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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第四部 死の軍勢
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難問

「怪我を治します、アルマさん!」


 ディアヌが心配して、馬を下りて駆け寄ってきた。

 体中の筋肉が痛く、シャイードは憑依を解いた。ベッドから起き上がるように、するりと身体を脱ぎ捨てていく。

 アルマの瞳は、一度焦点を失ったが、二、三秒後に一つ瞬いてディアヌを見た。


「ふむ……。特別、重大な問題は発生していないようだ」

『無理に動かして全身筋肉痛だが、良く平気だな。コイツ』


 シャイードはアルマの上から顔を覗き込み、意外なほどの我慢強さに少しだけ感心した。

 そのアルマの視線をたどると、向かいに座ったディアヌはうっすらと唇を開いたまま呆然としている。瞳が大きく見開かれていた。

 数拍遅れてアルマの返答が耳に入ったようで、彼女は激しく瞬いた。頬が赤い。

 帽子がすっ飛んだため、アルマの顔を初めてまともに見てしまったのだ。


「そ、そうですか。斬られたように見えましたが」


 彼女はアルマの顔から視線を逸らし、破れた袖に意識を集中する。怪我の様子を見ようとした途端、アルマは右手で左腕をかばい、彼女から遠ざけた。


「かすり傷だ。血も出ていない」


 ディアヌはほっと息をついた。確かに、袖には血がついている様子もない。派手に斬られたように見えたが、衣だけで済んだのかも知れない。

 彼女は立ち上がると、面白そうに覗き込んでいるラザロを睨み付けた。


「これはどういうことですか! ラザロさん!」

「……チッ。うるさい女だ……」


 ラザロは小声で呟き、半眼で視線を逸らす。しかしその視線の先で、イールグンドまでもが問いたげな瞳をしていた。ラザロはため息をつき、しぶしぶ意図を説明する。


 冥界化の元凶である”ビヨンド”なる魔物を倒すためには、シャイードの魔法剣に込められたヤドリギの力が必要であること。

 魔法剣を使いこなせるのは、持ち主であるシャイードのみであること。

 そのためにシャイードの魂をアルマに憑依させ、身体を操る訓練をさせたこと。


「つまりこれは必要なことであり、アルマも合意の上だ。わかったら進むぞ」

「貴方という人は……っ! 人の魂や肉体を、まるで物のように……」


 ディアヌは戦棍を持った手をきつく握りしめた。

 ラザロは、ディアヌが殴りかかってくるのではないかと警戒し、馬上で身を引く。

 アルマが起き上がった。呼吸はすっかり整っている。


「我は物と思われても構わぬ。我のために怒る必要はないぞ」

「アルマさん……。なんて謙虚な!」


 ディアヌは崇拝するような瞳でアルマを見つめた。フォスが、アルマの帽子を拾って彼の頭に載せる。


『いやいや、こいつあんまり謙虚なタイプではないぞ?』


 シャイードは二人の間に入って手を振るが、ディアヌには聞こえていない。

 彼女が立ち上がり、手にしている戦棍の端がチリンと鳴ると、シャイードは急激に気分が悪くなった。船酔いをしたような気分だ。彼女から離れたい。

 シャイードはラザロの傍に寄っていく。彼の傍に漂う香りを嗅いでいると、気分が良かった。


 イールグンドはぼんやりとしていたが、みなの視線が集まると顔を上げ、「行こう」とだけ言った。


 その後も幾度かの戦闘に休息を挟みつつ、一行は馬を進めていく。霧の向こうに見えていた高い影が、どうやら城であるとわかってきた頃、死者たちの密度が急に低下した。


『あらかた片付けたのか?』


 最後にアルマに憑依してから、しばらく死者と出会っていない。シャイードはラザロの傍を飛びながら尋ねた。


「……」


 ラザロはフードを深く被り、押し黙ったままだ。聞こえなかったのかとシャイードが近づいたところ、彼は瞳を動かした。


「それよりも、移動したと考えるべきだろうな」

『移動……?』

「外に」


 シャイードはハッとした。そうだ。死者たちはこの霧の領域から出られないわけではないのだった。

 動きを止めたシャイードから動揺を読み取り、ラザロは視線を持ち上げた。彼は見えない雨粒を掌で受けるように、片手を目線に掲げる。


「吾輩達にとっては好都合。邪魔が入らなければ、一息にビヨンドの所へ行けるだろう」

『しかし、あれほど大量の死者が外に溢れたら……!』

「ふん。こんな時に争いあって新たな死者を作り出す人間どもが悪い。エルフたちにもせいぜい働いて貰おう。世界のために、な」


 ラザロは面白い冗談でも言ったかのように、くつくつと喉を鳴らした。肩も揺れている。シャイードは笑う気にはなれなかった。

 実のところ、彼と同じ感想を抱いていた。けれども。


『アンタもニンゲンだろうに……』


 呆れたように指摘するシャイードに、ラザロは肩をすくめただけだ。



 唐突に湿地が終わり、石畳の地面が現れる。まるでどこかから運んだ地形をつぎはぎにしたかのようだ。

 ラザロは役目を終えた”おこりんぼ”を回収した。防水加工と言っていたが、汚れまでは防げないらしく、”おこりんぼ”はすっかり泥だらけだ。

 足回りの糸も何カ所かほつれている。

 ラザロは無言でぬいぐるみの状態を確認し、頭をぽんと一つ撫でて鞄にしまった。


 シャイードはその間に、鍵から離れられるギリギリの高さまで空に浮かんで、周囲を観察した。

 霧はこの周囲にもうっすらと漂っているため、上空から見下ろすと地面は薄いミルクの海に沈んで見えた。城を中心に、静かに渦を巻いている。

 一行の周囲には尖った大岩や瓦礫がゴロゴロと転がっていた。湿地帯から風景は一変し、ここから城へは草一本生えていない無機質な場所だ。瓦礫の間を縫う道は狭く、複雑に絡み合って迷宮のようになっていた。


『まるで町みたいだ。……いや実際、町なのか? これは』


 瓦礫と岩は、黒い城壁を取り巻く町に見えなくもない。迷路のような通路は街路だ。

 中央の高台に、まがまがしい雰囲気の城がある。城壁を作り上げる石が黒くくすんでいるせいで、城全体もやけに黒っぽい。

 幾つもの尖塔が見えたが、ところどころ崩れており、廃城に見える。堀などはないが、城門は地上よりかなり高い場所にあった。

 見渡せる範囲に、死者の姿はない。


 ――いや、一つだけ。

 城の方向へ向かう影があった。


 シャイードはラザロの傍に戻ると、見えたものを報告した。

 ラザロは感慨深げに城を見上げていた。


「かつて、この地にて栄華を誇ったクバル魔法王国……」


 ため息と共にシャイードへと視線を移す。霊を見抜く灰瞳には、郷愁めいた憂鬱が浮かんでいた。


「その王都が、今は見る影もなく幽鬼の巣窟となっている、か」

『クバル魔法王国? なんか、聞き覚えがあるな』

「千年前、厄災が天の星を爪でひっかいて落とし、瞬きの間に消滅した都市だ」

『ああ、その衛星都市が帝国の前身の!』


 ラザロは気怠げに頷く。彼は馬を進め始めた。いつに間にか、周囲にはイールグンドとディアヌも集まってきていたのだ。

 ラザロは声を落とした。


「数多くの魔導書が都市と共に滅んだ。とりわけ、死霊術のな」

『なんで死霊術が?』

「クバルの魔法王こそが、死霊術の祖マギウス=ブラックモアだからだ」


 シャイードは目を丸くした。彼は浮遊しながら身体を立て、口元を手で押さえて腕を組む。


『なるほど……。ここに死王の指輪があるのは、そういう理由か』

「この地はそもそも、冥界と繋がりやすい地だったと言われている。古くから、死者の自然な起き上がりが絶えなかったし、幽霊譚にもことかかない。世界中に、そういう場所があるのだ」

『妖精界と繋がりやすい場所があるようにか』


 ラザロは左の口角を持ち上げた。


「そう言えば貴様は、妖精王だったな。その通り。それ故に、死霊術が発達したし、マギウスのような卓越した魔術師も生まれた」

『……』


 シャイードはアルマを振り返った。彼はラザロの後ろに座って、無表情に横を向いている。かつて人々が平和に暮らした街路――、冥界と混じり合って、当時のままかはわからぬが、その元の姿を思い描こうとしているのかも知れない。

 シャイードと同じように。


「我はこの町を見たぞ」


 唐突に、アルマが口にした。ラザロが無言で振り返る。


「汝の家で。暖炉の上に飾ってあった風景画、あれはこの町とあの城の在りし日の姿であろう?」

「……良く覚えていたな」


 ラザロは切れ長の目をやや大きくし、アルマに答える。

 それから彼は、正面に向き直った。


「言い伝えを元に再現した想像図だと言われているが、その通りだ」

「なぜ、汝はあの絵を飾っていた? 好きなのか?」

「……好き、か。貴様は、ずいぶんと曖昧な言葉を使うのだな?」

「我は、好きと嫌いを区別したい」


 ラザロは一瞬眉根を寄せた。


「確かに。それは難しい問題だ」

『えっ!?』


 てっきり、アルマの意味不明な発言に、ラザロも困惑したのだと思っていた。

 しかし口にした言葉は、シャイードの予想を裏切っていた。

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