クルターニュ山
翌日。シャイードとアルマは帝都の門を出て、南へと馬を走らせた。
そこには例の、禁制の森を守る兵士たちの村がある。此度のシャイードは皇帝の許可証を携えており、村人に化けた兵士に馬を預けて堂々と森に入った。
シャイードの知る限り、帝都の周辺ではこの森の魔力濃度が一番高いように思われたのだ。
「ふぅむ……。確かに、汝の言う通り、この森の魔力濃度は幾分高い」
「だろ? 妖精も見つかりそうだよな」
「うむ。ほとんど誰も足を踏み入れぬというし、期待できる」
森の入口でアルマの保証も得て、シャイードは得意げに胸を張った。まだ午前中だが、うっそうと茂った木々と葉のお陰で、森の中は暗い。
シャイードはフォスをマントの内側から喚び出した。
フォスは嬉しそうにはしゃいで飛び回った後、手元に戻ってくる。
「フォス。お前、妖精のいそうなところ、わかるか?」
フォスはシャイードの質問を聞いて、空中で動きを止めた。
返事を待つシャイードを無視して、突然、右方向に飛んでいく。
「お、おい、フォス? どこ行くんだよ!」
驚いて片手を伸ばすと、フォスは曲がった。光を目で追う。
フォスはシャイードとアルマの周りを、ぐるっと大きく一周して戻ってきた。そして、一度明滅する。わかる、ということのようだ。
「妖精の気配を探っていたようだな」
「なるほど。じゃあ、フォス。さっそく案内を頼めるか?」
フォスはまた一度明滅し、ふわふわと二人に先行した。
しばらく道なき道を、枝葉をかき分けながら進む。やがてフォスは、二本の大樹の傍で止まった。
木の間で、上下に跳ねている。
シャイードは藪を飛び越えて近づく。遠目で二本に見えた樹は、根元で一本に繋がっていた。
梢を見上げれば、枝同士も絡まり合っている。その横渡しの枝に、小さな生き物が座っていたが、シャイードたちの姿を見てさっと隠れてしまった。
栗鼠でないとしたら、妖精か、精霊だ。一瞬だが、人型に見えた気がした。
シャイードは口笛を吹く。
「おあつらえ向きの門だな」
フォスが手元に戻ってきたので、シャイードは撫でた。藪を迂回していたアルマも、追いついてくる。
シャイードは流転の小剣を引き抜いた。
目を瞑り、故郷の山クルターニュの姿を強く思い描く。母と心が繋がったとき、彼女の瞳に映った山の姿を覚えていた。
(あとはあっち側にも、妖精界との世界膜が薄い場所があれば良いんだが)
シャイードは眉根を寄せて深く集中し、魔力を肩から腕、掌と流し、柄から小剣に注ぎ込んだ。
二股に分かれた幹の間に、手の届く限りの縦長の楕円を描く。接地面は根元の結合部に沿わせた。一歩下がって、できばえを目で確認する。
初めはぼやけていた映像が、次第に形を結んだ。
切り取られた空間の向こう側は、手前側が薄暗く、先はまぶしいほど明るい。どこかの岩陰のようだ。
陽の当たる場所には、黒っぽい石が無数に転がっていた。その山肌に、シャイードは見覚えがある。
門を潜って向こう側に出た途端、空気が変わった。乾いていて涼しい。
魔力濃度は森の中とさほど変わらぬが、やや息苦しさを感じる。酸素が薄いのだ。思ったよりも標高の高い地点に出たようだ。
砂利を踏んで明るい場所へ出て、振り返る。黒い大岩が重なりあって三角形を作り出していた。
なるほど、門らしい。アルマとフォスも続いて抜けてきた。
現在地から下方は、裾野の森へと木々が連なっていたが、周囲には灌木がまばらに生えているのみ。
その上はむき出しの岩と砂利の世界だ。
周囲を見回していたシャイードは、ふと顔を持ち上げた。
「……なんだこの匂い……」
鼻をひくひくとさせる。風の中に微かな、焦げ臭さのようなものが漂っている気がしたのだ。
匂いは僅かで、風向きが変わるとわからなくなってしまう。
(仲間の匂い……? いや、わからんな……)
あいにく、自分以外のドラゴンの匂いは、嗅いだことがなかった。
ともかく風が吹いてきた方角に向かってみることにする。空は晴れていて、直射日光がまぶしい。シャイードはマントのフードを被った。
すぐ後ろに追いついてきたアルマも、いつの間にか帽子を被っている。しかし、鍔は持ち上げて視界を確保していた。付近に人影はない。フォスも日射しを浴びてのびのびとしていた。
山を水平に回り込む形で移動していく。
門の出現した地点には道らしき道もなく、油断すると砂利に足を取られる。シャイードは慎重に歩を進めた。アルマは背後で、何度かバランスを崩した。その度に砂利が崩れて山を下っていく。
「大丈夫かよ。本に戻るか?」
ズサッという音を何度目かに聞いたとき、シャイードは足を止めて振り返った。アルマが両脚を大きく広げ、前に手をつきそうになりながらなんとか耐えたところだ。
「問題ない」
「めちゃくちゃ問題ありそうに見えるが?」
「斜めになった砂利道を歩くのは初めての経験だ。興味深い」
「……。そうかよ」
シャイードは肩をすくめ、首を振った。
その時、またふわりと、焦げ臭い匂いが鼻先をかすめた。眉根を寄せる。
「……嫌な予感がする」
緩く波打つ道なき道を進むうち、麓から緩やかに蛇行しながら上ってくる道に行きあった。
道の上には砂利がない。
シャイードはその場にしゃがみ、細かい砂地に目をこらした。金の瞳を左右に動かし、それから道の先を見遣った。
「蹄鉄の跡が続いている。かなりの軍勢だ」
「イヴァリス将軍の率いる守備隊か?」
アルマが上から尋ねる。シャイードは立ち上がりながら、膝の埃を払った。
「そうと見て間違いない。しかも蹄鉄は全て、一方向を向いている。つまり」
「帰ったものはおらぬ」
アルマが言葉を引き継ぐと、シャイードは唇を引き締めて頷いた。
一行は蹄の跡を踏み、道に沿って進んだ。道は上り坂になっており、その先は尾根で空と分かたれている。
空には大きな鳥が何羽か、円を描いていた。
道の左右には、大きな岩が目立つ。昔この山が噴火したときに、山頂から飛んできたものだろう。
シャイードは真っ先に尾根に辿りついた。風が下から吹き上げ、マントを大きく膨らませ、フードを背後に飛ばす。黒髪が揺れた。
尾根から先は緩い下り坂になっており、次の尾根との間がなだらかな谷間になっている。
道は途中で消えていて、谷底には白い石や黒い岩が大量に落ちていた。
その上を、何羽かの鳥――いや、良く見ればその顔は人面だ――が動き回っている。
「人面鳥の繁殖地か?」
シャイードは眉根をひそめてひとしきり見渡したのち、何かに気づいた。眉間を開き、大きく目蓋を見開く。
「あ……、これ、……は……」
顎が震える。舌が上顎に張り付く。喉は恐怖でからからに渇いていた。




