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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第五部 竜たちの碧空
299/350

新たな姿

 明けて翌日。


「い、いいか。やるぞ」


 黒竜姿のシャイードは、温泉湖の岸辺に腰掛けてそう言った。

 アルマは鼻を鳴らす。


「そう口にして何度目だ。さっさとやるがよい」

「だってなあ。心の準備が……!」


 シャイードは胸に手を当てる。フォスがすぐ傍をうろうろと飛んだ。シャイードは激しい心音を抑えようと、深呼吸を繰り返す。

 今朝ももうもうと立ちこめる湯気で、周囲は白く塗りつぶされていた。


「よよよ、よし!」


 心を決め、目蓋を閉じる。

 脱皮が完全に終了して、これから初めて人間の姿を取るのだ。


(格好いい青年姿、格好いい青年姿、渋い大人でもいいぞ!)


 真っ先に思い描いたのはイヴァリスの姿だったが、髭を生やし、もう少し年上にしたところをイメージした。兄らしく。

 そしていつものように、ドラゴンの身体を折りたたんでいく。


 人の姿になった。

 変わらず岸辺に腰掛けた姿で、シャイードは固く目を瞑っている。両手も両足も、ぎゅっと握り込んでいた。


「……ほう。これが汝の新しい姿か」


 すぐ傍で、アルマの声がした。シャイードの目蓋が閉じたまま、ぴくっと動く。


「ど、どうだ? 格好いいか?」

「我には何とも言えぬ。汝の求める”格好いい”が、よくわからぬゆえ」

「お前はそういうやつだよな」


 シャイードはため息をつき、意を決して目蓋を開いていった。片方ずつ。

 そしてまず、両手を見下ろした。


(さほど違和感はないな。もっとも、手なんてそうでかくなるもんでもないか。手足は長くなった……気が? するぞ!)


 続いて湖を覗き込んでみるが、沸き立つお湯は鏡代わりにならない。

 結局、ボディバッグから探索に使う手鏡を取り出した。

 鏡面を見る前に何度か深呼吸をして、それから勢いよく覗き込む。


「……っ!」

(……ん?)

「……」

(あれ?)


 シャイードは何度か鏡を近づけたり遠ざけたりして覗き込み、意味もなく上下に振ってみた。

 アルマを振り返る。


「なんか、鏡の調子が悪いみてぇなんだけど」

「どういう意味だ? 写らぬのか?」

「いや」シャイードは首を振る。「俺が写ってる……」


 アルマは隣にしゃがみ、シャイードの額に手を当てた。目を閉じて首を振る。


「やはりアホの子になっておったか」


 シャイードはその手を振り払った。


「いや待ってくれ! なんで、……なんで顔が変わってねえんだ!? 背は伸びたのに……」

「背も伸びておらぬであろう」

「いや、伸びてるだろ! 現に手足が長くなっている……あれ?」

「なっていない」


 シャイードは目を擦った。さっきは長くなっているように見えたが、断言されると気のせいに思えてきた。

 いや、完全に気のせいだった。


「待て……っ!」

「誰に言っているのだ」


 アルマは首を傾げる。別に置いていこうとしていなかったからだ。


「話が違うじゃねえか! 脱皮したら大人のドラゴンになるんじゃなかったのか?」


 シャイードはアルマの胸ぐらをつかみ、がくがくと揺すった。


「成竜になれば、と言ったであろう」


 揺すられて、アルマの声には後付けのビブラートが掛かった。


「なってねえの!?」

「ドラゴンが何度脱皮したら成竜になるのかなど、我は知らぬ。本に書いてなかった」


 シャイードはショックを受けた顔で手を離し、がっくりと肩を落とした。フォスがゆっくりと飛んできて、その頭の上に乗る。ぽんぽんと跳ねた。


「なんでだよーーーーっ!!」


 温泉湖に、絶叫が響き渡った。


 ◇


 身体は元気になったものの、心に大きなダメージを負ったシャイードを、アルマはなんとかなだめすかし、イ・ブラセルへの門を開かせた。

 フォスはしばらく頭の上で跳ねていたが、今は静かに乗っている。


 妖精樹はひと月半前に見た時よりも明らかに枝葉を増やし、丈も伸びていた。ロロディとローシを初め、”さいけん”で手伝っている妖精たちのお陰だ。

 ロロディはシャイードの姿を見るなり、駆け寄って際限ないお喋りを開始し、ローシはそれをいさめる。

 本来ならばほほえましい風景なのだが、やさぐれた気分のシャイードは、むっつりと黙り込んでいた。果ては順調に成長する木にさえ嫉妬してしまう。


「俺はちい、……変わらないままなのに」


 アルマはシャイードがうっかり”小さい”と言いそうになったことに気づいたが、突っ込まないでおいた。精一杯の優しさだ。

 シャイードは近づいて妖精樹の幹に指先で触れた。



『…………ド……』

「えっ」


 すぐ傍で誰かに声を掛けられた気がして、手を離す。振り返って仲間たちを順に見つめたが、誰も口を開いていない。

 ロロディすら、目を大きく開いていても、口は噤んでいた。


(まさか)


 最後に、妖精樹を見上げる。今度は両方の掌を幹に当てた。


「……」


 何も起きず、気のせいだったかと思い始めたとき。


『シャイード?』

「!」


 確かに声が聞こえた。声は、頭の中で響いたように思う。

 しかもどこか、聞き覚えのある声だ。舌足らずで、幼い。誰の声だったか……


『わたし、あなたを感じる』


 シャイードはハッとした。木に取りつき、左耳を幹に当てた。


「その話し方……! お前、イレモノか!?」

『そう、かも……? でも、違う』

「シャイード、妖精樹の声がわかる?」


 一歩近づいたロロディが、シャイードのマントの裾を引いた。シャイードは困惑しながら耳を離した。振り返って頷く。


「妖精樹っつーか、死んだはずのやつの声が聞こえるんだが」

『わたし、死んだ?』

「覚えてねえのか?」


 問いかけに返事はない。


「おーい? イレモノ?」


 シャイードは両手で軽く幹を叩いたり、耳を当てたり離したり、梢を見上げたりした。


『シア』


 再び声が聞こえた。


「しあ?」

『わたし、の、名前。最初の』

「そうなのか。お前、奴隷だっつってたもんな。つーか、勝手に名前まで変えられてたのかよ!」


 シャイードの心に、今さらながら彼女の主たちへの憎しみが浮かんだ。眉間に皺が寄り、眼が鋭く細められる。


『ひぅ!』


 妖精樹からか細い悲鳴があがった。シャイードからは見えなかったが、数枚の葉がしおれて茶色く変色し、風もないのに散り落ちる。

 ローシが慌てて一歩踏み出した。


「こりゃ! 何をしておる!」


 地妖精は持っていた杖の頭にシャイードの脇腹を引っかけ、手前に引き寄せた。シャイードはバランスを崩して背後に尻餅をついてしまう。フォスは直前に、ふわりと浮き上がっていた。


「ってーな!! なにすんだ、いきなり!」


 シャイードは怒りにまかせて立ち上がった。アルマはその様子を、一歩引いたところから観察している。

 シャイードはローシを睨んだが、小柄な地妖精はまったくひるまない。落ちた枯葉を拾い上げ、彼へと突きつけた。

 シャイードは気圧されて、顎を僅かに反らせる。今の悲鳴と枯葉は、すぐに結びついた。


「妖精樹に負の感情は御法度じゃぞ。特に、この木はまだか弱いんじゃ」

「そうだよ、シャイード。オイラたち、大事に育てているんだ」

「うっ……」


 二人に畳みかけるように言われ、シャイードの怒りは罪悪感に変わる。

 彼らはシャイードが燃やした妖精樹を、元に戻そうと手を尽くしてくれているのだ。知らぬこととは言え、その努力を踏みにじるようなことをしてしまった。

 シャイードは唇をへの字にし、視線を逸らす。一度、息を吸い込んで吐き出した。


「今のはまあ、俺が悪かった。気がする。……すまん」


 シャイードは胸に激しい屈辱を覚えながら、それを理性で押さえつけて謝った。こうするのが正しいと頭ではわかるが、感情は全力で拒んでくる。両手はきつく握られた。

 しかし彼はなんとかやってのけた。

 ローシはもさもさの眉毛を上下に動かした。


「いや、先に言っておくんじゃったの。わしの思慮も足りんかったわい」

「オイラ、シャイードにわかって貰えて嬉しいよ!」


 彼らが次々に言葉を返すと、シャイードの心のもやもやは温水に沈めた氷のように溶けて消えた。

 アルマは片手を顎に添えて無言で眺めている。シャイードは小さく息を吐き出した。


(やっちまえば大したことねえのに、どうして謝るのは毎回、難しく感じるんだろうな)


 シャイードは一度目を伏せた後、妖精樹に向き直った。両手を摺り合わせてから、恐る恐る幹に触れる。


「悪かったな。イレモ、……シアだっけ?」

『もう平気。シャイードの心、穏やか』

「ああ」

『シャイード、悪くない。わたしのため、怒った。そうでしょ?』

「べ、べつに、そんなんじゃねえけど!」

『ふふっ。つんでれ』

「なんて?」


 シャイードは瞬いて、聞き逃した言葉を拾おうとした。しかし、妖精樹は黙ったままだ。ただし今度は、ころころと楽しげな震動が伝わってくる。梢が心地よく揺れていた。

 笑っているのだろう。

 シャイードはわざとらしく唇をとがらせて鼻息を荒くしたが、今度のはただの照れ隠しだ。

 笑いが収まると、妖精樹は改めて『シャイード』と彼の名を呼んだ。


『わたし、あなたに、助けてほしい。お願い、いい?』

「うん? なんだ、水が欲しいとかか? 時間の掛かることなら、今はちょっと難しいぞ」

『ううん。助けてほしいこと、シャイードのやろうとしてることと、同じみち』

「どういう……」

『厄災。封印したいの』

「!!」

『わたし、たぶんそのために、戻ってきた。ちから、ぜんぜんたりない、けど。シャイード、助けてくれれば、たりる。きっと』


 妖精樹はシャイードの脳裏に、雪山のイメージを送った。

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