魔銃の行方
トルドとフォレウスが狭い階段を駆け上がっている間に一度、船体が衝撃で揺れた。
二人は一瞬立ち止まって手すりにつかまる。振り返ったトルドとフォレウスの目が合った。甲板から、混乱した兵士たちの怒号が聞こえてくる。
「おっぱじまったようだな」
「今のなんだ? 魔法?」
「……かもな」
フォレウスは皮肉めいて唇を歪める。ここから争いを止めることなど出来るのだろうか。
(ともかく、魔銃だけは何としても取り戻さねば)
しかし、甲板に飛び出した二人が見たのは、驚きの光景だった。
のっぺりとした曇り空を背景に、メインマストが火柱と化している。
船員たちが、甲板掃除にも使用する消火用の水樽から海水を汲み、必死で掛けているが、炎の勢いは衰える様子がない。
焼けちぎれた帆が風で飛び、落下する。それが新たな火種となった。あちらでもこちらでも、消えぬ炎が不気味に増殖を始めている。
「どうなってんだ、こいつぁ!! 消えやしねえぞ!?」
「わからねえ……! とにかく、もっと水を掛けろ!! 燃えてないところにも掛けておけ!!」
「だめだ! もう水が尽きる!」
「おい、そっち!! ボートを下ろしておけ! 燃え移ったらどうしようもねえぞ!!」
「ロープにも火が……っ!!」
現場は混乱を極めていた。
(まさか……)
フォレウスはその場に立ち尽くした。嫌な予感を覚える。
(シャーク船長から聞いた、謎の海戦兵器……。”海の火”と言ったか? あの説明通りだ。――しかし、だったとして、どうしてこうなった……?)
海賊船長は、兵器の引き渡しを待っていると言っていた。帝国軍よりも先に届くはずだ、と。
しかしそれが届くことはなく、先に帝国軍と遭遇してしまった。それどころか状況を考えると、帝国軍の方が”海の火”を使っているようなのだ。
(輸送中に奪われたか。こりゃあ、万に一つの勝ち目も)
直後、風切り音がして矢が飛来する。一メートル程離れた床に突き刺さった。追いかけるように敵船から、矢の雨が降り注ぐ。
「トルド!」
フォレウスは、炎を見上げたまま固まっているトルドを庇うように、飛びかかった。二人はもろともに樽の影に転がり込む。
「あ……、ぁあ、ぁ、……火が、火が……!!」
トルドは目を見開いて業火を見つめ続けている。その声も身体も、完全にこわばっていた。
「しっかりしろ、トルド! トルド、俺の目を見ろ!」
フォレウスはトルドの頬をぺちぺちと叩く。少年の右半身には目立つ火傷の跡がある。理由は尋ねていないが、トラウマを引き起こしてしまったようだ。
トルドの瞳がようやくフォレウスを見つめ、焦点を結んだ。
「……おっさん……」
「立てるか?」
「あ、ああ。……問題ねえ」
取り乱したことを恥じるように、トルドは鼻を擦ってそっぽを向く。フォレウスは彼の上からどき、片膝をついて船尾楼を伺った。
「矢の雨が止んだら、走るぞ。いいか?」
トルドは素早く起き上がり、頷く。
「三、二、……今だ!」
フォレウスは身を低くし、トルドを従えてえ船尾楼へと走る。
途中、船縁にシャーク船長が仰向けに倒れているのが見えた。周囲の床は水浸しになっていたが、白かったサッシュが遠目にもどす黒く染まっている。とても息があるようには見えない。
フォレウスは渋い表情になり、前に向き直った。
船尾楼に飛び込んだ二人は、真っ先に鍵の掛かったチェストへと向かう。
「こいつか」
「ああ。あとの場所には見当たらなかった」
首を振るトルドに頷き返し、フォレウスは隠し持っていたナイフを取り出した。それをチェストの隙間に差し込んで、テコの原理で蓋をこじ開けようと試みる。
隣でトルドが入口扉を気にして、何度も振り返った。船長は死んでいるはずだが、染みついた習慣はそう簡単には抜けないのだろう。
「早くしろよ!」
「まあ待て。結構、錠前が頑丈で……」
それでも、何度かガチャガチャと強引に動かしている内に、錠前をチェストに固定している留め具が緩んできた。しまいに、ガギンという音がした。
しかし折れたのはナイフの方で、錠前は緩みながらも頑固に蓋と箱を綴じ合わせている。
フォレウスは役立たずになったナイフを放り出した。
「チッ。トルド、この部屋にハンマーかなんかないか?」
「ええっ? そんなの」
見た覚えがない。トルドは周囲に急いで視線を走らせる。
「くそっ。アイツだったら簡単に開けられるんだろうが……」
フォレウスは生意気な少年を思い出し、鍵穴を恨めしそうに見つめた。
「これならどう?」
トルドが別のチェストを開いて取り出したのは、何かの鉱石が混じったごつごつした石だ。掌からはみ出る程の大きさで、受け取るとずしりと重い。
「お、いいな。いけそうだ」
受け取った石を使って、錠前をガンガンとぶったたく。石を持つ右手が痺れた。
外からは相変わらず悲鳴や怒号が聞こえてくる。炎がいつここまで燃え広がってくるか、或いはマストが倒れるなどして入口がふさがれるかと気が気じゃない。
――早く、早く、早く。
フォレウスは額に汗をして、錠前を殴りつけた。
ようやく錠前は変形し、チェストの蓋が開く。
「よし……! ……ん……?」
「やった……?」
チェストを覗き込んだ二人は、暫し時を忘れた。
そこに入っていたのは、翡翠で彫られた海神の像と、曹灰針石の玉が連なったブレスレットだった。
どっと疲れを感じて、フォレウスは背後に尻餅をついた。息を腹から吐き出しつつ、あぐらの姿勢で額を押さえる。
「い、いや、だって! 他のところは全部見たんだ! 銃なんてなかった」
「わかってる。お前さんを責めやしないさ」
慌てて身を乗り出すトルドに向け、フォレウスは片手をぱたぱたと振った。それから顔を上げて少年を見た。
「もう探している時間はねえな。ま、魔銃はここでなくす運命だったんだろ」
フォレウスは軽く言うと、「よっこいせ」と億劫そうに立ち上がった。
「予定変更だ。お前さんだけでも、なんとか生かして返してやる」
「おっさん……」
「そんな顔すんなって! 物よりも人の命の方がずっと大切。……だろ?」
わははと笑いながら髪をくしゃくしゃしてくる大きな掌。少年は目頭が熱くなるのを感じた。
そんな風に考えたことはなかった。多少の金品を奪うために、人を殺すことなど厭わぬ大人ばかりが周りにいたのだ。
トルド自身、誰からも大切に扱われたことなどない。どやされ、殴られ、慰み者にされただけだ。
「どした? 腹でも痛くなったか?」
急に黙り込んだ少年の顔を、フォレウスは身をかがめて覗き込む。
「セリフがはずかしいんだよ! おっさんは!!」
「え、ええっ!? 酷くない?」
油断していた顔面に張り手をくらい、フォレウスは目を白黒させた。
船尾楼を飛び出した二人は、船上の状況が悪化していることに唖然とする。海賊達が幾人も、矢傷を受けて倒れていた。火が身体に移り、転げ回っている者もいる。
もはや誰も消火活動などしていない。水が尽きたこともあるだろうが、それ以前にまともに動いている者、動けそうな者もいない。
メインマストの帆は完全に燃え切り、柱と帆桁が炎を上げている。矢の雨は止まっていた。
トルドは炎から目をそらし、フォレウスの軍服の裾をぎゅっと握った。
フォレウスは気づきつつも、見ないふりをする。
「獣人兵が一人もいないようだが」
「あいつらならあそこだ」
フォレウスの疑問は、敵艦を指さしたトルドによって解消された。帝国の旗艦の上空を、巨大な猛禽が飛び回っている。また、甲板上では肉食獣が暴れていた。
フォレウスは口笛を吹く。
「飛べる奴がいたのね。そりゃ強気にもなるわな」
「マストがもたなそうだ。倒れてくる前に、早く逃げようぜ、おっさん」
「……だな!」
フォレウスとトルドは身を低くして移動し、上陸用のボートを探した。……ない。
トルドは落ちていたオールを拾う。
「一つも残ってねえ!」
「そりゃあいい。お仲間はみんな逃げられたって事だ」
「言ってる場合か! 俺たちはどうすんだよ!」
「そうだなぁ……。じゃあ、こいつで行くか!」
トルドの悲鳴に、フォレウスは転がっていた樽を叩いた。
「マジかよ!?」
「マジマジ。大マジよー? 心配せんでも、中の水が零れないんだから、外の水も入ってこんだろ」
「そんな適当な……!」
「……の前に。ちょっとだけ時間をくれ、トルド」
「……えっ」
フォレウスは返答を待たずに船員の死体や炎を避けて、横たわるシャーク船長の傍に寄った。跪き、船長の傍で手刀を縦横縦と箱を描くように動かす。
懐から、船尾楼で見つけた海神の像とブレスレットを取り出した。神像は死体の胸に置いて右手を添え、ブレスレットは彼の左手首に嵌めた。
「悪かったな、助けてやれなくて。お前さんの魂が、救われるように祈ってるぜ」
フォレウスは呟き、黙祷を捧げた。
ささやかな弔いを済ませ、船長の傍を離れようとしたときに、ゴトリと重い音を聞く。神像が落ちたのかと振り返ったが、それは胸の上にちゃんと置かれていた。
そのまま立ち去ろうとしてフォレウスは立ち止まる。
踵を返し、再び船長の傍に跪いた。
彼の上着の内ポケットに手を入れる。
フォレウスの表情が、疑惑から驚愕に変わった。
「……返して、……くれるのか。友よ」
柔らかく目を細める。
左右の内ポケットに一つずつ、二振りの魔銃が入っていた。




