届かぬ思い
レムルスの決定は速やかにフロスティア王家へと伝えられ、結婚式の日取りは次の満月と定められた。昨日が新月だったので、およそ二週間後のことである。
結婚式の六日前に、エローラが入都する。その際に盛大なパレードが行われ、民衆に対して彼女がお披露目される予定だ。結婚式当日の王城に客として入れるのは、各国から招待された王族や貴族のみである。
決定から当日まで間がないように思えるが、実のところ水面下では長らく準備が続けられていたのだ。フロスティア王家としては、帝国に圧力をかけたい意向があったのだろう。先方は決めるべき事を決め、準備も整え終えている。あとはレムルスが肯んじるのを待つのみだった。
一方の帝国側は、もう少し忙しい。レムルスの背丈に合わせて婚礼衣装を直すことと、招待客の選定を若干修正するほか、策定された警備計画に基づき、兵士たちを実地訓練する必要があった。
祝祭はパレードを初日とし、結婚式を最終日とする七日間。既に公示人を遣わして、都民には祝祭の日取りを触れさせていた。近隣の村落や町へも布告している。
稼ぎの匂いをかぎつけた旅芸人一座や吟遊詩人たちが、続々と都入りしているということだった。
その夜、レムルスは寝付けず、クィッドのみを伴って小塔へ上っていた。狭間胸壁に片手を添えて帝都を見下ろす。塔の外壁を吹き昇る風が、淡い金色の髪を肩の上で踊らせた。
天にも地にも、沢山の光が煌めいている。
(僕の肩に乗る光――)
それはとても美しいのに、レムルスには脅迫的に見えた。
人が集まれば集まるだけ、その利害はぶつかる。レムルスは短い治世の間に、既に思い知っていた。
(この祝祭を機に、事態が良い方向に転がってくれるといいのだけれど)
結婚式当日は当然、各国・各都市から要人が帝都に集まってくる。式典後は城内にて、結婚披露のパーティーが催される手筈となっていた。レムルスはこれを外交の好機と捉えている。
話すのは得意ではない。だが話し合わなくては、相互理解には至らない。互いに対する不寛容と疑心暗鬼で、戦乱に至るなどあってはならない。
レムルスには一つ、その場で表明したい考えがあった。
(ミスドラ国王はおそらく来ないだろうが、官僚の一人くらいは送って寄越すはずだ。できるだけ力があって、話のわかる方だといいが)
「そんなに心配しなくても大丈夫ですわ、レムルス。わたくしがついておりますもの」
不意にユリアが、レムルスの口を使って話しかけてきた。
「”あれ”は良い案だと思いますわよ。もちろん、それだけで即時に全ての問題が解決できるわけではないけれど、第一歩を踏み出すことが重要ですもの」
「ありがとう。ナナウスも賛成してくれたし、心強いよ。あとは、無事に祝祭を終えられるように手を尽くすことだね」
「そうね」
ユリアの声がトーンダウンした。
「ユリアにも何か心配事があるんだね」
「ふふっ。あなたに隠し事はできませんものね。ねえレムルス。わたくし、明日にでも少し町の様子を見てきてもよろしいかしら?」
「祭り前の雰囲気を楽しみに、って訳じゃなさそうだね」
ユリアは頷いた。そして眼下を見下ろす。
「ここから見る町は、穏やかで美しくて楽しそうですけれど、上からでは見えない景色もあると思いますの」
「だね」
レムルスは同意する。彼は螺旋階段への入口を塞ぐように立つクィッドを振り返った。
「クィッド。聞こえた?」
「はい、陛下。お出かけの際には、自分がお守りいたします」
クィッドが胸に右手の握り拳を当てた。
「陛下にもご協力頂ければ幸いです」
「あ。もしかして、あの時のこと、まだ根に持っているのか?」
レムルスは笑った。ユリアの姿で町に降り、考えあって彼の元から逃亡した時のことだ。
クィッドは眉尻を下げた。
「あの時は本当に、生きた心地がいたしませんでした」
「ごめんなさいね、クィッド。もうしないわ」
ユリアが両手を胸の前で合わせ、ウィンクした。クィッドはきまじめに頷く。
それから護衛官は、主をじっと見つめた。
レムルスは不思議そうに彼を見上げる。
「他にも何か言いたそうだな」
「発言をお許しいただけるなら」
「もちろん許すよ」レムルスは頷いた。「何だ?」
クィッドはなおも主を真っ直ぐに見つめたあと、一度目を閉じ、彼の傍へと歩を進めた。そして両手を眼前で握り合わせ、跪いて頭を垂れる。
「陛下」
「うん?」
レムルスが首を傾げると、クィッドは一度伏せた視線を持ち上げた。
「もしも陛下がお望みであれば、このクィッド。……陛下をお連れして、どこへでも参ります」
「どこへでも、……って。え?」
「まああ!」
レムルスよりも、ユリアの方が理解が早かった。すぐに入れ替わり、頬に両手を当てる。
「もとよりこの命、陛下にお救いいただいたものです。自分の望みは、陛下の望みを実現すること。そのために、誰を敵に回しても構いません。陛下」
クィッドは片手を差し出した。
「……」
レムルスもユリアも、黙ってしまった。従者は身じろぎせずに、審判の時を待つ。
その手に、小さな両手が添えられた。
クィッドは瞳に希望を宿して顔を上げる。
「……。あなたの言葉はとても嬉しいわ、クィッド」
結局、ユリアが口を開いた。眉尻が下がっている。
「でもそれは、忠誠心だわ。わたくしの欲しい言葉とは、ちょっと違うみたい」
クィッドの視線が泳いだ。
「自分は」
「すまない。ユリアがわがままばかり言って。戯れ言なんだ。忘れてくれていい」
「……はい」
クィッドは視線を落とした。その巨体が、一回り縮んだようにレムルスは錯覚する。
「僕はお前の忠誠に恥じぬ為にも、逃げ出すわけにはいかないんだ。ここが僕の戦場だ。だからお前は、これからもこの場所で僕を支えてくれないか?」
「勿論です、陛下。それが陛下のお望みであれば、この命がすり切れるまで、お側にお仕えします」
「ふふっ。だからもう! クィッドはいつも、言葉が重すぎですわ……!!」
ユリアがコロコロと笑い、繋いだ手を離した。クィッドは立ち上がり、背後に数歩下がって控える。
「……。シャイードたちは大丈夫かな?」
レムルスは妙になってしまった空気を変えようと、クルターニュ山へ向かった少年について口にした。辺境の村や町で目撃された大きな影についての噂は、まだ帝都には届いていない。
「そろそろ戻ってくるのではなくて? ドラゴンには会えたのかしらね?」
ユリアはわざと明るく言った。
「或いはイヴァリス将軍にね。シャイードにも出来れば婚礼の儀に参加して貰いたいな。大事な旅の途中なのは知っているけれど」
「そうね。次に会ったときに、わたくしからも頼んでみますわ」
風が吹き、レムルスの羽織物を大きくはためかせた。彼は肩を縮めて、衣服をかき寄せる。
クィッドが風上に移動し、主君の背中を守るように片腕を広げた。
「陛下。そろそろ戻りましょう。夜風に当たりすぎると、大切なお身体に障ります」
「うん。大事な祝祭の日に、僕が風邪引いて倒れていたんじゃ、元も子もないもんな」
レムルスは頷き、促されるままに螺旋階段へ向かう。
階段の入口で一度、空を振り返った。
(大丈夫。きっと全部、上手く行く)
自分には頼れる者たちが沢山ついているのだ。




