障害
シャイードとフォレウス、そしてアルマの三者は、最初の部屋に戻ってきた。
この部屋では、生き残った帝国兵が休んでいる。
車座になって話をしていたり、携帯食料を食べていたり、壁にもたれて目を瞑っていたり、荷物を整理していたり、それぞれだ。
フォレウスは、彼の姿に気づいた何人かが立ち上がろうとするのを片手で制す。
「何かあれば呼ぶから、それまでは楽にしていてくれ。あ、武器だけは持っておいてな?」
混み合うその間を抜け、シャイード達は東の扉――図書室への扉の前に立った。
「前にこの扉を開いたとき、かすかに風を感じた」
扉の表面をひと撫でし、シャイードはフォレウスを見上げた。
「他の部屋への通路があれば、不自然なことではない。そして確かに通路はあった」
「ああ、あの、観察室とかいう部屋に繋がる隠し通路だよな」
フォレウスの言葉に、シャイードは頷く。
「そうだ。問題はそこだ。覚えているか? 隠し通路の状態を」
「確か、本棚でふさがれていて、その奥に……」
何か言いたげなシャイードの目線に、フォレウスは両手を打つ。
「ああ、なるほど。空気の流れはそこからじゃなさそうだな。ならば他に道があるってことか」
説明するより早く、フォレウスは飲み込んだようだ。
「……フォス」
光精霊をマントの内側から呼び出し、シャイードは扉を開いた。
扉はいざというときに声が届くよう、開けたままにしておく。
一行はまっすぐに東へと向かい、南へ折れた。
シャイード、フォレウス、アルマの順に、縦に一列に並んだ隊形だ。
崩落した瓦礫と本棚が重なり合っている区画に来た時、先頭を歩いていたシャイードが身を固くして足を止めた。
「どうした?」
「無い」
背後から顔を出したフォレウスが、シャイードの視線の先へと目を細める。
光精霊が照らす床の上に、黒っぽい染みがあった。
だがそこにあったはずの兵士の死体が、無くなっている。
フォレウスは無言で魔銃を引き抜いた。
「……居るな」
「ああ」
姿は見えないが、気配がする。
その直後、背後でどさっという音がした。
2人はとっさに振り返る。
アルマが居たはずの場所に、黒々とした大きな蟻が居た。
そしてアルマは床の上に仰向けに倒され、自分よりも一回り大きいその蟻にのしかかられているのだ。
「アルマ!」
「くそ! 書架の上にいたのか!」
大きな顎が、アルマの首筋に迫る。鋭いハサミにえぐられたら、少女の細い首など一撃で切り離されてしまうだろう。
シャイードはクロスボウの安全装置を外し、フォレウスの脇から大蟻に狙いをつけて放った。
ほぼ同時に、フォレウスも魔銃の引き金を引いている。
シャイードの放ったボルトは大蟻の複眼を射貫き、フォレウスの魔法弾は腹で炸裂する。
場所を考えたのか、火炎弾ではなく衝撃弾のようだ。
大蟻がひるみ、アルマの両腕を押さえていた前翅が大きく宙を掻いた。
「何ぼやっとしてるんだ! 早く抜け出ろ、アルマ!」
「うむ」
死にかけたというのに、アルマはいつも通りに無表情で大蟻の下から転がり出る。その動きに焦りを感じないことで、シャイードはいらついた。
唐突に視界が揺れる。
頭上に浮いているフォスが、警告を発するように上下に動いたのだ。
シャイードが振り返ると、崩落した天井と本棚が重なり合って出来た暗闇がうごめいている。そしてそれは、新たな大蟻の姿をかたどってシャイードの背後に迫った。
「おでましか!」
弓弦を巻き上げている時間は無い。
シャイードはクロスボウを床に落とし、短刀を抜いた。
フォレウスは引き続き、アルマが大蟻の下から抜け出すのを援護している。
「兵士を呼ぶか!?」
「……っ。一匹なら俺一人で何とか!」
通路は広くない。兵士たちを呼んでもここでは上手く戦力を生かせないだろう。
大蟻で注意するのは大きく力強い顎、そして尻にある毒針。弱点は目と、比較的柔らかい腹部。
ただし痛覚が鈍いのか、生半可な攻撃では動きを止めない。
触覚を動かしながら、まっすぐにこちらへと向かってくる大蟻。
動きは速いが、シャイードにとっては十分に対応できる速さだ。
顎の攻撃を難なく躱し、大蟻の脇へと入り込む。そして、胸と腹を連結する腹柄節の、腹側の細いくびれを狙った。
狙いは過たず、鋭利な短刀の一撃が、大蟻を一刀両断する。
それでも大蟻はすぐには動きを止めず、バランスを崩しながらもめちゃくちゃに手足を振り回してきた。
しかし、顎にさえ捕まらなければ問題は無い。
問題なのは……
「新手だ!」
巣穴へ通じると思われる瓦礫の隙間から、次々と新たな大蟻が這い出してきた。
警告を発しつつ振り返れば、フォレウスとアルマは最初の大蟻を倒していた。
「一旦引こう!」
フォレウスの提案に頷く。
大蟻は巣穴から続々這い出してくる。一匹ずつならシャイードの敵ではないが、書架に昇って三次元的に攻撃が仕掛けられる分、この場所では大蟻が有利だ。
幸い、大蟻に扉は開けられない。また、崩落していない壁をすぐに壊すほどの力はない。
長い時間を掛ければ、穴を開けることは可能だろうが。
シャイードはクロスボウを拾い、短刀を振り回して威嚇しながら後退する。
「おっとぉ……!?」
北東の角を曲がったとき、フォレウスが止まった。
後退する際にアルマの前に出て、今の隊列は出入り口に近い方からフォレウス、アルマ、シャイードの順だ。
「どうした!」
南から来る大蟻を、しんがりで威嚇しながら退却していたシャイードの位置からはまだ、角を曲がった先の状況が見えない。
「回り込まれた!」
立て続けに射撃音がする。
西側の死角を通って、出入り口に向かう通路をふさがれたようだ。
「何匹!?」
追いすがる蟻の大顎を、短刀でいなしながらシャイードは背後に問う。
「4、5匹? あっ、書架の上にも」
どうやら囲まれてしまっている。
「お前ら、ちょっと手伝え!」
フォレウスが、物音に気づいて隣室から覗いた兵士たちに声を掛ける。
彼らは頷き、各自の武器を手に扉に近づく大蟻を攻撃し始めた。
入口付近は書架の間よりも広いので、4人ほどが大蟻と戦える。
だがフォレウスの攻撃は、入り口の兵士たちに射線が通ってしまうため、先ほどまでより慎重にならざるを得なかった。
退路が断たれた今、シャイードが一番忙しい。
追い払うだけでなく倒すための攻撃に切り替えたが、危惧したとおりに大蟻は、書架の上からもやってくる。
一匹、また一匹と屠るものの、その屍を越えて次がやってくるのだ。
(くそっ。キリが無い!)
その時、声が聞こえた。




