交渉
ロレンソ南西の平原で行われた遭遇戦では、多くの死傷者が発生した。とりわけファルディア側において、損耗は顕著だ。
帝国軍は不十分な装備、兵力を分散して進軍中の不意打ちであることを考慮すれば、善戦したといえる。
装備および兵力ついては、襲撃地点への迅速な移動を考慮した結果であり、そのこと自体に落ち度はない。川船には限りがあるし、そもそも馬を船で運ぶのは難しい。馬はとても神経質な生き物で、船に乗ることを嫌がる。無理に乗せたところで、ストレスから体調を崩し、戦場で役立たないようでは意味がない。帝国軍の企図した分進合撃は、理に適っていた。
問題は、敵側に手の内を読まれていた点と、予想外の進軍路を取られた点だ。
捕虜を尋問したが、前者については情報が錯綜している。聞き取った情報を後日、あらためて検証する必要がありそうだ。
しかし、後者のトリックは解明されていた。ファルディア軍はなんと、フスフィック山脈の古い地下道を通って西側の平原に現れたというのだ。
パタウの付近に到達した報告を最後に、ファルディア軍の足取りが途絶えたのは、彼らが地下を行軍中だったからだった。
オルドラン平原とその周辺は遺跡が多いことで知られる。様々な鉱石を産出する土地柄ゆえに古くからドワーフも住み着いていた。
しかし現在、地下遺跡の多くが崩壊したり、魔物の住み処となっている。騎馬の行軍に耐えうる長い通路が残っている事実に、レムルスもトゥルーリも驚きを隠せなかった。
勝利と共にロレンソの町へ入った皇帝を、当地をおさめるピーリス卿は手厚く出迎えた。
負傷者はナ・ランダ神殿へ送られ、死者は帝都の風習に沿って順次、荼毘に付される予定となった。
ただし、焼却炉は限られているため、かなりの時間を要とする。遺留品のみが、家族の元へ返却するために、先に整理された。
領主館とその庭園を開放して盛大に行われた戦勝祝いの宴を、レムルスは早々に抜け出した。彼はクィッドのみを伴い、地下牢を訪れる。
東の動乱を平定したら、すぐに西にとって返さなくてはならない。そういう約束だ。
だから今は、少しでも時間が惜しかった。ファルディア軍の侵攻はこれで終わりなのか、まだ別働隊があるのか、一刻も早く情報が欲しい。
驚き、畏まる看守たちをねぎらい、クィッドに運ばせた酒と軽食を差し入れた。宴の賑わいを聞きながら真面目に勤務していた彼らは、皇帝の心遣いに大いに喜んだ。敵将を捕らえた檻の場所を尋ねると、困惑こそされたが、案内はしてもらえた。
レムルスは人払いをした。
独房の石のベッドに横たわっていた敵将は、レムルスがやってきたことに気づき、むくりと起き上がる。
顔の上半分を覆い隠していた面ははぎ取られ、日に焼けた険しい顔が露わになっていた。
捕虜は女性だった。歳は三十代半ばほどだろうか。体格は大柄だ。
茶色がかった黒髪は、後頭部の高い位置でひとくくりにされ、垂れ下がっている。眉は細くつりあがり、額は広い。化粧気はないが、瞳は綺麗な緑色をしていた。
「怪我した同胞を、治療してくれたそうだな」
女将は柵の傍までやってくると、唐突に言った。流暢な共通語だ。クィッドがレムルスをかばって一歩前に出ようとするが、皇帝は片手を横に出した。護衛を見上げて小さく首を振る。
レムルスは、捕虜に向かって口を開いた。
「余は殺戮者ではない。また、戦意をなくした者におびえたりはせぬゆえに」
その言葉に、敵将は口端を持ち上げた。そして、丁寧に一礼する。
「寛大なる処置に感謝する。……皇帝陛下」
「うむ。……先ほどは、余りきちんと話せなかった。今なら話して貰えるか?」
彼女は顔を上げた。
「もちろん。それこそがあたしの望みだ、若き皇帝」
レムルスは目を細めた。
戦闘後、捕らえられた彼女は、「指揮官に会わせろ」としきりに叫んでいたらしい。
てっきり戦後処理について提案するためだと思ったが、彼女は「帝都の皇帝に直訴したい」と意外な言葉を述べたのだという。
つまり、レムルスが討伐軍に参加していることは、ファルディア側に漏れてはいなかった。
帝都に連れて行くまでもなく、彼女の願いを叶えることは出来たわけだが、流石に戦闘直後は戦死者の確認や、負傷者の手当で周囲も忙しい。指揮を執るレムルスは面を着けたままの彼女に一目会って、「余が指揮官であり、皇帝だ」と宣言することしか出来なかった。
女将は、バールミと名乗った。
グロウグラスという氏族の族長の娘だという。
「もっとも、ご覧の通り”娘”などという年頃ではないがな。あんたと同じ年頃の息子もいる。もっと大きい息子も」
砕けた口調で自己紹介するバールミに、レムルスは小さく頷いた。
「余に直訴とは?」
「話が早くて良いな、皇帝。――あんたも知ってるだろうが、元々、あたしらはここいらに住んでいた平原の民だ。それをあんたの親父が、北東の不毛の地に追いやったという経緯がある」
「余が生まれる前のことだな。そなたらは村々を襲っては家畜や農作物を奪い、抵抗する人々を殺す悪辣な盗賊集団だったと聞いている。父は助けを求める民の声に従い、そなたらを追放したまでだ」
「そいつは半分あっているが、半分は間違いだ。厄災による魔法王国崩壊ののち、平原は長いことファルディアだけのものだった。まあ、地下にドワーフたちが町を作ってはいたが、あたしらとはあんまり関わってなくてな。そこに、西で生き残っていた定住者たちが入って来て、勝手に村落を作ったんだ。何もない土地に一方的に線を引いて、領有を主張して」
「だから奪ったというのか?」
バールミは腕を組んだまま顎を引いた。
「そうだ。広い土地を貸してやる代わりに、税を取り立てただけだ。力でな。あんたの親父やあんたと、やってることは同じだろう?」
レムルスはふんと鼻を鳴らした。
「力を語る者は、力で排除されても文句を言えまい」
バールミは肩をすくめる。
「そうだな。ほんと、その通り。あんた、若いのに賢いな。うちの息子たちに、その耳を舐めさせて欲しいくらいだ」
「な、なぜ……」
レムルスは思わず両耳をかばった。文脈から、耳を舐めさせることで賢さを移せるという迷信の存在が想像できたが、どうしてそんな迷信が生まれたのか理解不能だ。
バールミは少年の反応を見て笑った。
「あたしらの方じゃそう言うんだ。まあそれは置いておいて。本題に入ろう」
そう言うとバールミは、突如、その場に片膝をついた。深々と頭を垂れる。
「皇帝陛下。どうかあたしが大族長として、ファルディアの氏族を束ねることを公認して欲しい」
「えっ……?」
レムルスは素の声になって驚いた。
バールミは片膝をついたまま顔を上げ、右の口角を持ち上げる。
「困惑はもっともだ。あんたはあたしたちの長じゃないからな」
「そうだよ、……こほん、その通りだ。そなたらは帝国の民ではない。余がそんなことを認めたとして、誰が従うというのだ? それに、そなたにとってはともかく、帝国に何の利もない」
「それは」と、彼女は立ち上がる。「いまからちゃんと説明しよう」
「正直に言って、あたしらの今いる場所は厳しい。冬は長く、土地は痩せていて固い。この平原なら勝手に生えてくる牧草も、短い夏の間はともかく、その他の季節は枯れたり雪に埋もれてしまう。――知ってるか? あたしらが生きるために、魔物まで狩って喰っていることを」
「……」
レムルスは沈黙した。魔物を……食べる? 聞いたことがなかった。
何も言わずとも、顔に出ていたらしい。バールミは満足げに笑って、話を続ける。
「意外と美味いやつもいるんだ。中には言葉通り、煮ても焼いても食えないやつもいるが……。まあそれでも足りやしない。だから遠征して、境界地方の村々から略奪するしかなかった。何も好きでやってたわけじゃなかったが、仕方がない。けれど、アイツが来てからそれもままならなくなった」
「イヴァリス将軍か」
バールミは頷く。彼女はため息をついて、片手をひらりと振った。
「アレはバケモノだ。率いる兵も練度が高いが、あの男にいったい幾人の勇者が討ち取られたか……。殺戮を楽しんでやがるんだ」
「まさか。イヴァリス将軍は、誰よりも強く高潔な騎士で」
「あたしはそうは思わない。ま、敵と味方じゃ、だいぶ見方が違うだろうがな。とにかくあたしらは追い込まれたわけだ」
「それで今回の……?」
バールミは頷く。
「帝国に対して決戦を挑まなくては、遠からずその余力を失ってしまうだろう、とな。ファルディアは密かに爪を研ぎ、機会をうかがった。そこへ飛び込んで来たんだ。イヴァリス将軍が近いうちに軍を移す。……そんな情報が」
「えっ……!?」
本当なら聞き捨てならなかった。イヴァリスが軍を移すという話は、帝都にすら届いていなかった。だから、緊急に対処しなくてはならない事態が発生したのだと思っていたが、彼女の言う通りなら、予め企図されていたとも思える……。
「いったい誰が!?」
バールミは肩をすくめた。
「一通の書簡だ。長あてのな。捺されていた封蝋ごと取ってある。提案をのんでくれるなら見せよう」
レムルスは頷きかけたが、一瞬考えて首を振った。
「見たところで、何の証拠になるか……。裏切り者が、わざわざ自分の家紋を封蝋に捺すとは思えない」
「あっは! 確かにそうだ。あたしたちだって、鵜呑みにしたわけじゃない。斥候をやって、奴の動きを探った。そうしたらなんとなんと、本当に言われた期日に砦を出て行くじゃあないか」
「! イヴァリス将軍はどこに向かった!?」
「斥候によれば、ミルダース湖を北回りに迂回して東へ」
「東……? でもそっちには、山しか……」
とても有名な山がある。最後のドラゴンが討ち取られた、クルターニュ山だ。そして南に下れば広大な森を挟んで遺跡の町クルルカンがあった。
「その後の足取りは知らない。とまれ、進軍を阻む者はいなくなったわけだ。――言っておくが、あたしはこのタイミングでの挙兵に反対したぞ? 何かきな臭い匂いを感じた。誰かが描いた絵図の上を歩まされているような不気味な。それに、平原に軍を進めたとしても、帝国には魔銃兵がいる。弓騎兵とはすこぶる相性が悪い。それは先代との戦いで痛いほど思い知っていたはずなんだが……」
バールミは頭痛を感じたかのように、右手を頭に添えた。
「魔物を喰っているせいかな。やたらと血気盛んなんだ、うちの男たちは。”帝国といったって、屋台骨を失って混乱している。現皇帝は戦も知らないガキらしい……”っと、これはあたしが言ったわけじゃない」
クィッドがものすごい形相で睨んだので、バールミは慌てて両手を振った。
「気にせぬ。本当のことだ」
「少なくとも、あんたはもう戦を知ったわけだ」
ガキの方は否定せず、バールミは先を続ける。
「いつものように辺境地域を略奪し、帝国軍が進軍してきたら地下道を通ってやり過ごして、背後から襲撃する予定だった。指揮官を捕らえ、交渉するつもりでな。送られてきた文書にはな、『帝国軍には東に戦力を集中できない理由がある。挟撃の心配は要らない』と書かれていた。全く信じていたわけじゃなかったが、赤髪の悪魔が移動する予言はあたっていたからな。少なくとも、地下道の存在は帝国に知られていない自信があった」
「うむ。完全に意表を突かれた」
「けれど、あたしらも、帝国が軍を二つに分けて進軍してきたことには気づかなかった。それにもう一つ誤算があった。地下道の魔物の数が思ったより多くてな。本来は、帝国軍が白雪川に到達したタイミングで背後を突くつもりが、第一軍は既に渡河済み。あたしらは第二軍と遭遇する羽目になった、というわけだ」
「魔物を倒してきたのか!?」
地下道にはやはり、魔物が湧いていたのだ。まさかそんなところを抜けてくるとは。
バールミは得意げに微笑む。
「言っただろ。魔物の対応は慣れている。……多少の犠牲が出なかったわけじゃないがな」
「あの場所で余らと戦闘になったのは、そなたらにとっても予定外だった、ということか。……。交渉するつもりだと言ったが、先ほどの件か?」
「そうだ。少なくとも、あたしはそのつもりでここに来たんだ。もっとも、勝って優位に交渉するつもりが、このザマだが。……っと、簡潔に話すつもりが、長くなった。結局、何が言いたいかと言えば、あたしらはこの平原に戻ってきたいんだ、皇帝陛下」
「……。流石に虫が良すぎるとは思わぬか?」
「分かってる。だからなんとしても勝ちたかったんだがな。よもや皇帝が親征してくるとは思わなかったが、将軍の一人でも人質に交渉すれば、少しは耳を傾けやすかっただろう? こうなっては仕方ないが、あたしらがあんたに提供できるのは良質の馬と弓騎兵だ」
「それは、つまり……」
「あんたがあたしを大族長にしてくれるなら、ファルディアは帝国に恭順する。帝国の法に従い、今後、略奪は一切しない。平原を返して貰えれば一番だが、とりあえず貸与でもいい。そこであんたたちのために良馬を育て、兵を訓練する。あんたは優れた軍馬と弓騎兵を手に入れた上に、東の脅威から解放されるってわけだ。男たちは戦いを挑んで負けたわけだからね、帝国の法に従えば本来は奴隷になる運命だろ? あたしの交渉に文句は言わせない。あんたはたった一度の戦争で、ファルディアを恭順させたという実績が作れる。これは親父よりもすごい功績じゃないか? どうだ?」
「しかし……、それは、奴隷になるつもりはない、ということか?」
バールミはせせら笑った。
「欲張るんじゃないよ、坊や。奴隷になるくらいなら、あたしらは最後の一騎になるとても戦うさ。先の戦闘から逃げ落ちたやつらの他に、今回の遠征を様子見した部族だってまだ沢山いる。戦は長引くだろうし、境界地方は荒れ果てる。勝っても帝国に得るもんはないよ。なあ、あんたは親父とは違うだろ?」
「ブラフだ」
「ふはっ。なんなら試してみるかい?」
バールミは目を細め、不敵に笑った。
レムルスは視線を落とし、拳を握り込んだ。これは重大な選択だ。
彼女を解放しなければ、ファルディアは再び攻め込んでくるかも知れない。イヴァリス将軍と連絡がつかない以上、兵を引くことも出来ない。
しかし一刻も早く兵を西に戻さなければ、今度は旧都の避難民が危うい。
レムルスは目を閉じ、高速で考えを巡らせた。
長い沈黙の後、顔を上げる。
「……。余は……」




