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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第四部 死の軍勢
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奪い合い

 階段を上りきった先は、広場と見まごうほどに幅の広い通路になっていた。石畳は所どころ壊れ、道の両側に並んだ円柱は崩れていたが、見渡す限り死霊の姿はない。

 通路は城門へ、そしてその先へと続いている。


 一行は長い階段を上り終えた疲労で、瓦礫の上に思い思いに座り込んだ。

 ディアヌはいつ崖下にたたき落とされるかも知れないという緊張から、精神的に疲弊した様子だ。両膝を立てて座り、腕の輪に顔を埋めている。

 イールグンドも、死霊に奪われた活力が戻っていない。はぁはぁと浅く息をしていた。

 ラザロも立ち上がれない様子だ。アルマだけは平然としており、立ったままでいた。


『コイツ、足は遅いけれど息は切らさないな。なぜだ?』


 シャイードはアルマの回りをぐるりと一周しながら呟く。彼が身体に憑依したときには、戦闘後に息も絶え絶えになっていたはずだ。

 普段アルマがすることのない激しい動きをさせたせいだと思っていたが、それだけではないのかもしれない。


「おいおい。あれくらいでへばっちまったのか? ったく。脆弱な奴らだ」


 海賊は自分の責任とは露とも思わぬ態度で一行を嘲った。


「んで? てめえらはなんで生身でこんなところをほっつき歩いてんだ? 冥界なんだろう、ここは」

「ビヨンドを倒すためだ」


 元気なアルマが、代表して問いに答える。海賊はアルマに向き直った。


「ビヨンド? なんだそりゃ」

『世界間の境界を喰い荒らしちまうバケモノだよ。この冥界は、現世界と融合して地続きになった特異な冥界なんだ。生きたまま入れるし、死んだまま出られる。お陰で、外に死者が溢れて大混乱だ。俺たちはそれを解決しようとしてる』


 シャイードが空中から補足した。

 海賊は、「へえ」と気のない返事をして、耳に小指を突っ込む。


「勇者サマとそのご一行、ってわけか。てえか、てめえは死んでるじゃねーかよ」

『死んでねえ! これはその、ちょっと仮死状態なだけだ。ビヨンドを倒せば生き返れる』

「そうなのか? 俺も?」

『……生き返りたいのか?』

「あー……。いや、そう言われっとな。それはそれで、めんどくせえか」

「汝、死ぬ前後の事は何も覚えておらぬのか?」


 アルマが口を挟む。


「ああ。……いや、待て。死ぬ直前のことなら、なんとなく思い出してきたような気がするぜ……」


 海賊の死霊は眉根を寄せ、顎髭を何度か撫でた。


「船に乗っていたってのは、さっきそこの兄ちゃんに話した通りだが」と、海賊はイールグンドに顎をしゃくった。

「その船が戦になったんだ。相手は……、帝国の船で。そうだ、俺は背後から刺されて倒れた」

『……仲間に裏切られたのか?』


 シャイードの問いに、船長は一つ首を振る。


「いや、そうじゃねえ。船に乗せていた兵士どもにだ。俺が勝手に停戦交渉をしたのが気にくわなかったのかも知れねえ。薄れゆく意識の中で、船が派手に燃えるのを見た」

『海賊船に、兵士……?』

「ああ。ミスドラ王国の獣人兵だ。俺たちはザルツルードの目と鼻の先で、帝国の船を叩き潰すっつー仕事を請け負ってたんだ。ま、個人的に帝国艦隊には恨みがあったしよぉ。だが、必勝の海戦兵器とやらが届かなくてな。他にも色々、上手くいかねえことが続いて……」


 船長は肩をすくめた。

 シャイードはアルマを見た。

 これは、先に帝都で聞いた話と符合する。アルマも一瞬、シャイードを見たような気がしたのだが、その後ろのフォスを見ただけかも知れない。


『お前らが……そうか……』

「結局このザマさ。だがまあ、いまは清々してるぜ。もうしち面倒くせえことを考えなくていいわけだしな。あとは……」


 何かを続けようとして、彼は口を噤んだ。

 無意識に血に染まったサッシュを撫でている。


『そんで、どっちが勝ったんだ? アンタらの船? それとも帝国か?』

「さあな。俺の記憶はそこまでだ」


 海賊は片手を肩の高さに持ち上げた。シャイードは残念そうに肩を落とす。


「それよりてめぇ、さっき気になることを言っていたな。湿地に海賊が湧き出した?」

『ん? ああ。多分アレは海賊だと思うんだが、襲いかかられたんだよ。矢が刺さっている奴とか、半分燃えているような奴とかに』

「……。そうか」


 海賊は眉根を寄せ、俯いて何かを考え込んだ。

 ラザロが杖にすがって立ち上がり、その傍へと近づく。


「貴様、……殺されたばかりの霊にしては、妙に自我がはっきりしておるな。それにその身体……。何か」


 ラザロは杖の先端、鎌状部分の根元を、死霊の身体に近づけた。

 海賊は顔を上げていたが、抵抗するでも攻撃するでもない。杖の先端が触れると、魔杖がうっすらと光った。


「ふむ。貴様の意志を守った何かを持っているな」

「……」


 海賊は黙ってラザロを見つめていたが、突然、穴になった腹に手を突っ込んだ。アルマとラザロ以外のメンバーはぎょっとしたが、死霊の腹からは血が出るでもなく、内臓が飛び出すでもない。

 海賊の手には、高さ二十センチメートルほどの像があった。


「信仰か」


 ラザロの呟きを聞きつけ、ディアヌが立ち上がった。数歩離れたところで足を止め、神像を見つめる。


海神ポントゥスの神像に見えます。貴方は、信仰に救いを……?」

「違え!」


 死霊は彼女を見て否定し、それから手元に視線を落とした。

 しばらく沈黙が流れたが、死霊は一つため息をついて、口を開いた。


「てめえは神官だな」

「はい。冥界神ヨルの神官、ディアヌです。死の旅路をたどる者に恩寵を。告解があるのならば、預かりましょう」

「ふん。言ったところで……」


 彼は鼻で笑ったあと、目を瞑った。


「まあいいさ。どうせ俺は死んでるし、今さら恥もくそもねえや。暇つぶしに話してやる」


 目を開けて一行を見回す。自分に視線が集まっているのを知り、訥々と話し始めた。


「……。俺の人生は奪われることから始まった。奪われて、奪い返して、また奪われる。その繰り返しでな。この世界に奪う者と奪われる者しかいないのなら、俺は奪う側になってやる、そう思って生きてきたんだ。俺が奪われたのと同じだけ、……いや、奪われた以上に奪ってやる。そうして俺は他の奴らよりも幸せになってやるんだ、ってな」


 海賊は巡らせていた視線を、神官の上で止めた。ディアヌは黙って頷き、先を促す。


「――だが、幾ら奪っても、幸せってやつは感じられねぇ。奪った富は、手に入れた途端に色あせた。女を奪っても、得られるのは一時の快楽と相手からの憎しみだけだ。命を奪えば、そいつを大切に思っていた奴から命を狙われる。心の中には、いつも嵐が吹き荒れていた。俺はその嵐の中、小舟一艘にしがみついて、上下する波に翻弄されていたんだ」


 海賊はそこでまたため息をついた。数秒の間を置いて、再び口を開く。


「あるとき、俺は海神の老神官を殺してこの神像を手に入れた。売りさばくためにな。血で汚れたこの像を磨いていたとき、ふと俺は、自分が無心になっていることに気づいたのさ。心の嵐が凪いだ。――信仰は、幾分かは心の慰めになったぜ。海神は奪うことを否定しねえし」

「漁師の方々は、海から恵みを”奪って”きますものね。海神はそれを許して下さるといいます。そしてあるときは、嵐をもって全てを奪い去る……」


 死霊は頷く。その表情は今までになく穏やかだ。


「そうだ。俺はいつしか海神を熱心に信仰していた。誰にも言わず、心の中でこっそりな。信仰を知っても、世界はやはり”奪う”か”奪われる”かだという考えは変わらなかったし、幸せというやつもよくわからんままだ。――だがな。最後の瞬間に”与えられちまった”んだ。この像と腕輪を、俺から盗んだ奴によ。まったく、困惑するぜ。俺が一生を掛けて理解した世界が、いとも簡単に覆されちまったよ」


 海賊はがははと笑った。まるでとってつけたような笑いだ。

 本当の彼は、泣きたいのかも知れない、と、シャイードはその表情を見て思った。

 一生を掛けて信じていたものを、あっさりと覆された彼は。見ていた世界の姿が、間違っていると突きつけられた彼は。

 ラザロがふむ、と大柄な男を値踏みする。


「貴様はここに、”とりあえず登ってきた”と言っていたが、おそらくそうではあるまい。導かれたのであろう? 他の死霊たちのように、死王の指輪に支配されることもなく、自由な魂のままで」

「どういう、……ことです?」


 ディアヌが尋ねた。ラザロは答えず、口を開いたのは死霊本人だ。


「海神が俺を呼んでいる……気がしたんだ。まあ、海神かわからんが、何かの声が。この世界の出口が、こっちにあるのだと肌で感じたっつうか」

『出口……? どういうことだ? ここは霧の中心だぞ?』


 海賊は首を傾げた。「だがそれでも……」言いかけ、彼は口を噤む。そして急に恐ろしい表情で腰の舶刀を抜き放った。


 一行は驚きつつも、咄嗟に距離を取る。

 イールグンドとディアヌは武器の柄に手を掛け、ラザロは魔杖を縦構えにした。シャイードはアルマの身体に入ろうとして、彼が門の方を見つめていることに気づく。


『待て! 何か……』


 彼らのいる場所と門の中間で、地面から黒風が渦巻く。シャイードの声が聞こえない者までも、揃ってそちらを見た。


 風がこごる。


 突如として黒い獣が出現した。体高はラザロの軍馬ほどだが、横幅は倍以上だ。

 太い四肢で大地を踏みしめ、三つの首から三対の赤い瞳が睨み付けてくる。牙がむき出しになった口からは、吐息の代わりに炎が噴き出していた。背後で、膨らんだ尻尾がゆらりゆらりといらだたしげに揺れている。


「ケルベロス……!」


 ラザロが冥界の番犬の名を呟いた。

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