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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第五部 竜たちの碧空
301/350

荷運び

 小麦粉をパン屋に納品した帰り道。ニキビ面の男は周囲を警戒しながら、路地裏に荷車を押していった。

 緑色に塗られた木製扉の前に、荷車を止める。そして戸口を、三回、二回、三回とノックした。

 数秒ののち、頬の肉が垂れた陰気な男が、細く開いた戸の隙間から顔を覗かせる。

 二人は頷きあい、粉引き奴隷の方が背後の荷車を立てた親指で示した。

 陰気な男はまた頷き、一度奥に引っ込んだ。次に戻ったとき、男は大きな麻の袋を持っていた。ニキビ面はずっしりと重いそれを受け取り、両腕に抱えて荷車へと運んだ。戸口に戻ると、陰気な男は別の袋を差し出してくる。先の物と同じような袋だ。

 ニキビ面は何度か扉と台車を往復し、荷物を積み上げた。その間、全く会話を交わさない。

 作業を終えると、片方は何事もなかったかのように扉を閉め、もう片方は荷車を押して表通りへと戻っていった。


 奴隷の男は俯いたまま、道の端を通っていく。石畳を踏んで、車輪がガラガラと鳴り、両手に絶え間なく振動が伝わってきた。

 耳の奥で、心臓の鼓動がバクバクと聞こえている。気持ちが焦る。けれども男は、表面上は平静を装って、ゆったりとした足取りを心がけた。人に荷車をぶつけないように、慎重に進める。トラブルは最も避けたい。


 目的の水路が近づいて来たとき、向こうから二人組の兵士が歩いてくるのが見えた。

 粉引き奴隷は思わず左右を見回した。右に路地がある。一旦そちらへ曲がってやり過ごそうか。

 いや駄目だ。いきなり進路を変えたら、その方が怪しまれる。

 敢えて顔を上げ、堂々とした態度で荷車を押していく。

 おかしなものは何も運んでいない。

 納品に行くときの気持ちを思い出せ。

 しかし心音は、そう素直には騙されてくれない。


 兵士たちが近づいて来た。彼らの視線が、道の中央からニキビ面の男へと移り、荷車を捉える。

 二人は何か、会話を交わした。

 見るな。こっちに来るな。俺を気にするな。

 男は心の中で必死に念じた。


「随分と重たそうだが、何を運んでいるんだ?」


 兵士の片方が話しかけてきた。ニキビ面は、心臓が口から飛び出すかと思った。

 今、一番聞きたくない言葉だったのだ。

 愛想笑いを浮かべながら口を開こうとして、喉の奥が張り付いてしまったかのように言葉が出ない。うめき声のようなくぐもった音が出ただけだ。もう一人の兵士が、隣に並んでつまらなそうに荷物を見遣っている。

 ニキビ面は咳払いをした。


「これは兵士様がた。お役目ご苦労様です。主人の言いつけで、農具を研ぎに出しておりました。それを引き取ってきたところです」

「改めても良いか?」

「もちろんでございます」


 ニキビ面は荷車を固定し、自ら一番上の麻袋を開いて中身を見せた。なるほど、確かに中身は磨かれた農具だ。牧草をかき集めるのに使うフォークや、土を耕す鍬、スコップに鎌など。


「随分と沢山あるな」

「大きな農場ですので」


 嘘を重ねながら、ニキビ面は首が絞まってくる思いだ。こんな時のために、農場の名前は予め用意してある。できれば聞いて欲しくなかった。確認などされようものなら一巻の終わりだ。


「綺麗に磨かれているな。どれも新品みたいに刃先が鋭い」

「どこの研ぎ屋だ?」


 質問は予想外の方向だった。男は一瞬、頭が真っ白になる。


「ええと……、工房街の」


 工房街にはほとんど行ったことがない。暑さのせいではない汗が噴き出すのを感じた。手がべたつき、脇が濡れてくる。

 兵士たちは平坦な表情で見つめてくる。

 工房街の方を示した指先が、中をうろうろとした。


「その、行くときにも迷いまして」


 こめかみを汗が流れ落ちた。万事休すだ。


 そのニキビ面は、突然背後から腰を叩かれて飛び跳ねた。

 振り返ると見知らぬドワーフが立っていた。縮れた黒髪と、立派な髭を持っている。


「すまんすまん。釣り銭を間違えとったわい」


 ニキビ面は突然差し出された硬貨を、訳もわからぬまま受け取る。ドワーフが兵士たちを振り返った。


「わしゃあ工房街で農具専門の研ぎをやっちょるダンカンっちゅーもんじゃ。兵隊さんがた、何かあったのかの?」


 兵士の一人が「ああ」と言ったあと、農具にぽんと片手を置いた。


「もしも武器の手入れも出来るようなら、覚えておいて頼もうかと思っただけだよ。腕の良さそうな研ぎ師だと思ってね。農具専門とは残念だ」


 そして兵士二人は目配せし、「邪魔したな」と離れていく。

 硬貨を握ったまま放心していたニキビ面は、慌てて離れていく二人に頭を下げた。まだ心臓がバクバクしている。この数分のやりとりで、何年分も寿命が縮んだ気がした。

 漸く頭を上げたとき、兵士たちは影も形も見えなくなっていた。見知らぬドワーフが、つまらなそうに兵士たちの去った方を眺めている。


「あの、ダンカンさん、」


 何かを言いかけた男に、ドワーフは片手を立てた。


「そんな名は知らん」

「えっ?」

「わしとおぬしはここで会わんかったからの」


 ドワーフは言って、踵を返した。ニキビ面はぽかんと立ち尽くす。数歩進んだドワーフが振り返って、片手を追い払うように前後に動かした。


「はよ行かんかい」


 促され、奴隷は慌てて頷き、農具を包んだ麻袋を元に戻す。荷車の横棒に手を掛けようとして、硬貨を握り込んだままだったことに気づいた。

 しかし、振り返ったときにはドワーフの姿は人波に紛れている。男は首を傾げた。

 おそらくは彼も仲間なのだろう。それならばまた、会う機会があるはずだ。

 ポケットに硬貨を押し込み、男は水路へと向かった。次の運び手へ、武器・・を渡すのだ。

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