自由な虜囚
「フォル兄!?」
「よお、久しぶりだなクルト。いや、今のお前はクルーセス殿下か?」
息を吸い込む青年の様子を見て、濃褐色の瞳の男――フォレウスは、相手の額に素早く魔銃の銃口を当てた。
フォレウスは腰を折り、青年に顔を近づける。声を絞った。
「おっと、静かにしてくれ。お前さんに手荒なまねはしたくない」
青年はぎゅっと唇を引き結んだ。半眼になる。
「どうしてここが」
「ふはっ。俺んちの家業、お前さんも知ってるだろ? 親父がお前さんを、えらく心配してたぜぇ? 助けてやれってな」
「……」
クルーセスは片眉を上げた。動きはそれだけだ。
「よしよし、良い子だ。しっかし、見ない間に大きくなったなぁ! 見違えたよ」
「親戚か!」
ついついツッコミを入れた後に、クルーセスは平静を取り戻す。
「フォル兄は、……老けたね」
「うっせ!」
鼻を鳴らす表情を見て、クルーセスは少し微笑む。青年は肩の力を抜いた。
「僕を助けてくれるって、フォル兄が? 手伝ってくれるのかな」
「あー、そっちじゃないね」
フォレウスは立てた右手を左右に振った。銃口の狙いを胴へと下げたものの、いまだ相手に突きつけたまま、左隣に腰を下ろす。右手で青年の右肩をぽんぽんと叩いた。
友好的な態度に見えるが、その実、青年はがっちりと拘束されている。
「おじさん、こう見えて帝国の軍人さんなんだよね」
「フォル兄の一人称、今はおじさんなのかい? だから老けるんだと思うよ」
「うっせ!」
「ははっ、二度目」
クルーセスは肩を揺らした。フォレウスは深いため息をつく。
「悪いことは言わん。おかしな考えは捨てるんだ」
真面目な顔と声が向けられると、クルーセスは笑いを収めた。
「おかしな考え?」
「奴隷を解放するつもりなんだろ」
「おかしいかな?」
「ああ。そりゃあ無茶ってもんだ。彼らは今、帝国というシステムの中にがっちりと組み込まれている。帝国の前身、いやそれよりもずっと以前の魔法王国時代から、奴隷階級は常に社会に存在した。抜き取ろうったって簡単に抜き取れるもんじゃねえよ。仮に抜き取ったとしても、別の奴が代わりを引き受けるだけさ。それがわからないお前さんでもあるまい?」
クルーセスは口元に笑みを浮かべたまま、視線を落とした。返事はない。
「第一、解放した奴隷たちをどうするつもりだ? 彼らを食わせるだけの力が、お前さんにはあるのか?」
「僕だけでは無理だろうね」
「だろう?」
「でも、エステモント家の理想と、僕の理想はそう違わないのではないかい? 同じように考えてくれる人は、決してゼロではないんだよ」
「ゼロではない。存外正直だなクルト、いやクルーセスか。お前さんも、それが少数派なのはよくわかっているんじゃないか」
「うん。そうだね」
クルーセスは自嘲した。両手を膝の間で組み合わせる。
「でも、だからこそ、誰かが行動を起こす必要があると思わないかい? 当たり前だとされてきた常識に、一石を投じる。そこから波紋が広がり、人々は初めて、それまで盲目的に信じていた行動に疑問を持つんだよ。僕はまず、その一石になりたいんだ」
フォレウスは顔をしかめる。
「人が死ぬぞ。たぶん、お前さんも」
「そうかもね」クルーセスは息を吐いた。そして両手を見つめる。「フォル兄。君は知らないと思うけれど、僕の手はもう充分汚れているんだ」
「……。ザルツルードの封鎖のことか?」
「!」
「顔色が変わったな。それとも、ファルディアを扇動したことかな?」
クルーセスは答えない。じっと両手を見つめたままだ。
フォレウスにも確信があったわけではない。自身が覚えた違和感を元に鎌を掛けてみただけだ。しかしどうやら図星らしい。彼はさらに深いため息をついた。
「わかっているなら、これ以上汚すな。お前さん、聞けば凄い技術を持つ吟遊詩人らしいじゃねーの? どこへでも好きなところへ出かけて、人々を楽しませて、笑わせて、感動させて。そういう生き方は悪くないと思うがね?」
「それならどうして僕を生かしたりした?」
クルーセスの声が、一段低くなった。
彼の身体から、静かな怒りが放射されている。青年は顔を上げた。瑠璃色の瞳が、フォレウスを真っ直ぐに射貫く。
「自由や平等の理想と共に、葬ってしまえば良かったのに」
「お前……」
クルーセスはフォレウスの胸元を右手でつかんだ。
「だってそうでしょう? フォル兄の父は、僕の父の理想に共鳴した。だから自由と平等の種を守るように、僕を守ったんだ。それならば僕は、そのために生きなくてはならない。既に何も持たない僕が、生かされた意味。それは、亡き祖国の理想を継ぐことでしょう? 今も帝国で過酷な運命と共に生きる人々を、解放することでしょう? ねえ、違う!?」
「お、落ち着けって! ぅおっ!?」
フォレウスの手が緩んだ瞬間。クルーセスは彼の胸ぐらをつかんだまま素早く身を落とし、背負うようにしてぶん投げた。
フォレウスは完全に虚を突かれた。背中からまともに床に落ち、肺から息がたたき出される。
一瞬、気が遠くなりながらも本能だけで横転し、膝をついた。クルーセスは窓を押し開き、窓枠に乗っていた。片手にはリュートをつかんでいる。
フォレウスは銃口を向けた。
「ゴホ……ッ、待て!」
「撃つ気がないのなら、銃なんて突きつけなければ良いのに」
フォレウスは撃った。
しかし、魔力弾は窓から飛び降りる銀の影をかすめただけだ。
フォレウスはよろけながら立ち上がり、ベッドに乗って窓枠に片手をついた。銃口を下に向けながら覗き込む。建物の壁と、水路の切り立った壁が一体化して垂直の崖になっていた。乱れた水面が見えたが、陰になった水の奥は見通せない。
フォレウスは窓枠を叩いた。




