山上の戦い
アルマがフォスを伴って洞窟を出てくると、兄弟は既に戦っていた。どちらも竜人の姿になっているようだ。
ようだ、というのは、二人の姿がアルマからはよく見えないため。陽は暮れつくし、周囲は暗い。新月を二日後に控え、月はとうに没している。
しかも彼らは、互いに高速で飛び回りつつ、空中と地上とで格闘戦を行っているのだ。
「世界の命運を分ける、兄弟喧嘩か」
アルマは口にして、その響きに皮肉を感じ取った。
「一対一で、近しい間柄でもこうだ。他者と手を取り合うというのは斯くも難しいことなのだな」
手の籠の中で、フォスの光は弱々しい。
アルマの魔法に、出る幕はない。二人が速すぎてよく見えないし、接近しすぎている。シャイードへの助力も、イヴァリスへの妨害も出来そうにない。
どちらかが、馬車ほどもある岩を持ち上げて投げた。
もう片方がそれを粉砕する。その勢いのまま飛んで、相手を殴りつけた。
殴られた方は背中から落下し、地面を十メートル以上抉って、また飛び立つ。
右で戦っていると思ったら、左で音がする。
上から下。前から後ろ。
「おっと」
今のはぶつかるかと思ったが、彼らには高速で動き回りつつも、アルマの位置が見えているらしい。
アルマはしゃがんだ。
「明日には、山が盆地になっておるな」
フォスに向かって呟く。
「うむ、今のは冗談だ。我ながら良く出来ていると思うが、どうだ?」
フォスは答える元気もないらしい。その灯りが、随分小さくなってしまっている。
◇
(コイツ、強え!!)
シャイードは繰り出される打撃を必死で防ぎながら、焦りを感じていた。攻撃が速い。重い。それに多彩だ。
鋭い爪での目つぶしを避け損ね、頬がざっくりと切れた。すかさず放った蹴りは、避けられてしまう。距離が空いたと思えば、瞬きの間に詰められた。
(本気で戦ってる、……のに!!)
いつの間にか受け身になっている。シャイードが一発入れる間に、相手は三発入れてきた。
胸を狙った爪の攻撃を両腕で受けたら、鱗が易々と切り裂かれてしまった。
(嘘だろ!?)
飛び散る黒い鱗に気を取られる。鱗を傷つけられたのは、生まれて初めての経験だ。
不思議と痛みを感じない。興奮状態にあるためだろうか。
怪我の状態を確認する余裕はなかった。至近距離で爪や拳を応酬させ、一旦距離を取る。
(くそっ。目に血が)
額から出血していた。いつ怪我したのかもわからない。自分の毒は平気だが、右側の視野が狭まる。咄嗟に両手を頭に翳したのは、急接近した相手の蹴りを本能的に読んでいたためだ。見えはしなかった。
それでも、はじき飛ばされて空を滑る。
翼で勢いを殺し、体勢を整えて追撃に備えるが、イヴァリスは上げた脚を戻しただけだ。
「兄さんは、強い」
赤い鱗に全身を被われたイヴァリスが言う。星空を背景に、黒いシルエットの中で瞳が輝いていた。籠の形にした右手の爪を、つまらなそうに見つめ、兄へと視線を戻す。
「けれど、何か足りない。兄さんは、何をなくしてしまったのだ?」
「!」
翼を打ち、正面から突っ込んできたイヴァリスを、反射的に右へ躱す。だが直後に、左脚が重くなった。
見れば尻尾が絡んでいる。イヴァリスが尻尾を生やしていたことに、全く気づかなかった。
彼は尻尾を起点に飛行の軌道を変え、シャイードの背中に膝蹴りを当てる。
背骨が軋み、地上が迫った。
(くっ……!)
翼が動かせない。つかまったらしい。シャイードは加速度をつけて地面に激突した。砂利が吹き飛ばされ、岩が削れる。
息が出来ない。
「怒り? 憎しみ? 妬み? 飢え? 虚しさ? 兄さんの根源は何だった?」
背骨が、ミシミシと嫌な音を立てた。イヴァリスはさらに、両翼を引っ張る。
「ぐっ……がぁっ!!!」
千切られる!
シャイードは両手に砂利と砂を握り込み、背後に向かって投げつけた。
小さなうめきが聞こえ、翼が自由になる。隙を逃がさず、左脚を下にして身体を捻った。尻尾を巻き込まれたイヴァリスは、バランスを崩して横様に倒れた。
シャイードは翼を強く打ってすり抜け、すぐ傍の岩陰に身を潜める。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
全身で息を吸った。目に入ってくる血をぬぐう。
身体中がずきずきと痛んだ。目眩と頭痛と熱っぽさとだるさが、一斉に襲ってくる。ここまで追い詰められるのは、身体が本調子でないせいもあるだろう。
(このままでは勝てない。何か、何かないか、……何か)
シャイードは視線を動かす。そこで、北西の空が明るいことに気づいた。
(月……?)
いや、違う。月はなかったはずだ。それにあの七色の輝きは。
「浮島!」
声が聞こえた。岩陰からのぞくと、イヴァリスが目を擦りながら顔を上げていた。砂つぶては、運良く彼の目に入っていたようだ。
彼は飛び上がった。
空中で静止する。
自分を探すのかと思いきや、まるで地上を見ていない。
次の瞬間、イヴァリスは本来の姿へと戻った。星空が、大きく遮られる。虹色の輝きも。
シャイードは、彼が浮島へ向かうつもりだと直感した。
「待て……!」
嫌な予感がする。行かせるわけにはいかない。
シャイードも飛び上がり、黒竜の姿へと戻る。全身に力がみなぎった。これなら勝てるのではないかという楽観が、身体を軽くする。
飛び去ろうとしたイヴァリスが振り返った。
彼は首を引く。口を開いた。
(炎? 何を無駄な)
怪訝に思った次の瞬間、アルマの存在を思い出した。
「やべえ!」
案の定、イヴァリスは顔を地上に向けた。狙いは自分ではなく、アルマとフォスだ。
シャイードは一歩遅れて、イヴァリスに突っ込んでいく。
駄目だ、間に合わない! 判断の遅れは致命的だった。
イヴァリスは炎を吐き出した。
周囲が、まばゆいばかりの明るさに包まれる。
先ほどまで暗紅色に見えていたイヴァリスの鱗が、光を照り返して鮮やかな赤に燃え上がった。
「止めろおぉぉ!!」
シャイードは、一回り大きなイヴァリスに体当たりした。首筋にがっちりと食らいつく。赤竜は炎を吐き出したまま、空中で身体を半回転させた。
山体を炎が舐め、シャイードは焦る。
(くそっ。なんとか、炎を!)
地上ではなく、空に向けさせようと顎を捻る。
イヴァリスの両足が、腹を何度も蹴ってきた。爪が鱗を裂き、内臓にダメージが響く。吐き気がこみ上げた。シャイードは顔をしかめるが、噛みついた首は意地でも離さない。
二頭の竜は絡み合ったまま、空中で暴れる。
イヴァリスの炎が途絶えた。息を吐き尽くしたのだ。
(今だ!)
シャイードは翼を打って相手を仰向けにし、山体方向に押す。息を吸わせないつもりだ。
イヴァリスもそうはさせじと翼をうつが、上になり、二人分の重力を味方につけているシャイードが有利だ。
黒竜は、赤竜を突き出した岩の上にたたき落とし、肺を圧迫した。
イヴァリスの抵抗が止む。彼をノックダウンさせた。
シャイードは気づかずに、彼の喉元を噛みしめたまま翼を打って押しつけ続ける。数秒後、相手がぐったりしていることに気づいて慎重に口を開いた。
彼も息が切れていた。
敵の肺を全体重で押さえ込んだまま、視線を巡らせる。
イヴァリスの炎で再び溶けた溶岩が、あちこちで赤黒く固まっていた。白い蒸気を上げている。
(アルマ! どこだ、アルマ……!)
いない。
逃げたのか?
いや、そんな暇はなかった。
代わりに見つけたのは小さな光だ。
「フォス!!」
シャイードはイヴァリスを離し、飛び上がってフォスに向かって滑空した。飛び跳ねているフォスの下に、本が落ちている。
(燃えて、元の姿に戻ったのか)
シャイードはギリギリまで高度を落とし、すり抜け様に魔導書を歯で引っかけた。そのまま、口の中に入れる。フォスは頬の鱗の間に挟まってきた。
空中で方向転換し、再びイヴァリスの方を向くと、彼の姿がない。
「上か!」
短い間に、赤竜は息を吹き返していた。飛び上がってる。
「行かせるか!」
シャイードは軋む身体に鞭を打ち、イヴァリスを追った。




