輝く浮島
エルフの郷へ戻るイールグンドとも別れ、シャイードはアロケル川の南岸に沿って東に向かっていた。
霧を抜ければ平原に出るはずで、そこから旧都は目の前だ。
しばらくは無言で馬を進めた。シャイードはあくびを繰り返している。霧が薄れてきた頃、思い出したように後ろを向いた。
「そういや、今回のウツシに対してはお前、あの吸い取る魔法を使えなかったな」
「死王の指輪は、ラザロにそのまま渡してしまったからな」
「けれどお前、新しい力を見つけたとか言ってなかったか?」
「言った」
アルマは頷く。
「汝が我に魂を解放したとき、知らないビヨンドの情報を見つけたのだ」
「知らないビヨンド?」
シャイードは右目を擦る。
「ルミナス・カーバンクルとかいう」
「あっ!! それって」
「うむ。クルルカンの時は、汝はあの記憶を忘却していたであろう? そして思い出してからは、我は汝を囓っていなかった」
それはかつて、シャイードが故郷の島で戦ったビヨンドの名だ。正確には通常のカーバンクルと何かのウツシを合成した獣のようだったが。
周囲から魔力を吸い集め、それを強力な光線にして放っていた。
シャイードは顔をしかめる。
師匠の死因になったビヨンドであり、合成されたものの一つ――いや一人はイレモノだ。
「爆散した血晶石を、汝は島に隠したままだな?」
「あ、……ああ」
ぼんやりしていたため、返事は一拍遅れる。答えてから頷いた。
「島の東側に、海からそそり立つ断崖がある。その中腹の洞窟に隠してある」
「それを我に喰わせろ。ルミナス・カーバンクルを再現できるようになる」
「あれを!?」
確かに強力な魔法だ。周囲の魔力を根こそぎ吸い、それを光線にして打ち出す。
厄災と戦うときに、武器の一つになるかも知れない。
「よし。一段落したら、イ・ブラセルへの門を開くか」
「それがいいだろう。しかし、帝都から開くのは難しそうだが」
「あそこじゃ無理だな。妖精や精霊の姿が見られるような、現世界と妖精界の世界膜が薄い場所じゃねーと」
語尾はあくびにかき消える。話している間に、霧の領域を抜けた。
遠くに旧都の城壁が見える。
現世界に戻ってすぐ、シャイードは高く大きな耳鳴りを聞いた。大気が振動している。遅れて、馬の背を伝って地響きを感じた。
「何だ!? 地震か?」
慌てて手綱を引いて馬を止める。
ガラガラと足元が崩れるような錯覚を覚えた後、すぐに大きな横揺れが来た。
馬は落ち着かなげに首を振り、足を踏み替える。シャイードは馬の首を撫でて優しく声を掛けた。
幸い、ここは平原なので、地割れが発生しない限りは安全だ。シャイードは地面を注視しつつ、馬の首をなで続けた。
まだ揺れが続いているのか、目眩がする。シャイードは瞬いた。
「随分大きいな。それに長い」
「うむ……」
アルマは馬に乗ったまま、言葉少なに空を見上げている。
と、突然、彼は切羽詰まった声で「シャイード!」と名を呼んだ。
シャイードがだるそうに顔を上げると、魔導書は空の一点を指さしていた。シャイードも目をこらす。
太陽の方角にある薄い雲の層が、虹色に輝いている。彩雲だ。
「綺麗だけど、今そんな余裕」
「良く見るのだ」
「ん……?」
言われるがままに目をこらした。輝く雲の中に一点、黒い染みが見える。
インクが滲んでいくように、雲が黒い色に浸食されて欠け始めた。
初めはその部分だけ、磨りガラス越しに物を見ているようだったのだが、次第にその輪郭が細かく、鮮明に像を結び始める。
それは、逆三角形をした黒い山かげ……のようにみえた。
シャイードは自身の目がおかしくなったのかと、瞬きを繰り返した。見ている間にも、気分の悪さが加速し、身体を支配していく。
「あれは……浮島、に、……見えるが」
浅い呼吸の合間に、なんとか口にする。
「そうだ」
アルマが硬い声で答えた。
「ただの浮島ではない。あれは厄災を封じていた魔法の……」
その後もアルマは何かを語り続けたが、シャイードには聞こえない。正確には、聞こえてはいたのだが、頭の中で言葉は意味を成せずに次々と崩れていった。まるで、水の中で泥を掬おうとしているかのように。
「なんか、すげーだるいわ。ちょっと、眠る」
彼は目を閉じて、ぐったりと馬の首に身を預けた。
吐き気がする。寒気もする。頭の芯が妙に冷えた。身体を支えるどころか、目を開けているのも辛い。
アルマが肩を揺らすのを感じながら、シャイードの意識は暗闇に落ちていった。
◇
「シャイード。どうしたのだ、シャイード」
馬の首からずり落ちそうになった主を片腕で支え、アルマはシャイードの身体を揺らす。
それはつい最近起きたばかりの事象を想起させる。
だが今回は、主は生きているようだ。浅いけれど、呼吸をしている。
仰向けた顔から血の気が失われていた。
それなのに、身体は妙に熱い。
アルマはシャイードの胸に耳を当ててみた。
鼓動が乱れている。
アルマの脳裏に、膨大な数の医術書の記述が浮かんだ。彼は姿勢を戻し、首を振る。
そこにあるのは、どれも人族の病気についての記述だ。
「死の後遺症か、我が魂を囓りすぎたのか、それとも」
アルマは空を見上げた。
先ほど見えた島影は、雲の中に薄れていくところだ。七色の光も消えていく。
空は、何事もなかったかのように元に戻った。
「厄災の歪みに当てられたか」
アルマは気を失ったシャイードの身体を見下ろした。
「或いは、全く別の病かも知れぬ。ドのつく者の病について、誰に聞けば良いのだ?」
アルマは真顔で困惑した。
◇
おー、あー、おー、おー、うー……
あー、おー、おー、えー、うー……
薄暗い洞窟に大勢の声がこだましている。
空気は湿っていて、冷たい。人々は手を繋ぎ、目を閉じたまま円形に並んでいる。白い服を着た、男女。幼い者から年寄りまでいる。それぞれが身体のどこか一部に、文字のような図形のような不思議な紋様の痣を持っていた。
この寒さにもかかわらず、みな額に汗をかいている。
交代で休みながら、もう何日も、何十日もそうしていた。
中央に二本の石柱が立っている。それらの間の空間が、うっすらと光っていた。
まだ弱い光だ。
おー、おー、いー、うー、いー……
おー、おー、いー、あー、うー……
おー、あー、おー、おー、うー……
あー、おー、おー、えー、うー……
おー、おー……
青銀の髪をした少女が、不意に膝をついた。隣に立っていた老人が、すかさず彼女の隣と、自分の隣にいた者の手を繋ぎ、跪いた。
唱和は、何事もなかったかのように続けられる。
「お疲れですか、巫女」
老人は優しく問いかける。
巫女は答えず、両手を地面についたまま大きな赤い瞳で老人を見つめた。その右の瞳には、奇妙な紋様が刻まれている。生まれついての刻印だ。
細められていた老人の目蓋が、彼にしてはめいっぱい開かれた。
「なんと……! 滅びの魔神が!? それはまことですか?」
呻きの混じった鋭いささやき声に、巫女は小さく頷いた。
老人は沈痛な表情で俯いた後、顔を持ち上げる。
「我らはやるべき事を。来るべき時に向けて」
巫女は再び静かに頷き、膝に片手を当てて立ち上がった。輪の中に入ると、詠唱を再開する。
おー、おー、いー、うー、いー……
おー、おー、いー、あー、うー……
以上で、第四部「死の軍勢」は完結です。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!
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引き続き第五部「竜たちの碧空」(最終部)をお楽しみ下さい。




