばらんすぎる告白に、レムルスは何度も瞬いた。
「……ずるいではないか!」
「まあ、皇帝ってそういう損な役回りでしょう?」
「口をつつしまんか!」
クィッドの堪忍袋の緒が、ついに切れたらしい。彼は自身の腿を拳骨で打ち付けて怒りを露わにした。
レムルスがクィッドの腕に、そっと手を置く。
「余は気にせぬ。クィッド、お前はどう思う?」
「自分は……、陛下に解放していただいた身です。いまだ不自由な仲間たちについて、何かいう権利を持っていません」
「君は元奴隷なのかい?」
クルーセスが眉を跳ね上げる。クィッドは重々しく頷いた。
「だったら話は早いじゃないか! 彼にしたことを、みんなにしてくれれば良いんだよ」
「しかし、奴隷は余の持ち物ではない。それぞれの主人の持ち物だ。財産なのだ。それを余の一存で取り上げるなどすれば、多くの民の反感を買う」
「嫌われるのは、そんなに嫌かい?」
この言葉に、レムルスは少しムッとした顔をした。クルーセスはひらりと片手を振る。
「ならば奴隷たちは自らの力で鎖を引きちぎり、自由になるしかない。どちらも痛みを伴うことになるだろうけれど」
レムルスとクルーセスの瞳が、空中で火花を散らした。




