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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第四部 死の軍勢
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壊れた境界

 シャイードは目蓋を開いた。

 横たわったままでも、イールグンドとラザロのやりとりは聞こえていた。全てではないが、キールスがいなくなったことはわかった。


 フォスが気づいて、胸の上を転がってくる。

 まぶしい。

 シャイードは目蓋をしばたたいた。フォスは明るさを落とす。

 指を動かしてみた。動く。

 次に腕を持ち上げ、顔の上で手を開閉した。

 大丈夫そうだ。

 肘に力を入れ、ゆっくりと身を起こす。途中で頭がくらくらとしたが、何度か深呼吸をしたら落ち着いた。

 顔を上げる。


 左手後方に、少し離れてディアヌが立っていた。

 戦棍を下ろして俯いている。背中側なので、表情はうかがえない。

 シャイードはよろよろと起き上がった。数日寝込んでいた病人のように、初めはバランスを崩したが、身体の中では竜の血が恐ろしい勢いで働いている。細胞に酸素と栄養を送り、不具合を修復した。

 お陰で急速に飢餓状態に陥った。腹が減りすぎて気持ちが悪い。

 霊体の間は空腹を感じなかったから、久しぶりの感覚だ。


「ディアヌ」


 シャイードは名を呼んだ。声は掠れていた。ディアヌは上の空だったようで、びくりとして振り返る。


「……あ、シャイードさん」


 その後、何を言っていいかわからなかったらしい。彼女は困ったように視線を逸らした。

 シャイードの蘇生を、素直に喜んで良いものか、複雑な心境なのだろう。


「シャイード。起きたか」


 アルマが気づいて歩み寄ってくる。改めてよく見ると、彼の服はあちこちがぼろぼろだ。それは皆も同じだった。ラザロもイールグンドも、こちらに向き直っていた。

 フォスはシャイードの傍に、ふわふわと浮いている。


「おう。もう大丈夫だ。めちゃくちゃ腹減っている以外は」

「うむ。食べるが良い。ディアヌの魔法も解けたようだな」


 ディアヌは一瞬だけラザロからアルマに視線を動かした。再びラザロを睨む。

 ラザロもディアヌを見ていた。

 シャイードは二人の間に走る緊張に気づき、「喰ってる場合じゃねえかも」と呟いた。


「なんだ、小娘。まだ吾輩とやろうというのか? 貴様と違って、吾輩の魔力は潤沢だぞ?」


 ラザロは尊大な様子で顔をそびやかし、右手で籠の形を作ってみせる。


「……っ」


 ディアヌは悔しそうに唇を噛み、戦棍を握りしめた。


「貴方……っ! 本当にラザロさん、なのですか?」

「そうだが?」

「そのっ、何とかいう指輪の悪者に支配されて、悪いことをするつもりではないのです?」

「あー、そういう……」


 ラザロは納得したように一つ頷いた。

 それから右手を、自らの胸に当てる。


「言っておくがマギウス=ブラックモアは悪人ではないぞ、小娘。貴様の価値観に照らしてどうかは知らんが、民と国が発展することを願った王であり、死霊術の開祖である学究の徒だ。当時の死霊術も、……まあ確かに死体を動かしはするが、危険な鉱山労働や土木作業、魔物や外敵から民を守る軍勢として使ったのだ」

「……! じゃあ、どうして今の世界に残っている死霊たちが、あんな風にみんな凶暴なのですか!」

「それこそ、”死霊術が掛かっていないから”だ。いいか、小娘。死霊というのは死霊術が生まれたから生まれたのではない。もともと存在するのだ。人が死ねば霊魂は遊離するし、条件が揃えば、動く死体は自然発生する。現世界と冥界は重なって存在するからな。そして、人の中に善人と悪人がいるように、死霊にも大人しい者がいれば凶暴な者もいる。素直に冥界へ入る者はいなくなり、現世界に恨みや執着など、強い負の意識を残す者が居座るから、凶暴な者ばかりに思えるのだ。それを救って冥界へ導いてやるのが、貴様らヨルの神官だろうが」

「!!」


 ディアヌの瞳が怒りに燃えた。

 最後の一言は、彼女にも当然わかっていたことだろう。それを、死霊術師である彼に諭されたことが、彼女のプライドを傷つけた。

 彼女はラザロを睨み付けた。眼力で人を殺せるなら、成功していたかも知れない鋭さだ。

 シャイードは、ラザロが微かにのけぞったことを見抜いた。


(うん。中身はラザロだな)


 どことなくほっとする。

 ラザロは――かなり変わってはいるが、悪人ではない、とシャイードは理解していた。

 もしもディアヌが彼に飛びかかるようなら、止めてやってもいいと思っている。ディアヌも悪人ではない。もちろん。

 真面目な彼女は信仰と、仲間への信頼との間で板挟みになっているだけだ。


「シャイードが腹を減らしておる。食事の支度をせぬか?」


 アルマが空気を読まずに、ラザロに提案した。続いてディアヌの方も見る。

 シャイードは止めようとして、思いとどまった。今はアルマの”読めなさ”が救いだ。

 腹に手を当てて、げっそりした表情を作る。


「マジでもう、腹減って死にそうだ」

「やっと生き返ったのに、死んでは意味がない」

「うん。じゃあ、はい」


 ラザロはディアヌから視線を逸らし、頷いた。


 そのまま謁見の間で、食事の支度を始める。

 エルフの郷から持ってきた保存食が残っていた。小さい焼き菓子のようだけれど、火もいらず、そのまま食べられて腹に溜まる優れものだ。

 死王へと生まれ変わったラザロには無用の長物となっていたが、彼はイールグンドの湧かした湯を使って、薬草茶を淹れてくれた。

 温かいものを飲むと、心が落ち着く。

 ディアヌも食事を口にし、茶を飲むと気持ちが落ち着いた様子だった。


「この後の話だが」


 人心地ついたところで、イールグンドが口を開く。


「俺たちは冥界を作り出していた原因を絶ちきった、という理解で良いのか?」

「うむ。ビヨンドの気配はもうしない」


 アルマが答える。

 イールグンドは頷いた。


「であれば、ここにもう用はない。休息を終えたら、俺は森に戻って経緯を説明せねば」

「俺とアルマもだ。レムルスが帝都に戻っているかわかんねーけど、アイツに報告してやらねえと。……だよな?」

「うむ」

「原因を絶ちきっても、この場所はこのままなのですか?」


 ディアヌが居心地悪そうに身じろぎし、誰に言うともなく尋ねる。

 アルマがそちらを向いた。


「本来であれば、穴を塞いで元に戻すところだが、この場所は”喰い破られ”過ぎてしまった。もはや我の手には負えぬのだ」

「じゃあ、私たちのしたことは……」

「無駄ではない。ビヨンドを放置すれば、冥界はさらに浸食を続け、二つの世界の境界はなくなってしまっただろう」

「しかし、このままでは事態を収拾したとは言えませんよね? 冥界と地続きになってしまった以上、死霊たちがここから外にどんどん溢れてしまうでしょう?」

「それを留めるための死王の指輪だ」


 ラザロが右手の甲を見せ、口を挟んだ。一行の視線が、彼に集まる。


「吾輩はここに留まって、死霊たちが外に出ぬようにコントロールする」

「マジで!? だってアンタ、帝国の魔術の将なんだろ?」

「だからこそ、であろう。吾輩がこの場所を放棄すれば、死霊は湧き続けるし、帝国民が困ることになろうから。幸い、吾輩はまだ領地を持っておらぬ。統治が面倒で、今まで断っていたのだ。陛下にはこの湿地帯を貰うと伝えておいてくれ、シャイード」

「いやいやいや! そんな大事なこと、伝言でいいわけ? 駄目だろ!」

「直接言いに行くのが面倒だ」


 ラザロは半眼で片手を振った。


「めちゃくちゃアンタらしいけども!」

「うむ。では我が伝えておくぞ」

「お前も勝手に安請け合いしない!」


 シャイードはアルマの帽子に軽いチョップを入れた。

 ディアヌは手元のカップに視線を落としていた。それに気づき、シャイードが顔を覗き込む。


「アンタも帰るだろ? ヨル神殿に報告とか、いろいろあるだろうし」

「……」


 ディアヌは半分ほどに減った薬草茶の水面を見つめて考え込んでいる様子だったが、やがて諦めたように首を振った。

 再び顔を上げたとき、彼女の顔には固い決意があった。


「私もここに残ります」

「はっ!?」


 シャイードが驚くよりも先に、裏返った声を出したのはラザロだ。


「貴様、なに言っちゃってんの? 意味わかって言ってる? ここ、冥界なんだけど!! 人間の貴様が、うろうろしてて気持ちいい場所じゃないデショ? 危ないし? 馬鹿なの?」

「素が出てるぞ、ラザロ」


 シャイードのツッコミに、ラザロは乗りだしていた身をひいた。口元に手を当て、こほん、とわざとらしい咳払いをする。


「や、止めておいた方が良いぞ、小娘。吾輩としても迷惑……」

「貴方を放っておくわけにはいきません」

「え……」


 ディアヌの顔は、いつの間にか真っ赤だった。

 眉根を寄せ、唇をとがらせてラザロを睨み付けている。

 怒るのか、と、シャイードは身構えたけれど、彼女はそのままラザロから視線を逸らしてしまった。

 ラザロは事態を飲み込めてなさそうだったが、不機嫌そうに眉根を寄せて首を振る。


「駄目だ、駄目だ! 研究の邪魔だし、いちいち口出しされるの、ほんと迷惑で。第一、吾輩は一人が好きなのだ。誰かがいると気が散るし、それに」

「うるっせえっ!!」


 ディアヌが急に大声を出して凄んだので、アルマ以外の全員が硬直した。

 彼女は目が点になっているラザロに気づき、目を閉じて「んっ、んんっ……」と喉を鳴らしてごまかす。頬が赤い。


「似ておるな」

「……だな」


 隣のアルマが呟いた言葉に、シャイードは頷いた。ディアヌはあの口調が”素”なのだろう。怒るとかなり迫力があるし、眼光が鋭い。

 お互い、本来と違う自分を演じているのは似ているが、一方で、元々の性格は真逆だ。

 気の強さを隠し、優等生を演じているのがディアヌなら、気弱なのを隠し、尊大な将を演じているのがラザロ。

 一喝されたラザロは、まだ硬直している。

 ディアヌはその彼を、ひたと見据えた。


「貴方が指輪の力を使って悪事を働かないか、誰かが監視しなくてはならないでしょう!? ヨルにかけて、誓います。ラザロさんに悪いことをさせない! 私は納得できるまで見張りますから!!」


 言うなり彼女は薬草茶をがっと呷り、カップを置いた。そして立ち上がって、足音をどすどすさせながら歩いて行ってしまった。

 瓦礫を乗り越えて、廊下へ繋がる開口部へと消える。

 シャイードが振り返ると、ラザロは頭を抱えていた。


「おい……。アイツ、一人で大丈夫か?」


 ディアヌの立ち去った先と、ラザロを交互に見遣って尋ねる。


「あー……、うむ。まあ城内の死霊どもは大人しくさせておく。しかし、なんなのだ、あの小娘は。全く訳がわからん! 怒ると妙に迫力があるし! 別に怖くはないが、心臓が止まりそうに、……いやもう止まっているが、それでも、」

「汝のことを好きなのでは?」


 アルマがラザロの言葉を遮って言った。


「「「……」」」


 残された男たちは顔を見合わせる。

 ラザロは引きつった笑いを浮かべ、「笑えぬ冗談だ」と呟いた。居心地悪そうに身じろぎする。

 アルマは真顔で、シャイードの方を振り返った。


「我はなにか、間違ったことを言ったであろうか?」


 シャイードは困惑したあげく、もう一度、彼女の立ち去った方角を見遣る。


「わからんが」と、彼は顎に手を添えた。「あるいは節穴だったのは、俺の目の方だったのかも……」

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