同好の士
レムルスはテーブルの上で、ぎゅっと握り拳を作っていた。
頑張って踏みとどまっているように見えて、シャイードは眉尻を下げる。どんな顔をしていいのかわからなくなっていた。
「……」
「……」
気まずい沈黙のあと、レムルスが気持ちを切り替えて顔を上げる。
「実は、彼とは東でも会うことが出来なかった」
「そうだったのか? じゃあ、攻め込んできた奴らを挟撃するっていう作戦は……」
レムルスは目蓋を閉じ、ゆっくりと首を振る。
「物事は、思い描いていたようにはまるで進まなかったんだ。けれど、僕らはなんとか戦いには勝って、急いで西に引き返すことが出来た」
「そうか。……アンタに怪我がなくて良かったよ」
シャイードのこの言葉に、レムルスの目蓋はわずかに持ち上がり、その後落ちる。口元が柔らかくなっている。
「クィッドのお陰だ」
彼は戸口に立つ忠臣に目を向けた。クィッドは先ほどよろけたことが嘘のように、どっしりと構えている。
「戦闘後に難しい政治判断も迫られたけれど、ともかく、その場は切り抜けた。あとから調べさせたところ、イヴァリスはどうやらクルターニュ山に向かったようなんだ」
「!!」
シャイードは思わぬ地名を耳にし、身を硬くする。クルターニュ山はシャイードの生まれ故郷だ。アルマがそんなシャイードを、隣から見守った。
「な……、んで、そんなところに……?」
唾を飲み込み、シャイードは視線を揺らしながら尋ねる。レムルスはテーブルの上に肘をつき、両手を組んだ。
「……それがね。ちょっとにわかには信じられないのだけれど、……あの山に、ドラゴンが現れたっていうんだ」
ガタッ!!
シャイードは椅子を蹴たてて立ち上がっていた。
「まさか!? そんな……」
この反応に、レムルスは驚いて彼を見上げたまま固まる。
怪訝そうな相手の視線を受け、シャイードは慌てて両手を動かした。
「あ、いや、だって! ドラゴンは、アンタの親父が倒した……はずだろ。最後の、……やつを」
「うん、そうだよね。僕も驚いたし、今でも半信半疑だ。しかし、ワイバーンで山に確認に行ったイヴァリスは、駐屯地に戻り、真実だと語って討伐に出たと言うんだ」
「……!」
シャイードは口元を左手で塞ぎ、椅子を戻して腰掛けた。
気持ちが悪い。
頭ががんがんする。
「それで、そのドラゴンはどうなったのだ?」
ショックを受けたシャイードに代わり、アルマが問うた。その質問に、シャイードは心臓が握りつぶされそうになる。
もし、本当にドラゴンがいたら? 既に討伐されてしまっていたら……?
レムルスは首を振った。
「それが、部隊ごと行方知れずなんだ。ただ、万が一にもドラゴンがいることを考慮すると、山には迂闊に近づけない。今、魔法による遠隔捜索の準備をしているところだ」
アルマは俯く主に身を寄せた。声を絞る。
「……どうする、シャイード。我らはイ・ブラセルにも行かねばならぬが」
「わかってる。しかし、俺は……俺は、……行きたい」
「大丈夫か、シャイード。顔色が良くないようだけれど」
レムルスの声音には、心からの気遣いが潜んでいた。
シャイードはそのことに、いくらか慰められる。彼は頷き、手近にあったグラスから水を呷った。喉を鳴らして空にし、グラスを置く頃には落ち着きを取り戻している。
「いや、少し驚いただけだ。その……、クルターニュ山といえば、俺がここに来る前に引き上げ屋をやっていた、クルルカンの近くだからさ」
「ああ、なるほど。それはさぞかし心配だろう」
レムルスは得心がいったと頷く。そして独り言のように続けた。
「ドラゴンが本当に出現したのならば、イヴァリスがファルディアへの警戒任務より優先して対処に向かったことも頷けるんだ。ひとたび暴れたら、その被害はファルディアの比ではないからね。それに、ドラゴンは滅んだというのが、現在の民衆の共通認識だ。それが崩されれば、パニックを引き起こしかねない。彼には秘密裏に、対処する理由もあった」
シャイードは何とも言えない表情で頷いた後、意を決して口を開いた。
「なあ、レムルス。良ければその偵察任務、俺が引き受けるぞ」
「お前が……!? なぜ?」
レムルスは当然の疑問を口にした。シャイードは瞳を回す。
「ええと……、実は俺、ドラゴンの生態を研究していたことがあって……。奴らのことについて、かなり詳しい」
アルマがこの嘘に反応した。咎めるような視線を肌に感じたが、シャイードは無視をする。
皇帝はほう、と感心した。
「そうだったのか、シャイード。お前も、ドラゴンが好きなのか?」
「好きっつーか、その……。まあ、うん。嫌いよりは、好き、かな?」
レムルスは、ぱあっと明るい表情になった。
「わかるよ! 格好いいもんな、ドラゴン! 実は僕も好き……、って、お前は既に知ってるか。ははっ」
「ああ」
シャイードはなんだかくすぐったくて、肩を揺らす。二人の間にあったわだかまりが、この瞬間は綺麗に消え失せていた。
レムルスは顎に片手を添える。
「思い返せば、僕の夢の中でお前が変身したドラゴン。凄くリアルな感じがした。アレも研究の成果だったのか」
「え、……う、うん。まぁ……? その、師匠のところで、絵を見たり……」
シャイードは視線を泳がせた。
「そうだったんだ。いいなあ!」
瞳を輝かせるレムルスに対し、嘘をつくのがいたたまれなくなってきて、シャイードは顔を逸らした。
こほん、とわざとらしく咳払いをする。
「まあ、それと、俺は影に潜む歩き方が出来る。いざとなればアルマの魔法もあるし……。それになにより、クルターニュ山へは、あっという間に行くことが出来るんだ。万が一、危なくなってもすぐに離脱することも出来る。理由は秘密なんだが」
「……!」
レムルスは尋ねたい気持ちをぐっと飲み込んだ。知らず知らずのうちに乗りだしていた上半身を、真っ直ぐに戻す。
そして目蓋を閉じた。
しかし、結論は考えるまでもない。例え行くなと命じたとしても、シャイードは行くだろう。それならば、レムルスとしては報告を貰える方が助かる。
彼にもまた会える。
レムルスは顔を上げた。
「わかった。……お前に、調査を任せたい」
「おう。ぱーっと行って、ささっと帰ってくるから、期待して待ってろ」
「うん。頼んだぞ」
二人は目を合わせ、暫し微笑みあった。
そこでレムルスがふと、何かを思いだした表情になる。
「そうだ。ラザロが湿地帯を領地に欲した理由はアルマから聞いたのだが、シャイード。彼は他に何か言っていたか? 必要なものとか、いつ頃戻れるとか」
「んー? 別にこれと言って、……あ」
「?」
シャイードが言葉の途中で止まったので、レムルスは小首を傾げる。
「”猫ちゃん”」
「え? ねこ?」
「ラザロの作ったぬいぐるみだよ。不格好で、両目がボタンで出来てる。この辺になかったか?」
「ああ! アルマの忘れ物の変なぬいぐるみなら、一応、僕の部屋に置いてあるけれど。……ねこだっけ?」
レムルスは口元に指を立て、眉根を寄せた。
「心外だ。アレは我の持ち物ではないぞ。忘れてもおらぬ」
「それ、ラザロのなんだ。アイツ、最後にそのぬいぐるみをやたら気にしててな。”絶対に壊すなよ、壊したらすぐにわかるんだから”とか何とか、念を押してたんだ」
アルマの抗議を引き継ぎ、シャイードが説明する。レムルスは頷いた。
「安心してくれ。虫もつかないように、丁寧に扱う」
「ん。次にアイツのとこに行くときにでも、俺が返しておくよ」
「うん。ではその時に、また言ってくれ」




