同族
シャイードは記憶を呼び覚ます。
かつて一度だけ見た、大きな黒い飾り角のついた兜と、そこから流れ出る鮮やかな赤髪。黒地に赤で炎を意匠された鎧。
今の敵の姿と見比べる。
「コイツ、前にクルルカンの町で見かけた。本当にドラゴンで間違いないのか?」
シャイードは不安になって小声で尋ねる。アルマは頷いた。
「こやつを取り囲む魔力構成が、汝のものとほとんど同じだ」
シャイードは首肯した。
黒鎧に向き直る。流転の小剣の切っ先を向けようとして、斬られた上腕が、激しく傷んだ。
警戒を続けつつ、血で濡れそぼった衣服の切れ目から右腕を確認する。切り口が一筋ではなく、獣の爪で引っかかれたように幾筋もに分かれて抉れている。腕を斬られたのは一度きりだったので、長剣の特殊な形状ゆえだろう。見ることで痛みが増し、顔をしかめた。
竜の力を解放している今、ぱっくりと開いた傷跡は徐々に癒えていく。既に出血は治まっていた。そのせいで切れた布地が傷口に張り付き、腕を動かしたときに引っ張られて激痛が走ったのだ。
「おい、アンタ! ニンゲンの姿をしているが、ドラゴンだろう! 俺はとっくにお見通しだぞ」
アルマが何か言いたげな視線を送ってきたが、シャイードは無視する。
「……。谷間のニンゲンたちは、アンタが燃やしたのか……?」
「……」
黒鎧は答えない。シャイードは急に驚いた顔をした。
「そうか、わかったぞ! その姿……アンタは帝国の将軍を殺して、入れ替わったんだろう!?」
「つまり、イヴァリス将軍と?」
シャイードの指摘に、アルマが確認する。シャイードは横を向いて頷いた。
「クルルカンで見かけた将軍の名は知らんが、そう考えればつじつまが合うだろ。コイツはわざとドラゴンの姿をイヴァリス将軍に見せてから彼を帰し、軍隊を連れてこさせた。そんで、ニンゲンたちをまとめて焼き殺した」
「そうなのか?」
アルマが首を傾げた。
「俺の質問に答えろ! イヴァリス将軍に成り代わって何をする気だ!?」
黒鎧は黙っている。
シャイードは瞬いた。一歩近づき、前屈みで様子を伺う。
「おいっ、生きてるか? アルマ。お前、電撃をやり過ぎたんじゃねえ?」
アルマは首を振り、両手を掲げた。手の上に、帯電する球体がある。
「シャイードよ。汝はこの程度の電撃で死ぬか? ショックは受けても、身体は焼けぬであろう? もっとも、ヒトの姿では気絶くらいはしておるかも知れぬが」
「気絶してるのか? それじゃ喋りかけても無駄じゃねえかよ!!」
シャイードは赤くなった。一人であれこれ喋っていたかと思うと、微妙に恥ずかしい。
「それにお前、いつまで掌でパリパリさせてるんだ。鬱陶しいわ!」
「む? 汝が『一旦』と言ったのだ。なので魔法を一時停止しておる」
「コイツが気絶してるなら、もう要らねえだろうが!」
「そうか」
アルマが魔法を解除し、両手から光の玉が消えた。静電気で逆立っていた髪も、元通りに落ち着いていく。
不意に黒鎧が立ち上がった。
「気絶してねえーー!?」
シャイードは半歩飛び退いて身構えるが、相手は長剣を持つ右手をだらりと下げたままだ。殺気も敵意も、今は感じない。
髪の下から現れたのは、初めて見る顔だ。
思っていたよりも随分若い。二十代半ば程に見える。尤も、ドラゴンの変身だとすればそれが実年齢とは限らないが。
すっきりした鼻筋と、真っ直ぐで形の良い眉、左右対称の目の形。そのりりしい顔立ちにシャイードは嫉妬を覚えた。こうありたいと願う理想の変身に近い。
青年は右脇腹に刺さったクロスボウ矢を引き抜くときだけ、その顔をしかめた。真っ赤に染まった矢が、砂地に落ちる。
だが血が噴き出したのは一瞬で、すぐに傷が塞がったことがシャイードには想像できた。
「……。引き上げ屋の少年。貴殿もその正体はドラゴンと見受ける」
「喋った!? って、アンタ、どうして俺が引き上げ屋だと」
「クルルカンで幻惑の魔女からそう紹介されていた」
「!!」
シャイードは固まった。ということは……
アルマが鼻をならす。
「シャイード。汝の推理は、今回は外れたようだな」
「……くそ」
悔しそうに砂を蹴る。
そこで相手が、不意に微笑んだ。
シャイードはぽかんと唇を開く。構えていた小剣の切っ先が、無意識に下がっていた。
青年は長剣を岩に立てかけ、その手を軽く握って胸に当てた。
「同胞に会ったのは生まれて初めてだ。とても嬉しい」
「お、おう」
シャイードはその無邪気な笑い顔に、毒気を抜かれた。小剣を下ろして構えを解く。彼もまた、初めて同胞に会えた喜びが大きかった。飛び跳ねたい気持ちを必死で抑え、相手に習って冷静を装う。
「つまり、アンタがあの時、『酔いどれユニコーン亭』にいた将軍本人か? そんで、イヴァリスって名なのか?」
「そうだ、引き上げ屋の少年。貴殿を初めて見たとき、何か心に引っかかるものがあったのだが、わからなかった。わかっていれば、運命はもう少し違っていただろう。貴殿は、」
「ちょっと待った」と、シャイードは相手の言葉を遮る。「いろいろ聞きたいことはあるが、先に重要な誤解を訂正する」
「?」
イヴァリスが僅かに眉を上げた。
シャイードは息を吸い込み、左手で胸を叩いた。
「俺は、少年、じゃねえ!! にじゅう、いっさい、だ!!」
「そうだったか。すまぬ」
イヴァリスはゆっくりと一つ瞬いたのち、頭を下げた。アルマが赤髪の青年に注いでいた瞳を、隣に動かす。右手を持ち上げた。
「聞いたか、シャイード。汝はどこからどう見ても子どもだから、間違えても仕方がない。現に今まで誰もが間違えた。それなのにこやつは素直に謝りおったぞ。ドラゴンが出来てる」
「お前はいつも、一言以上余計なんだよアルマ! ……ごほん。でもあれだ。アンタが最初からイヴァリスだったとしたら、余計にわからん。軍人として長年帝国に仕えてきたんだろ? それがどうして突然、部下たちを虐殺することになったんだよ」
イヴァリスは頭を持ち上げたが、唇は開かなかった。赤い瞳で、じっとシャイードを見つめている。それからその瞳をアルマ、フォスへと移動した。
もう一度、シャイードの上に戻すと、漸く口を開く。
「その話をする前に、聞かせて欲しい。貴殿らはどこから来た? 我らの同胞は、他にも生き残っているのか?」
「俺は、」シャイードは一瞬ためらった後に、床を指し示す。「ここから来たんだけど」
イヴァリスは瞬き、眉根を寄せた。やがて右手を立てて首を振る。
「質問が悪かったようだ。貴殿がこの地方にいたのは分かっている。どこで生まれたドラゴンかと問いたかったのだ」
「だから、」と、シャイードは言って、下を示し続ける。「ここ。俺んち」
「……」
イヴァリスは絶句した。その顔から一切の表情が抜け落ちる。
彼はシャイードを真っ直ぐに見つめた。
「な、なんだよ」
シャイードは身構える。何かまずいことを言っただろうか。
イヴァリスはじわじわと目蓋を見開いた。シャイードの眉根が寄っていく中、青年は一歩、二歩と距離をつめ、両腕を広げた。突如としてシャイードを抱きしめる。
「!?!? な、な、な」
「……ふっ……、ぅぐ……」
アルマの瞳に映るのは、驚いて硬直するシャイードと、その肩に顔を埋めて呻くイヴァリスだ。
「二人とも、同時に言語を喪失した」
「ちょ!? なんだ、突然、」
突き飛ばそうと、イヴァリスの胸に手を当てたとき。
「ずっと探していた。ずっと、……ずっと探していた……! ずっと」
イヴァリスの涙声が耳に入った。切れ切れに繰り返す。クールに見えた相手の豹変に、シャイードはどう対応したら良いかわからない。
「一体、なんのはな、」
イヴァリスが顔を上げた。赤い瞳は、涙で潤んでいる。彼は間近で泣き笑いをした。
「ずっと会いたかった。……兄さん!」
「にい……さん……?」
「兄?」
シャイードとアルマが次々にオウム返しをする。その後ろで、フォスがぽとりと砂地に落ちて辺りが暗くなった。




