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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第五部 竜たちの碧空
300/350

難しい立場

 吟遊詩人は集めた人々の前で、亡国ダスディールの歌を次々に歌った。

 民謡に労働歌、英雄譚、恋歌、そして国歌までもを。

 ダスディールは二十年前、帝国によって滅ぼされた王国だ。民の多くは、帝国へと連れ去られて奴隷となっている。そのごく一部は既に市民権を買い取ることに成功し、帝都の民として貧しいながらも平穏に暮らしていた。しかし未だそのほとんどは奴隷身分だ。


 長らく故郷を忘れていた民の心に、歌は静かに染みこんだ。

 既に年老いた者たちも、かつて子どもだった者たちも、懐かしい過去に胸を突かれた。別れ別れになった友を想い、亡くした家族を偲び、静かに涙を流した。


『愛する者たちよ、私は帰ってきた

 共に立ち上がれ、来たる日に

 没した陽は再び昇り、雪が溶けて春が来る』


 国歌の調べにのせて上位古代語で歌われた歌詞を、ほとんどの民は理解できない。

 けれど呪歌ガルドルは、理解する必要がないのだ。

 人々の心は熱く揺さぶられた。

 特に失うもののない奴隷たちの心に、反逆の炎を灯した。


 ◇


 軍の建物の一室で、フォレウスはテーブルに両肘をついて頭を抱えていた。向かいには、壁に貼られた帝都の地図を前に、眉尻を下げるユークリスの姿がある。

 地図には何カ所か、赤い印がつけられていた。諜報部から上がってきたとある吟遊詩人の目撃情報を、日ごとにまとめたものだ。

 歓楽街に近い市街地や、新市街の端の方を中心に活動している。


「首謀者はソイツか」

「髪色を変えているようですが、歌で民衆を扇動する手口からほぼ間違いないでしょうね」


 ユークリスは右手に持っていた指示棒を、左の掌にとんとんと打ち付けた。


「彼にはスティグマータの逃亡を幇助した嫌疑も掛かっています。居留地の門番に似顔絵を見せたところ、来訪者の一人に似ていると証言がありました。スティグマータの行方は依然として不明です。皇帝陛下は先頃、捜索を打ち切る決定をなさいました。来る祝賀行事に対する備えに全力を注げとのことで」

「まあ、そうなるわな」


 フォレウスが顔を上げ、右手の上に顎を載せた。目の下に隈ができている。ここ数日、忙しくて余り睡眠時間を取れていないのだ。


(奴隷の存在は絶対に許せないってか。とっくに亡くなった国の矜持を、寝た子を起こしてまで貫こうとするのは、なんでなんだろうねぇ?)


「拘束しますか?」


 ユークリスが手を止め、尋ねた。既に準備は整っているということだろう。

 フォレウスはうーんと唸って沈黙する。



 実はフォレウスの出身家であるエステモント家と、ダスディール王家には秘密の繋がりがあった。

 帝都随一の奴隷商人と、奴隷制を忌避する王国との繋がりなど、誰も想像していなかったに違いない。ダスディールが滅亡の憂き目に遭ったとき、王家から密かに一人の王子が逃された。それが当時七歳だったクルーセスだ。代わりに、病死した似た背格好の子どもがクルーセスとして埋葬され、王家の血は根絶やしにされたと信じられた。


 その王子をかくまったのが他でもない、エステモント家だったのである。

 十五歳だったフォレウスには、何も知らされなかった。孤児となった遠い親戚を預かった、というような説明だった気がするが、良く覚えていない。相手のやんごとない雰囲気から、即座に嘘だと見破っていたからだ。

 フォレウスはその頃、家族とはぎくしゃくしていた。不信を募らせたものの、敢えて深く聞くことをしなかった。ただ、クルトと名乗った子どもとは幾らか親しく交流し、望まれるままに初歩的な体術を教えたりもした。

 その翌年に、フォレウスは家を離れて軍属となる。クルトとはそれきりで、時折思い出す程度だった。


 ところが先日、実家に帰ったときのことである。久しぶりに会った父親から、開口一番「クルトの力になってやってくれ」と言われたのだ。

 久しぶりに会った息子より、他人の子どもが大事なのかと少々カチンとしたものの、話を聞くにつれフォレウスの頭から血の気が引いた。

 それは、家業に対するエステモント家の真の狙いを悟ったとき以来の衝撃だった。


(親父の大馬鹿野郎。下手したら国家反逆罪だぞ……)


 本当に頭が痛い。

 だが今ならわかる。父親は父親で、彼の信ずる正義に従っているだけなのだ。

 金の亡者。冷血漢。魂の売人。帝都一の奴隷商。

 父はどんな毀誉褒貶きよほうへんも甘んじて受け入れ、何ら反論をしなかった。息子から冷たい態度を取られても、言い訳一つしない。いつかわかると思っていたに違いない。

 実際にフォレウスは、やがて父の真意を理解するに至った。その時、それまでの態度をどれ程恥じ入ったか。お陰で実家の敷居は今、とてつもなく高い。


 フォレウスの父親は、奴隷制度に反対なのだ。逆説的だが、彼はそのために奴隷商をしている。

 エステモント家は前皇帝ウェスヴィアが他国を滅ぼす度、財の許す限りの奴隷を買い占めた。そして彼らに高い教育を施し、高額で売りさばくということを繰り返したのだ。

 教養や礼儀作法を身につけた奴隷には市場で高い値がつけられるため、買主に大切にされる。その上、技能を持つ奴隷は、例えその売却価格が高かろうとも、技能を持たぬ奴隷に比べて短期間で自らの身を買い戻すことが出来た。

 エステモント家の奴隷というブランドは、既に市場で確立されている。他の奴隷商からはやっかみもあって「金の亡者」と陰口をたたかれているが、当の奴隷たちからは――結果的には――感謝と尊敬を寄せられた。

 父は父のやり方――すなわち、誰も不幸にならないやり方で奴隷を解放していたのだ。


 皇帝が代替わりしてからは、市場に出回る奴隷を買い入れて同じ事をしているが、先頃、ファルディアとの戦で彼らを奴隷に取らなかったと聞き及び、父親は「家業に先が見えてきた」と喜んでいた。


(家業がなくなって喜ぶ当主が、どこの世界にあるってんだ。ったく)


 フォレウスは呆れに呆れた。そして同じくらい、父を尊敬した。



「フォレウスさん?」

「ん? あ、ああ。悪ィ。寝てた」

「寝てた……!?」


 ユークリスは目を丸くした。

 フォレウスはばつの悪そうな笑みを浮かべる。


「事が大きくなる前に首謀者を拘束するのが良いだろう。週末には姫さんが輿入れしてくる。何かあってからでは遅いからな」

「……。そうですね」


 ユークリスは上官にじっと視線を注いだ後、迷うような口調で同意する。フォレウスは内心、落ち着かない気持ちになった。

 当然だがユークリスには、エステモント家とダスディール王家の繋がりを告げていない。吟遊詩人の正体が、生き延びていた亡国の王子クルーセスだとは思いもよらないだろう。


(いや……。コイツのことだ。もしかしたらある程度まで感づいているかも知れんな)


 ユークリスは仲間内から”覚りの悪魔(ダンタリオン)”と呼ばれるくらい、勘の鋭い男だ。本人に言わせれば、それは決して勘などというあやふやなものではなく、集積された情報から導きされる単なる結論らしいが。


「貴方のことですから、”もう少し泳がせよう”とおっしゃるかと思っていました。まだあの吟遊詩人に関してはわからないことが多いようですので。それとも既に何か、つかんでいるのですか?」


 フォレウスは表情を動かさぬようにすることに全神経を集中した。


「うんにゃ、別に。ただ、泳がせるだけの日にちが残ってないと思っただけさ」


 ユークリスは微動だにせず、藍鉄色の視線を注いだが、やがて小さくため息をついて同意する。

 フォレウスは片手を挙げた。


「まあ、チャチャッととっ捕まえて、本人から話を聞けば良いだろ。尋問は俺に任せてくれ」

「わかりました」


 ユークリスはこの言葉に何か思ったとしても、口にも態度にも出さなかった。



 それから間もなく、吟遊詩人を捕らえるべく兵士たちが広場へと向かった。しかし兵士たちは空手で兵舎へと戻ってきた。

 取り逃がしたのかと詰め寄る上官に、兵士たちは異口同音に答えた。


「初めは取り押さえようと思ったのですが、そういう雰囲気ではなかったのです」


 雰囲気とはどういうことだと尋ねても、そうとしか言えない、と兵士たちは困惑する。


 すぐ近くで報告を聞いていたフォレウスとユークリスは、顔を見合わせた。二人にはこれが、なんらかの呪歌の影響であるとピンと来た。


「これは」

「思ったよりやっかいだなァ」


 フォレウスはユークリスに向き直り、右手で腿の銃を叩いた。


「そういうことなら、俺が直接行ってくるわ。人数を連れていっても意味はなさそうだしねぇ」

「ええ。貴方が適任だと私も考えます。いろいろと?」


 ”いろいろ”にどこまでの含みがあるのかわからなかったので、フォレウスは肯定も否定も出来ない。彼はただ、両眉を持ち上げて肩をすくめた。

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