長い夜
「そっちに行ったぞ! 気をつけろ!」
「くっ! 数が多すぎる……!!」
武装したエルフたちは、湿地を包み込む霧の中から、次々と現れる死霊の対応に追われていた。
死人や骸骨とは、通常の武器でも渡り合える。幽霊には精霊術と、ミスリル剣を持つ者とで対応した。
どれも一体一体の強さは問題ない。死人や骸骨の動きは単純だし、遅い。幽霊は多少やっかいだったが、最初の数日間は、目につく限りの死霊を殲滅できていた。
しかしその夕暮れを境に、大量の死霊が次から次へと湧き出し始めたのだ。
物量で押してくる敵を相手に、エルフたちは苦戦を強いられていた。
彼らが得意とする弓矢はほとんど役に立たない。
精霊術は無限には撃てない。
ミスリル剣は本数が限られている。
「皇帝の軍はまだか!?」
帝都より使者がもどってから、既に五日以上が経過していた。皇帝は東の動乱を鎮めて戻ると約束したらしいが、まだ影も形も見えない。エルフたちは、彼らのいう東の地とやらがどれ程の距離か知らなかった。
冥界へ踏み込んだイールグンドたちの消息も不明だ。
「これ以上は無理です! 一旦引いて立て直しましょう」
額から流れ落ちる汗を拭いながら、一人のエルフが隊長へ進言した。剣を振るい、或いは精霊を使役する仲間たちの動きも精彩を欠いている。
もう何時間も戦い続けており、辺りはすっかり闇に包まれていた。敵の数は一向に減らない。死体の山だけが延々と築かれ、彼らの足場を危うくしていた。
立て直すとはいうが、彼らが一度でも退けば、死霊たちが通り抜けるだろう。しかしこのまま戦っていれば、遠からずエルフたちとて力尽きる。
長き命を持ち、知識と力を蓄えてきた者たちが、死ぬべきではないときに死ぬことになるのだ。
「……。やむを得ないだろうな。……伝書梟を」
予め足に手紙を結ばれていた梟が放たれる。――南の旧都へ。
「撤退だ! 我らは充分に役目を果たした。……あとは人間たちの責任だ」
◇
旧都グレゴと湿地の間には川がある。アロケルだ。
霧の中から湧き出した死霊たちの半分は、何の障害もない東の平原へと散っていった。
しかし残りの死霊が、エルフたちの退いた後を南下していく。
その先には立派な橋が架かっていた。
王都クバルが隕石の雨に沈んだ日。生き残った人々の多くが、南の衛星都市ガグへと逃れてきた。だが西に大高地を生んだ地殻変動により、アロケルの本流がクバルとガグの間に現れたため、街道は分断されていた。
そこでガグ周辺の住民は、筏を往復させて被災者を南へ運び、のちに協力して小さな浮き橋を作った。ロープと木材で出来た頼りないもので、アロケル川が増水すれば一部が沈下したり、流されたりしたという。
その後、都市が復興していく過程で川の北側にも村落が出来、浮き橋は今日のような立派な石のアーチ橋に作り替えられた。
初代の名称を継承し、”救いの橋”という名で知られている。
川の周囲および湿地帯南端にかけての地域で行われている農業・漁業・放牧は、現在も旧都グレゴを支えている。
一方で、湿地帯の深部へは、当時も今も人は余り踏み込まない。
千年の時を経てもなお、クバルの亡霊が出ると噂される。また、鉱山を巡るドワーフたちの戦争の折りも、この地では数多くの死者が出た。
彼の地はもとより、冥界と近しい場所だったが、死が死を呼び込む負の連鎖は続いている。
グレゴの領主フラメント公は、帝都からの指示通りに周辺の村落から避難民を受け入れ、橋の手前側にバリケードを作り、城門を閉ざした。
期限は帝都から援軍が到着し、死霊を駆逐するまで。援軍は二週間以内に到着させるという約束だった。
二週間の籠城自体は、容易い。
首都機能を東に譲ったとはいえ、豊かな農耕地を抱えたグレゴゆえに、食料の備蓄は充分だ。
兵力は歩兵が中心で、その数は打って出るには心許ないが、籠もるには足りる。もっとも、相手に実体があればの話だが。
問題は塩の不足だった。
この時期には入るはずだったザルツルード産の塩が未だ届かないことにくわえ、少量だが岩塩を買い入れていたドワーフ鉱山との連絡も途絶えている。
それでも避難民を数に入れてなお、人々が数週間、或いは一ヶ月程度生きるのに必要な最低限の備蓄はある。家畜に費やす分を考慮するなら、期間はもっと短くなるだろう。
懸念される最大の敵は幽霊だ。
幽霊には川もバリケードも城壁も、何ら障害とならない。彼らが魔法で暴れたり、人々に取り憑いて衰弱死・狂死させる、或いは同士討ちになることを懸念している。
彼らを撃退するために現在、各神殿で聖水を増産しているが、作成には塩が不可欠なのだ。
聖水を作れば作るほど、食料としての塩が不足してしまう。
ジレンマだ。
既に市中では、塩の買い占めや売り渋りが発生して、価格が高騰しているという。困り果てた住民からの陳情で、「不必要な塩の独占は厳罰に処す」との触れが出された。
混乱は多少和らぐだろうが、そうでなくても誰がどの程度の塩を持っているかを調べる手段などない。
塩が国家の専売であったなら、とフラメント公はぼやいた。
門を閉ざし、死霊が来ぬよう息をひそめて祈っていたが、とうとうその夜、白梟が城の尖塔に降り立った。
都市を囲む胸壁上に、かがり火が灯る。
兵士と神官から成る混成部隊は、北の方角を注視した。
「……来た!」
重い足取りで橋を渡ってきた死人や骸骨の群れは、丸太を組み合わせたバリケードに行く手を阻まれる。
けれど幽霊はこの限りではない。それどころか、彼らには橋を渡る必要すらない。人の温もりを求めて、或いは自らの怨念を罪なき者たちで晴らすため、グレゴへと殺到した。
兵士たちは矢筒から矢を取り出し、鏃を手元の桶に浸す。そして狙いを定め、飛んでくる幽霊を射た。
『キィィイイイイィィーーーーー!!』
射貫かれた幽霊が悲鳴を上げる。
「やったか!?」
射た兵士が隣へと問う。目をこらしていた神官が、首を振った。
「……いや。駄目だ。消滅はしない」
聖水に浸けた矢は、有効のようだ。しかしそれでは聖水の絶対量が足りないのか、消滅には至らない。ひるませただけだ。
「何本も当てないと駄目か?」
「効率的ではないな」
胸壁上の人間をめがけて、幽霊が飛んでくる。神官たちは神に祈り、その手から気弾や聖滅を放ったり、周囲の兵士やその武器に加護を与えたりした。
バリケードで足止めされていた死人の背後に、次から次へと新たな死人が加わっていく。バリケードはじわじわと押し戻された。
今宵は長い夜になるだろう。
兵士も神官もみな、そう予感していた。




