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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第一部 遺跡の町
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殲滅

『……ヴァアール、ハヴァト、アヴェリウム。シレオソノ、ネゥラ、ミネウェール……』


 アイシャの声で、歌うような抑揚のついた言葉が背後から聞こえた。

 アルマが、何らかの呪文を詠唱しているのだ。


(なにする気だ!?)


 この狭い場所、燃えやすい本に囲まれていること、味方が入り乱れていること、ちゃんと考慮に入れているのだろうか。

 シャイードは一挙に不安になる。


 気の逸れた隙を、大蟻は見逃してくれなかった。

 胴体を狙ってくる大顎の一撃を、シャイードはわずかに遅れてガードする。


「……つっ!」


 短刀の背ではじくつもりが、右腕で一撃を受ける羽目になる。

 不意だったため、皮膚の鱗化もできなかった。

 力は向こうの方が強い。

 シャイードは顔をしかめ、倒されぬように相手へと体重を掛けながら、大蟻の顎の下にニーキックを叩き込んだ。

 大顎が開いた隙に腕を引き抜き、さらに左手に持ったクロスボウの柄で蟻の複眼を殴る。


 片眼の視界を奪われたことで敵がひるみ、数歩後退した。

 右腕がしびれている。

 見れば傷口が、のこぎりで切られたようにぎざぎざだ。

 肉が削がれ、鋭利な刃物で切られるよりも痛い。


(虫けらごときが、この俺に……っ!)

 誇り高い竜の本性が、怒りを感じる。

 怒りにまかせて何もかもをぶちこわしてしまいたくなる自分を、理性が必死に制御した。


(まずいな……)

 下がった大蟻の脇を抜けて、別の大蟻が迫る。

 シャイードのこめかみから、汗がしたたった。



『……ハセキュール、デァ、るりむ=しゃいこーす!』


 たーんっ、と戦斧の先端が床を打つ音がした。


 直後、脳髄に直接響くような高音の耳鳴りに襲われる。

 空間が歪んだように感じ、シャイードはふらついた。

 そこに大蟻が殺到する。右腕を持ち上げようとするが、身体が言うことを聞かない。


(間に合わない……!)


 その時、何かがシャイードの身体をすり抜けた。

 ぞっとするような存在感に、うなじの毛が一斉に逆立つ。

 歪んだ視界の中に見えたのは、白い大きな山。


(いや、……白蛆!?)


 倒したはずの白蛆の姿だ。それが幻のように書架の景色と重なって見える。

 白蛆は頭の円盤を振りかぶり、前に突き出した。

 白い冷気が吹き荒れる。こちらは幻ではない、現実の氷嵐だ。

 書架が、大蟻たちが、壁や床が、あっという間に白い地獄に塗り変わっていった。

 声なき声で猛り狂った後、白蛆は空間のひずみに折りたたまれるようにして消えていく……。


 一瞬の出来事だった。


 シャイードは自身も凍り付いてしまったかのように動けずにいた。なにが起こったか、理解が追いつかないのだ。


(白蛆はどこに行った!?)

 消えたのを目撃したはずなのに、瞳がせわしなく動いて敵の姿を探す。


「おい」


 その時、背後から肩を叩かれ、心臓が跳ね上がった。


「いつまでぼーっと突っ立っておるのだ。早く脱出口を調べるのだ」


 振り返るとアルマだ。

 その向こうでは兵士たちも、突然凍り付いた部屋の様子にすくみ上がっている。

 白蛆と対峙したときの恐怖を思い出していることは、想像にたやすい。

 フォレウスだけは恐慌状態から自力で回復したらしい。既に魔銃をホルスターに納め、書架に左の前腕を当てて身体を支えていた。

 右手をまぶたの辺りに添え、うつむいて頭を振っている。

 シャイードは辺りを見回し、脅威となるものがすべて凍り付いていることを確認した。

 右手に持っていた短刀を、鞘に収め、肩の力を抜く。


「今のは、召喚魔法か……?」


 頭を上げたフォレウスが、アルマに尋ねた。

 アルマは考え込んだ後に少しだけ首を傾げ、


「………。汝らの使うそれとは原理が違うが、まあ、似たようなものだ」


 曖昧な言い方をした。

 フォレウスは怪訝な顔をした。新たな疑問が浮かんだようだが、アルマはそれ以上説明するつもりはない様子で、シャイードの脇をすり抜けようとした。


「良いから早く……」


 そこでアルマは足をもつれさせる。

 倒れ込みそうになる身体を、すぐ傍にいたシャイードがとっさに支えた。


「チッ。なにやってんだ、どんくさいな」


 少女の腹の下に入れた右腕がずきずきと痛み、シャイードは顔をしかめた。

 それなのにアルマは、バランスを取り戻すどころか、全体重をシャイードの腕に掛けてくる。


「おいっ、いい加減に……」


 文句の一つも言ってやろうと語気を強めた時、ガラン、と大きな音がして、彼女の手から戦斧が滑り落ちた。


 アルマは気を失っていた。



「は!? おい、アルマ? どうしたんだ、アルマ!?」


 シャイードは腕の痛みを堪え、彼女の身体を床に下ろして片膝をつく。

 床は先ほどの魔法で凍り付いているのだが、腕に限界が来て彼女を落としてしまうよりはましだ。


「どうした! 怪我でもしたか?」


 異変に気づいたフォレウスがそばに寄ってくる。

 無言で外傷を探していたシャイードは顔を上げて首を振る。


「いや、……目立った外傷はない。気を失っただけのようだ」

「なんだそうか。まあ、あれほど大きな魔法を使えば、普通そうなるわな……」


 シャイードは小さく頷いた。


「むしろ、魔法の素養がないただの少女が、あれほどの大魔法を行使できた方が驚きだ」


 アイシャの身体は、規則正しい呼吸をしていた。ただ、顔色は青ざめている気がする。

 精神的疲労が溜まって、寝落ちしたようなものだろうか。

 魔法を使ったことがないシャイードには、想像するしかない。


「というか、怪我はお前さんの方じゃないか。どれ、見せてみろ」

「いや、……いい。すぐ治る」


 シャイードはマントの下に右腕を引っ込めた。


「シャイードぉ? 怪我を放置して良いことなんて、一つも無いんだぞ。お前さんならそれくらい、分かってるだろ」


 身をかがめ、片手を差し出すフォレウスだったが、シャイードは鼻を鳴らしてそっぽを向く。


「脆弱なお前らと一緒にするな。俺の身体は俺が一番分かってる。俺より、アイシャの手当をしてやってくれ」


 シャイードは立ち上がり、大蟻たちの氷柱をすり抜けていった。フォスがその後を追っていく。


 フォレウスは肩をすくめて息を吐き出す。


「ドラゴンは高慢な種族だと言うが。……ま、俺にはただのガキにしか見えねぇな」

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