イールグンドとキールス
「ほら、あの子だよ。例の……」
「ああ。やっと生まれた新たな同胞が、よりにもよって」
「なんて醜い縮れ髪! ほんとうにアレは、エルフなの……?」
聞こえよがしな言葉が、何度も心を切り裂いた。故郷は閉鎖的で、居心地の悪い場所だった。
全員がそうではないとわかっている。
だが長い命を持つ彼らは、不変の森を愛する彼らは、本質的に変化を厭う性質だった。
父に憤りをぶつけたこともある。
――どうしてエルフなんか好きになったの?
――父さんは人間なんでしょう? 人間と結婚すれば、良かったのに!
父は眉を困らせて言ったものだ。
「愛する相手を選ぶことは、誰にも出来ないんだよ、イールグンド」
◇
エルフとして一人前と言える歳に達する前に、イールグンドは唯一の庇護者である父親を失った。
老衰だ。
エルフは老いない。
少なくとも、見た目でそれとはっきりわかるほどには。
郷の中で、老人は彼の父親だけだった。
イールグンドはそれが恥ずかしかった。老いた父は、弱く、みすぼらしく、醜く見えた。
以前は誰よりも強く、たくましかった身体も、小さくしぼんで、一人では何も出来ない。
父親が死んだとき、彼はどこかほっとしている自分を見つけた。
父を見る度、自らの中に人間を感じた。
人間とエルフの間に生まれた例としては非常に珍しいことに、イールグンドの性質はエルフだった。
耳の先は尖り、長命で、暗視能力を持つ。
一方で彼は外見に、人間である父親の性質も受け継いだ。
がっしりとした体躯に、ダークブロンドの癖毛。
彼は完全なエルフになりたかった。郷の仲間に、違和感なく受け入れて貰える完全なエルフに。
美しく薄い色の直毛と、たおやかな四肢を持つエルフに。
父親が死んだとき、彼は自分の中の人間も一緒に死んだと思った。「これでエルフの仲間になれる」と思ったのだ。
しかし、現実はそう容易くはなかった。
エルフたちが彼を異端とみるよりもなお、彼自身が自分を異分子だと感じていた。
他者の視線から逃れることは出来ても、自分自身から逃れることは出来ない。
――森は、自分の居るべき場所ではないのかも知れない――
いつしかイールグンドは、森の外の世界に憧れを抱くようになった。
そんな折りだ。
キールスと出会ったのは。
イールグンドは探索に出た森で、仲間とはぐれた。一人前と認められる前、狩組が選ばれる前の話だ。
大声で助けを呼ぶことは出来たかも知れない。
けれど、彼はそれをしなかった。
仲間に見くびられたくなかった。早く一人前のエルフだと認めて貰いたかった。
森はエルフにとって、庭である。
自分の庭で迷うなど、ありうべからざる失態だ。
帰路を探す道すがら、運悪く彼は双頭蛇に遭遇し、その牙から毒を受けた。
痺れた身体を引きずって必死に魔物から逃げ、やがて倒れた。
熱に浮かされて見た夢には母親が出てきた。おそらく母親だと思う。
父から聞いていた通りの、美しいプラチナブロンドだったからだ。
彼女はイールグンドの足元に跪き、牙を受けて青黒く変色した肌に唇を寄せ、毒を吸い出してくれた。
柔らかな桜色の唇が、幾度も幾度も傷口に触れた。
それから彼女は、強い酒で傷口を洗い、解毒の薬草をもみ合わせて湿布をしてくれた。
次に意識が浮上したとき、イールグンドはベッドに寝かされていた。
自分がいつ移動したのか、まるでわからなかった。きっと死んだ母が、魔法で助けてくれたのだろうと思った。
その後も彼は、夢と現の境を何日もさまよい、やがて回復した。
何度目かの深い眠りから覚めたとき、隣には見知らぬエルフが眠っていた。
狭いベッドだったけれど、そのエルフはまるで憂いのない様子で幸せそうに枕を抱いていた。
(どうして俺のベッドに、他の奴が?)
イールグンドは不思議に思ったが、ベッドは彼のものではなかった。
いろいろと、記憶があやふやだ。
空腹を覚え、額に手を当てたまま立ち上がろうとして、派手に倒れた。
ベッドの傍にあった丸椅子を吹っ飛ばしたほどだ。
「まだ無理なんじゃない?」
背後から声が降った。物音で、隣のエルフを起こしてしまったらしい。
「……誰? お前」
「キールス」
そのエルフはあぐらをかいたまま両腕を伸ばし、あくびをした。寝間着の前が大きくはだけられ、平らな胸がのぞいた。
彼もプラチナブロンドの長髪だ。母と一緒の。
窓から差し込む光にキラキラと輝き、とても美しかった。
彼は猫のように煌めく瞳で首を傾げ、微笑んだ。
「双頭蛇に噛まれて生き残るなんて、凄い生命力だよね、君。毒消しを持っていかなかったの?」
イールグンドは首を振った。
キールスは肩をすくめ、ベッドから下りると、唐突に毒消し草の使い方を講義し始めた。
イールグンドは面食らったが、真剣に耳を傾けた。
ぐう、と腹が鳴り、講義が中断されるまで。
キールスは物知りで、イールグンドは彼の家に通うようになった。
彼の盲目の姉ミリアンも、イールグンドのことは、弟のように可愛がってくれた。
とても居心地が良かった。
イールグンドはキールスから、机上の知識だけでなく、弓の引き方、狩りの仕方、馬の扱い方も教わった。
二人で何時間も――ミリアンが不在の時には何日も――森へ出かけた。
精霊の洞窟へ向かった際も、キールスは入口で辛抱強く待っていてくれた。火精霊と契約できたことを報告した時も、彼だけは手放しで喜んでくれた。
キールスはイールグンドの出自を知ってか知らずか、何も言わなかったし、何も聞かなかった。
けれどイールグンドが自ら話を始めた時には、黙って耳を傾けてくれた。
毒を吐き出すようにして、イールグンドは胸にわだかまる思いを言葉にした。
最後まで聞いた後、キールスはイールグンドの瞳を真っ直ぐに覗き込んで、言った。
「人間は嫌いだけど、君の事は好きだよ。君と僕が出会えたのは、君が父親から受け継いだ強い生命力のお陰なんだね」
その言葉を聞いたイールグンドは、突如、目の前が開けた気がした。
カーテンと窓が開かれ、暗く湿っていた部屋に明るい日射しと、爽やかな風が通ったような。
彼を縛っていた呪縛を解き、彼の心を自由にした。
父が人間で、母がエルフ。両親の出会いがあったから、イールグンドはキールスと知己を得た。それは引け目を感じていた出自に対する、祝福に聞こえた。
キールスは軽い気持ちで言ったのかも知れない。けれどイールグンドにとっては、その後もずっと、心の礎となる大切な言葉だったのだ。
キールスが自分よりもずっと年上だと知ったのは、ずいぶん後になってからだが、その時には二人は親友だったから、何も気にならなかった。
長老会議から、狩組として正式に認められたときには、嬉しくて誇らしくて、幸せだった。
師であり、かけがえのない友でもあるキールス。
イールグンドが旅に出なければ、狩組として、これからも長い時間を共にするかもしれなかった。
彼は止めようとしていた。
言う通りにしていたら、彼は今も生きていた――
イールグンドは、己の選択のツケを、キールスが支払ったように思えてならなかった。




