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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第五部 竜たちの碧空
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竜の癒やし場

 ガアッ!!

 突然、誰かが叫んだ。


(うるせえな……。誰だよ夜中に)


 シャイードはぶるりと震え、目を閉じたまま毛布を探した。ちゃんとくるまっていた。おかしい。


(なんか、寒ぃ)


 ベッドがやたら硬い。枕もないし、こめかみが冷たい。それに妙な臭いがする。

 嗅いだことのあるような、ないような。

 シャイードはすんすんと鼻を動かした。


(これは獣臭、か?)


 それにしても本当に寒い。だんだん腹が立ってきた。シーツが濡れているんじゃないか。

 目蓋を持ち上げようとしたが、開かない。縫い付けられている。


(!?)


 驚いて目を擦った。パリパリとした感覚があって、やっと目蓋が開いた。最初は視界がぼやけている。目の表面に透明な膜が張ったように。

 数メートル先で、光が踊っている。見ているうちに、徐々に焦点が合ってきた。フォスだ。

 光源の移ろいに合わせて、周囲を取り巻く岩壁では巨大な影が、右へ、左へ、激しく動き回っていた。


(岩壁?)


 なんだそれは、どこだここは? シャイードは首を持ち上げる。首から下はまだ怠惰で、動きたくないと主張している。寒い。

 フォスの傍では、アルマが左手に小剣フラックスを持って立っている。白い獣と対峙していた。

 白熊? 大きさはそれくらいだが、もっとほっそりしている。口からよだれが垂れ下がっていて、……良く見ればよだれではなく牙だ。


(サーベル……、いや、アイシクルタイガーか!?)


 氷のように透明な牙をもつ、雪原の魔物だ。となると、どうやらこの洞窟はアイシクルタイガーの住み処らしい。


(なんで俺、そんなところに!?)


 シャイードは混乱した。夢を見ているのかとも思ったが、身体に感じる寒さも、濡れた硬い岩の感触もリアルだ。

 アルマに飛びかかろうとする猛獣の鼻先で、フォスが閃光を放った。猛獣は鬱陶しそうに、前肢でフォスを払おうとする。余りひるんでない。もう何度か、同じ閃光を喰らっているのかも知れない。

 フォスがまた光った。

 ガアーーーーッ!

 いらだたしげな咆哮が洞内に響く。猛獣が突進した。アルマに向かって大きく口を開ける。


(危ない!!)


 シャイードは思ったが、身体が動かない。次の瞬間、猛獣の顎はアルマの右腿をがっちりと捉えた。シャイードは思わず目を瞑る。

 アルマは悲鳴を上げるでもなく、苦痛に呻くでもない。シャイードが片方だけ目蓋を開くと、アルマは眉一つ動かさぬいつもの冷静さで、アイシクルタイガーの首筋に剣を突き立てていた。

 派手に血しぶきが上がり、アルマの白い顔と髪を赤く染める。アルマは無表情で、何度も猛獣の首に剣を突き立てた。猛獣が力任せに身体を捻り、顎を振り回した。脚をくわえ込まれていたアルマはたまらずに転倒する。その手から、剣が飛んだ。

 アイシクルタイガーはアルマの脚を放し、仰向けに倒れ込んだ彼の腹に太い前脚を乗せた。

 アルマは大の字になり、獣の赤く染まった毛を見上げているばかりだ。


(なんで魔法を使わないんだ?)


 シャイードは何とか身体に力を入れようとする。両腕は動くが、それ以外は駄目だ。自分の身体ではないかのように、言うことを聞かない。

 アルマに乗り上げた獣は、脚がふらついている。首から大量に出血している。先ほどの攻撃がかなり効いているようだ。弱っている。しかし口を大きく開いた。

 ヤバイ。


「ふ……、フラックス!!」


 シャイードは愛剣を呼んだ。アルマの手から吹っ飛んで床に落ちていた流転の小剣(フラックス)が、浮き上がり、シャイードに向かって飛んでくる。シャイードは右手を大きく持ち上げ、位置を調整した。

 魔法剣の切っ先が、今にもアルマの喉笛に噛みつこうとしていたアイシクルタイガーの鼻根をかすめた。

 眼球を切り裂かれ、アイシクルタイガーが苦痛に大きくのけぞる。


 シャイードは剣をキャッチすると、それを魔獣の身体に向かって力任せに投げた。

 剣は左の脇腹に深く刺さった。それを最後に、アイシクルタイガーはどうと倒れる。

 シャイードは転がったまま、大きく息をついた。凄く寒い。眠い。身体がだるい。

 目を閉じてごつごつとして濡れた地面に、起こしていた首を横たえる。


(身体中がズキズキするし、ムズムズする。すげえ腹が減った)


 息が整ってくると、再び眠気が襲ってくる。

 寝落ちする寸前、傍に引きずる足音が近づいて来たので、半分だけ目蓋を開けた。アルマのブーツのつま先が見える。そしてしゃがむ気配。背後からフォスが近づいて来て、彼の姿が逆光からサイド光に変わった。


「怖えよ」


 アルマは返り血で血みどろだ。彼は小剣をシャイードの腰の鞘に収めた。


「アホの子になったか?」

「何の話だよ!?」


 起きていきなりアホ呼ばわりされ、シャイードはむかっとして一挙に目が覚めた。


「チッ。お前のピンチを救ってやったっつーのに」

「いや」とアルマは首を振る。「奴を倒したのは我だ」

「俺だったろ!?」

「我だ。奴は致命傷を受けていた。我を噛む力は、残っていなかった」

「もう、助けてやら……ゴホッゴホゴホ」


 シャイードが咳き込む。アルマは主の背中に手を入れ、上体を持ち上げた。息が楽になり、咳が止まる。


「一足す一は?」

「……三」


 アルマは鼻でため息をついた。


「冗談だよ。わかれよ」

「起きられるか?」

「……。眠らずにいられるかという意味なら、肯定。身体を起こせるかという意味なら、否定」


 アルマは小さく頷いた。シャイードの片腕を肩に掛けて背を向けた。立ち上がる勢いで、背中に負う。


(血なまぐせえな)シャイードは鼻に皺を寄せた。(けどまぁ、……温かくはある)


 シャイードはアルマの体温に目を閉じる。眠ってしまいそうだ。何か話していないと。


「ここ、どこ?」

「ビオルネー山脈の北方の洞窟」

「……。フロスティア?」

「知っているのか」

「名前くらいは。そういや、イヴァリスを追って海の上を飛んだし。あれは多分、サーペンタ海だろうから」

「うむ」

「なんでこんなとこ、歩いてるんだよ」

「なりゆきだ」

「なりゆきってお前」

「だが目的地は決まっている」


 アルマは片足を引きずっている。シャイードは眉根を寄せた。


(かなり深く噛みつかれていた気がしたが、痛くないのか? 出血は?)


 アルマの言葉や息づかいに、苦痛の気配はない。先行するフォスを追って、冷えた洞窟を進んだ。道は上り坂になっているようだ。アルマは濡れた面を上手く避けて、岩から岩へと足を運んでいる。慣れている。このような道を、どれくらい進んできたのだろう。シャイードは背後を振り返ったが、倒れたアイシクルタイガーの血まみれの白い毛皮が、闇の向こうに溶けようとしていた。

 牙を剥ぐんだった、と思った。高く売れるだろうに。しかしシャイードにその力は残っていなかったし、アルマの力でははなから無理だろう。


「で?」

「む?」

「いや、目的地ってどこだよ。なんで思わせぶりに会話を打ち切るんだ」

「問われなかったから」


 シャイードはため息をついた。こういう奴だ。


「竜の癒やし場を目指しておる」


 アルマは答えた。シャイードの目蓋が持ち上がる。


「竜の癒やし場?」

「うむ。山に囲まれた雲の塊が、空から見えたのだ。正確には、フォスが見せてくれたのだが。そこにいけば、或いは汝の不調も怪我も、治ろうかと思ってな」

「俺の、……ため?」

「他に誰がいる。おかしな事を問う奴だ」

「どれだけ……、いや」シャイードは視線を泳がせ、質問を変えた。「お得意の魔法はどうしたんだよ」

「イヴァリスに前の肉体を燃やされた時に、魔力を全て失ってしまった」

「なん……だと」

「今の肉体は、改めて汝から魔力を奪って作った。それに禁を破り、汝の血晶石も食べた。……とがめるか?」


 また勝手に、とシャイードは腹を立てた。

 許さないという言葉が反射的に喉まで持ち上がった。だが口を開いてすぐに噤む。

 何か引っかかりを感じた。そうだ。最後の言葉が棒読みではなかった。

 咎めるか?

 猛獣の鼻先に腕を差し出し、喰われるかどうか試しているような。畏れと祈りが混じっているような気配があった……気がする。

 気のせいかも知れない。

 シャイードはふう、と息を吐き出した。

 怒りはすぐに沈静化した。腹の辺りだけ、温かいせいかもしれない。それにこの状況を見てなお、駄目だと言うのは余りに狭量だ。ふんと鼻を鳴らした。


「それが最善だったんだろ。仕方ねえ。許してやる」

「ふ……、尊大だ」


 アルマは鼻で笑ったようだ。

 シャイードは口端を持ち上げる。今、とても正しい選択をした気がする。

 向かい側から、湿った空気が流れてきた。微かに混じる、つんと鼻をつく独特の匂い。


「もうすぐだ」


 前方が白く霞んでくる。とても濃い霧だ。外気の流れと共に、渦を巻いた。洞窟の出口が見えてくる。


「着いた」


 視界には初め、覆い尽くす濃い雲海しか見えなかった。空の上にいるのかと錯覚する。風が吹いて空気が揺らぐと、雲に隙間が出来、その下に水面が見えた。

 湖がある。泡立つ水面から、絶え間なく雲が――湯気が生まれ出でていた。

 周囲に立ちこめる腐った卵の匂い。熱気。木は一本も生えておらず、雪も見当たらない。むき出しの岩は丸みを帯びていて、クリーム色をしていた。所々、彩度の高い黄色に染まっている。


 ――竜の癒やし場は、巨大な温泉だった。

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