お坊ちゃま
馬に乗って街道を北上していた二人の旅人は、漸く帝都の門に辿りついた。一人は薄汚れた軍服姿。もう一人は古びたマント姿だ。
二人は馬から下り、検問の列に並ぶ。前には旅芸人一座の幌馬車、後ろには楽器を背負った吟遊詩人が続いた。
真上から降り注ぐ夏の陽光に温められ、地面からも熱が上ってくる。下馬したことで、より一層暑さを感じた。馬も肌にしっとりと汗をかいている。
順番が来ると、軍服の中年――フォレウスは、門番に二言三言口を利く。二人は間もなく、すんなりと帝都の石畳を踏むことになった。
「おっさん、ほんとに軍人だったんだなぁ」
マント姿の少年は感嘆混じりに言う。門を通過してすぐに、彼は再びフードを深く被っていた。誰かとすれ違うときには、フードを引っ張って顔の右半分を隠そうとしている。
馬を引きながら歩いていたフォレウスは、ふはっと噴き出した。手綱を少年に差し出す。
「ええっ? この期に及んで、まだ疑っていたのかトルドちゃん」
「いや、だって。おっさん、なんか胡散臭いし。あとちゃんづけするなって言ったろ」
トルドは差し出されるままに手綱を受け取り、言い返した。フォレウスは素早く少年の左側から右側に位置を変えている。
トルドは意図に気づいた。頬が緩みそうになったのを、意識して不機嫌な顔で上書きし、唇をとがらせる。
フォレウスは立てた右手を振った。
「いやいやいや。おじさんが軍人じゃなきゃ、帝国の軍船に乗せては貰えなかったってー」
「うちの船長を騙したみたいに、舌先三寸で騙しているのかと思った」
「ひっで! 人を詐欺師か何かのように。まったく」
フォレウスはポケットに両手を突っ込み、猫背でわざとらしくため息をついた。トルドはとうとう笑ってしまう。
二人はその後、話題の人物を思い出してしばし無言になった。
フォレウスはザルツルードで素早く塩を確保した手柄を、提督に譲ってしまっていた。お陰で相手は大喜びだった。
トルドは軍について何も知らないが、一連の行動は”おっさん”的には休暇中のことであり、あくまで個人として勝手にやったことなのだそうだ。
「それに、魔銃を紛失していたー、だなんて報告したら、褒められるどころか大目玉を食らうかも知れないだろう? 俺ぁやーだね、怒られるのは」
死にそうな目に遭ったのに、一青銅貨の報酬も得られないとは。
トルドは帝国軍人にだけは決してなるまいと、肝に銘じた。
「目的地へはちいっとばかり距離がある。馬に乗ろう」
「うん」
しばらく徒歩で帝都の通りを観察したのち、フォレウスが提案する。
彼が前に乗り、トルドはその後ろに乗った。車道を、馬車の後ろについて速歩で進む。トルドは落ちつかない様子できょろきょろした。
「帝都って、思った以上に人が多いんだな」
「あー、うん。なんかね、門で聞いたところによれば、来週から祭りが始まるらしいんだわ」
「祭り? なんの?」
「皇帝の結婚式だと」
へええ! とトルドは目を丸くした。
「俺たち、凄い時に来ちまったんじゃないか?」
どことなく言葉を弾ませるトルドとは対照的に、フォレウスは片眉を上げてへの字口になっていた。
二人はとある屋敷の角までやってくると、馬を降りた。
ぎゅうぎゅうと人が詰め込まれている帝都だが、その建物も縦に高く、窓が沢山ある。つまり部屋数が多いと言うことだろう。
門扉は開かれていて、前面に馬車が一台止まっていた。ちょうど、門から人が出てくる。
それを見たフォレウスは急に足を止め、屋敷を背にして明後日の方を向いた。トルドは怪訝に思いながらも隣に並び、連れの脇から顔を出して門を覗く。
出てきたのはきちんとした身なりの壮年の男と、簡素だがこざっぱりした服装の若者だ。それにもう一人。灰色髪の痩せた年輩の女性。
御者が馬車の扉を開き、壮年の男がステップに足を掛けた。若者は、門の境界で立ち尽くす女性に、深々と一礼している。二言三言、言葉を交わしたあと、若者は壮年の男に急かされて馬車に乗り込んだ。
扉が閉まり、御者が御者席に着く。やがて、馬車は走り去った。
年輩の女性は、馬車が見えなくなるまで見送る。それから小さく肩を上下させて、門扉に手を掛けた。そこでトルドと目が合う。
その表情に驚愕が浮かんだ。
「お坊ちゃま!?」
彼女が素っ頓狂な声を出したので、その言葉は耳に届いた。トルドは驚いたあと、きょろきょろと周りを見回す。
通行人の姿は幾人か見られたが、「お坊ちゃま」らしき人物は見当たらない。
もちろん自分でもない。
まさかと思いながら隣を見ると、フォレウスがばつの悪そうな笑顔で、片手を挙げていた。
女性が肩を怒らせて近づいてくる。
「よ、よお、テレサ。ただいま……」
「まあまあまあ! またあなた様はこんなに薄汚い格好をして! 身だしなみはとても大事と、わたくしは何度も申し上げたはずですよ!」
「やっ、これには事情があって、だな」
「お坊ちゃま?」
トルドはフォレウスを二度見し、女性へと視線を戻した。
「お坊ちゃま?」
言葉まで繰り返していた。




