蘇生
「うらあぁああっ!!」
ディアヌが怒りの声と共に、戦棍でラザロに打ちかかった。
ラザロは空に浮き上がり、背後に少し滑って躱す。彼女はさらに踏み込み、戦棍を振り回した。
「ラザロさんの身体を、返せ!! このっ、返しやがれ、悪霊が……!!」
これに対し、ラザロはすっと片手を挙げた。
紫色の雲がふわりとディアヌの身体を包みこむ。
途端に、彼女の身体は腕を振り上げたまま硬直した。
「ぅ、……ぅう……」
ディアヌは渾身の力で身体を動かそうとしたが、周囲の空気が鋼鉄に変わってしまったかのように指一本動かせない。
ラザロはため息をついた。
「相変わらず、血気盛んな小娘だな。そこで少し黙っておれ」
「ラザロ? お前、ラザロなのか?」
シャイードが尋ねる。
ラザロは小さく首を傾げた後、頷いた。
「いかにも、吾輩だ。しかし、吾輩は今や、死王マギウス=ブラックモアでもある」
彼は右手を目線に持ち上げて、甲をシャイード=アルマに向けた。その指に、嵌めたばかりの死王の指輪が光る。
「よくぞ指輪を、吾輩に取り戻してくれたな、シャイード。礼を言うぞ」
「取り、戻す……?」
「語弊があった。ラザロである吾輩の立場からすれば”取ってきてくれた”が正しいか」
ラザロは右手を口元に運び、くつくつと喉を鳴らした。
「指輪に残っていた死王の意識だか魂だかと、混じり合ったのか!」
シャイードは油断なく相手を見据え、右手を、流転の小剣の柄に添える。
ラザロは右手をくるりと返し、人差し指をシャイード=アルマに向けた。
「おっと、妖精王。吾輩を斬るつもりか? そんなことをしても、なんにもならんぞ。生き返りたいのだろう? 貴様は」
「……ぐっ」
「そうだ、シャイードは生き返らねばならぬ」
アルマが同じ口から言い、左手で、右手を剣の柄から引きはがした。
「アルマ! だが、こいつ、……何かとてつもなく強大で危険な香りがするぞ。悪者じゃないか?」
「そんなことは関係ない、シャイード。汝は生き返らねばならぬ」
同じ言葉を再び口にし、アルマはシャイードの魂を身体からはじき出した。
『ぅわっ!! アルマ!』
「約束は果たして貰えるのだろうな、ラザロよ」
シャイードの抗議を無視し、アルマは問いかけた。ラザロは右の口端を持ち上げる。
死王を名乗る男は、左手に持つ魔杖を手元で一回転させ、ぴたりと立てると詠唱を始めた。
シャイードはもう一度アルマの身体に入ろうとするが、彼は頑として受け入れない。
ラザロの呪文が完成すると、床の上に氷に包まれたシャイードの肉体が現れた。
引き寄せの魔法だ。
「死王の名にかけて」
ラザロは遅れて、アルマの問いに答えた。
アルマは棺の傍に歩み寄り、膝をついた。氷を掌で拭う。白く曇っていた表面が、拭った場所だけ透明になり、眠るシャイードの顔が露わになった。
アルマはそれを、黒い瞳でじっと見下ろす。棺の上に、象牙色の長い髪がヴェールのように落ち掛かった。
「蘇生の魔法には、儀式や魔法陣が必要であろう? 時間が掛かるか?」
シャイードの肉体を見つめたまま、アルマが問うた。
ラザロは一度沈黙した後、「いや、」と否定して首を振る。
「人が死ぬ場合、通常は原因となった肉体の損傷を伴う。事故にしろ、病気にしろ、な? 蘇生魔法が大がかりなのは、肉体の損傷部分を触媒で補完しつつ、離れてしまった魂を、その者固有の召喚魔法陣で呼び戻さねばならぬからなのだ。神性魔法の蘇生はまた事情が違うが、ともかく、死霊術ではそうだ。――しかしシャイードの場合、絶命の魔法により、肉体と魂をつなぐ”玉の緒”が断ち切られただけ。肉体は無傷で、魂もここにある。”玉の緒”を再生することは、指輪の力を持ってすれば容易い。瞬きほどにな」
ラザロが指を鳴らした。
途端、空に浮いていたシャイードの身体は、首に縄を掛けられたように急速に引っ張られた。
ラザロが魔法を解除し、氷の棺が砕ける。
氷は細かい粒となり、空に溶けて消えた。
アルマの髪が、冷風を受けてふわりと浮き、ゆっくり落ち着く。
「シャイード」
アルマは眠る主の名を呼んだ。
引き寄せられたシャイードの魂は、首の後ろでしっかりと肉体に固定された。
がたつきも緩みもない。もはや抜け出る余地もなく、手指の先、足指の先までぴったりとフィットする。
身体に戻って最初に感じたのは、鼓動だ。
ドンドンドンと、いつもよりも少し早い鼓動は、怒っているように聞こえた。
(そう言えば、死んでる間は静かだったな)
生まれてから一度も止んだことのなかった鼓動。
クルルカンの遺跡で氷漬けになったときでさえ、ごくゆっくりと脈打っていた。
普段は意識しなかったけれど、一度完全に音を失ってみると、凄く気になる音と振動だった。
(――生きている。俺は、まだ生きている)
意識ははっきりしていたが、身体は動かない。悪夢を見た直後の、金縛りのような状態だ。
けれど元気な鼓動が、熱を隅々に送り出している。すぐに起きられるようになるだろう。
シャイードは唯一動かすことの出来そうな場所――目蓋を開いた。
アルマの端正な顔がすぐ近くにある。
こんな目覚めは何度目だろう。数え切れない。
(相変わらず無表情な奴だな)
と、彼が思った瞬間、アルマが少し微笑んだ。
実際に微笑んだのかどうか、わからない。
目元が僅かに細められ、両の口角が錯覚かと思うほど小さく持ち上がったように見えた、というだけだ。
「おそようだぞ、シャイード」
声の調子はいつも通りの平坦だった。
笑ったと思えたのも、気のせいかも知れない。
シャイードは何か言い返そうとして、果たせず、再び目蓋を下ろした。
身体が動くようになるまで、あと少し、時間が必要だ。
アルマは目を瞑った主を見守る。
彼は首元を開き、主から預かったペンダントを取り出した。掌の上でそれをじっと見つめたのち、頭から外す。
そして眠る主の首から掛け、服の下へとしまった。
「……」
アルマはしばし、身じろぎもせずにシャイードを見つめたまま、考えに沈んだ。
そこに、三角帽子がふわふわと飛んできた。欄干から飛び降りたときに、頭から飛んだきりだった。
目の前を横切ろうとした三角帽子の鍔を、空中で捕まえる。
中にはフォスが入っていた。
「うむ。ごくろうなのだ」
フォスから帽子を受け取り、アルマは頭に深く被った。背中の三つ編みはすっかり解けてしまっている。
アルマは立ち上がった。
ディアヌはまだ動くことが出来ないようだ。戦棍を振り上げたポーズで固まっている。
「ぐ……ぬ……、…ぎぎ……っ」
喉の奥からくぐもった言葉が漏れ出ている。必死に魔法に抵抗しようとしているのかも知れない。
ラザロはディアヌを放置して踵を返し、エルフたちの方に向かうところだ。
アルマはその動きを目で追った後、一度シャイードに視線を戻す。
「フォス。少しの間、シャイードを頼む」
フォスは一度明滅し、シャイードが胸の上で組んでいる手に乗っかった。
「……まない、……すま…い、……すまない……」
イールグンドはキールスの左手を両手で握りしめ、冷たい指を自らの唇に触れさせながら、何かを必死に謝っている。
ラザロはそれを見下ろした後、視線を少し上に向けた。
「”イールグンド、謝らないでくれ”」
ラザロの唐突な言葉に、イールグンドは顔を上げた。ラザロの銀の瞳は、イールグンドを見ていない。
ぼんやりと空を見ている。
「”こんなことになってしまったけど、僕は君を殺さずに済んでほっとしているんだ。シャイードたちに感謝しなくちゃね”」
「キールス!? ラザロ、キールスがそこにいるのか!?」
「……。ああ、いる。今にも消えそうだが」
イールグンドは視線を彷徨わせた。
「キールス! お前を疑って、すまない。許してくれ! 俺は、お前が俺よりも、長老会議を選んだように感じてしまったんだ! なんのことはない。くだらない嫉妬だ! 森から閉め出されて困るのは、俺よりもお前だった。お前がそんなこと、わかっていてするはずがないのに」
「貴様は、」とラザロがイールグンドを見つめて問う。
「これからも友と一緒にいたいか?」
「……! 無論だ!! 生き返らせることが出来るのか? キールスを!?」
イールグンドの必死な言葉に、ラザロは静かに首を振った。
「不可能だ、残念ながら。そやつの肉体は、完全に失われている。今、そやつを形作っているものは、この冥界の物質に過ぎぬ。それも、間もなく失われるであろう。魂が去ったなら、な」
「それなら、どうやって……」
ラザロは魔杖の石突きを、こん、と床についた。
「吾輩は死霊術師。死霊としてならば、彼の者を貴様の世界に戻してやることも出来る」
「!!」
「キールスはキールスであって、キールスではない存在となる。そのために迫害され、苦しみ、悩み、ついには貴様を呪うかもしれない。それでも共にいたいと貴様が望むなら……」
ラザロは目を細め、邪悪な笑みを浮かべた。
「吾輩は叶えてやっても良いぞ?」
イールグンドの瞳に、希望が浮かんだ。




