謁見の間
城門は蝶番が錆びて膨らみ、外れていた。一行は隙間を通って黒い城の内部へと侵入する。
フォスが照らす長い階段を昇ってたどり着いた扉の先。大広間には死霊がわんさといた。
ディアヌの聖滅であらかたを消滅させ、残りをシャイードの操るアルマと、イールグンドとが仕留める。
広間の奥は崩れた天井の瓦礫でふさがれており、道があったとしても通れそうにない。アルマは奥からビヨンドの気配を感じると言う。一行は右手の扉を開き、崩落を迂回してその先へと向かった。
瓦礫の山に行く手を塞がれる度に引き返し、或いは別の道を進んだため、幾つもの小部屋や通路、階段を通過する羽目になった。
その間に、休憩も挟んでいる。
そうしてたどり着いた一つの扉。
『この向こうから奴の気配がする』
頭の中のアルマがシャイードに警告を発し、シャイードはそれをアルマの口で仲間に伝えた。
イールグンドが緊張した面持ちで扉に手を掛ける。その手首に、ラザロが杖を乗せた。
「待て。先に援護魔法を掛けておこう」
「そうですね。私も、ヨルにご加護を祈ります」
ラザロとディアヌがおのおの全員を対象に、抗魔、賦活、聖盾、再生の魔法を掛ける。順に、敵対的な魔法に対する抵抗力を上げ、体力を増加し、ダメージを軽減し、傷の再生能力を劇的に高める魔法だ。シャイードの小剣とイールグンドの片手剣は、どちらも魔法剣なので、武器自体の威力を底上げする魔法は掛けられない。ディアヌの神性武器も同様だ。
「アルマ……ではなく、シャイードか。もう一度だけ、俺にチャンスをくれ。キールスに呼びかけてみる」
沈痛な表情で、イールグンドは俯いた。目の下の隈が濃い。シャイードはためらったが、結局は頷く。どのみち、ここで拒否しても、彼は納得しないだろう。
「……わかった。だが、駄目だとわかったら腹をくくれ」
イールグンドは眉根を寄せて目を細め、何とか小さく頷いた。
扉は、謁見の間を見下ろす回廊に繋がっていた。
フォスの光が照らすまでもなく、謁見の間にはガラスの欠け落ちた窓や壊れた壁から、外光が降り注いでいた。
外は依然としてぼんやりとした明るさだが、室内との明暗差で、光が帯状に見える。帯の内部では、埃がちらちらと光っていた。
かつては美しかったであろう欄干も、そのほとんどが壊れて階下に落ちている。見下ろせば右手の玉座の後ろに、黒く焼け焦げた巨大なタペストリがあった。
広間の中央には落下したシャンデリアの残骸、天井には千切れた鎖が残る。床のそこかしこに、白い瓦礫が大量に散乱していた。
キールスは、シャンデリアの残骸の上だ。
「キールス!!」
イールグンドがわずかに残った欄干に腕を掛け、身を乗り出す。白い上半身を曝し、肘から先と腰から下を黒いドレスに包まれたキールスは、かつての相棒を見上げたようだった。
彼は死出虫に包まれた黒い右手を持ち上げた。
「目を覚ましてくれ、キールス! 俺の声が聞こえるんだろ!?」
『絶命が来るぞ』
アルマが頭の中で警告した。シャイードも同時に理解していたが、キールスの狙いはイールグンドだ。
すぐにでもキールスに飛びかかりたいが、チャンスをやる約束をしてしまった手前、踏みとどまる。
『絶命』
キールスがイールグンドを指さし、力ある言葉を紡いだ。
「うぐっ!!」
「イールグンド!」「イールグンドさん!!」
絶命の魔法に打たれ、イールグンドがよろめく。半歩下がり、その場で胸を押さえてうずくまった。シャイードとディアヌの声に、彼は片手を挙げる。
そして、欄干を支えによろよろと立ち上がった。
「抵抗したか!」
『抗魔が役立ったな』
シャイードの驚きに、アルマが冷静に答えた。
衝撃から立ち直ったイールグンドは、真っ直ぐにキールスを見据える。
「……お前は、俺を変質させないと言ってくれたな? なのにまさか、お前の方が変質してしまうなんて……」
イールグンドは一度言葉を切り、顎を引いた。眉根を寄せ、唇を噛む。それから再び顔を上げた。
「俺はどうすれば良い!? 教えてくれキールス、唯一無二の我が狩組よ! お前を取り戻せるなら、何でもする。……何でも、する、から……」
イールグンドは欄干を握りしめ、痛切な表情で声を絞り出した。
「……死なないでくれ。俺を置いて、遠くに逝ってしまわないでくれ! どうか、……どうか、頼む……!」
キールスは何も答えない。顔には何の感情も浮かんでいない。
しかし彼は、イールグンドを指していた右手をゆっくりと下げた。
『イィィルゥウウ、グンドオォォ……』
死出虫の飛ぶうわんうわんという微かな音に、意味のある言葉が混じった。
「キールス!」
「届いたか……!?」
イールグンドの祈るような声に、シャイードは希望を重ねる。
しかし――
キールスは、両方の手を同時に持ち上げた。何かを捧げるような、或いは指揮するような手つきだ。
カタカタカタと、振動で物が揺れるような音が続いた。初めは小さく、次第に大きく。
「なんだ? 地震?」
シャイードは周囲を見回す。天井からぶら下がった鎖は揺れていない。
だが広間に散らばる瓦礫が動いていた。いや、蠢いていた。
『違うぞ。あれは』
キールスが浮かび上がる。
するとまるで糸を引かれているかのように、瓦礫だと思っていたものが次々に浮かび上がり、形を成していった。
組み上がったそれは……巨大な人型の骨格だ。
「巨人の骨傀儡か!」
ラザロが、驚きとも称賛ともとれる呟きを漏らす。
傀儡は発達した上半身に対して、人とは違う短い足を持っていた。腕の骨は長くて太く、四本もある。
全体として前傾姿勢で、四本腕の巨大なゴリラの骨格を想像すると近い。
頭蓋骨には両目の他、眉間にも穴が空いており、前頭骨や頭頂骨は人並みのバランスに発達していた。しかし中身は空だ。
謁見の間の回廊は、床よりもかなり高い位置にあったが、骨傀儡の頭はそこに達していた。
キールスはふわりと浮いて、骨傀儡の左肩に座る。傍らには、シャンデリアの残骸である金色の輪も浮かんだ。車輪めいて回転を始める。
「イールグンド」
シャイードはアルマの声で隣の名を呼ぶ。
イールグンドは眉根を寄せ、一度目を閉じて鋭く息を吐いた。シャイード=アルマに向き直ったときには、ハンターグリーンの瞳に覚悟が宿っていた。
「奴を倒して、キールスの身体を返して貰おう」
「……ああ。そうだな」
シャイード=アルマは頷く。ヤドリギを宿した流転の小剣を右手に構え、欄干に手を掛けた。
「行くぞ、お前ら!!」
「はいっ!」
「うむ」
ディアヌや、ラザロでさえも、戦棍と魔杖を構えて真剣な表情で頷いた。




