会戦
「ははっ! 見ろよ、帝国の奴らを」
馬を駆る戦士達は、平原で待ち構える横陣を見て笑った。隣の男が口笛を吹く。
「軽騎兵を盾に使ってやがる。新皇帝は、騎兵の使い方を知らんらしい」
「ハッ! 知ったところで、俺たちの馬に追いつけやしないさ」
「魔銃兵が最前列に出ていない。つまり、魔銃兵はいない」
「負ける要素が一つもねえってことだなっ! 一方的にやっちまえ!!」
我先にと気勢を上げながら突っ込んでいく部族の男達を、部隊の半ばほどから冷ややかな瞳で追う弓騎兵がいた。
顔の上半分を面で覆い隠している。後頭部で高く結い上げた髪が揺れた。
(風がおかしい)
異変を感じた直後、先頭の男が射貫かれて落馬したのを見た。まだこちらの矢は届いていない。
「騎兵に隠れて魔法兵がいるぞ! 注意しろ!」
仮面の戦士は前方に警戒を呼びかけた。その声すらも、向かい風に阻まれる。
◇
レムルスの軍は接近するファルディア軍から射かけられる矢に、良く耐えた。
弓兵は通常、まとまった数を並べ、空に向けて一斉に矢を放つ運用をする。一人一人が的を狙うことはせず、矢の雨を降らせることによって離れた敵軍に損害を与えていく。
しかしファルディアは違う。
彼らは射程内に接近し、移動しながら狙い澄ました矢を射て、離脱していく。
盾を構えるレムルスの騎兵隊に襲いかかったファルディアも、やはりそうしてきた。
軽騎兵は防御に向いていないし、そもそも防御に使うものではない。一枚の盾で自分と馬の両方を守ることは不可能だ。
守備に使える部隊が他におらず、選択肢がなかったこともあるが、レムルスには一つ、考えがあった。
トゥルーリ率いる魔法兵は後方から風を吹かせ、ファルディアの矢の勢いを削いでいく。向かい風によって射程を短縮されたファルディアは、通常よりも帝国兵に近づかざるを得なくなる。
「射返せ!」
レムルスは周囲に命じたのち、自ら率先して弓を引いた。
幾ら風の助力を得ても、損害をゼロには出来ない。ファルディア兵が近づくにつれ、前列の騎兵が、ばらばらと崩れ始めた。馬を射られ、或いは本人が射られて。
軽騎兵が犠牲になっている間に、射程に入った敵の数を少しでも多く減らさなくてはいけない。
帝国軍の弓兵隊は皇帝の号令を受け、一斉に矢を射かける。統制の取れた弾幕を作り、正面から突っ込んでくるファルディア兵を、とりわけその中央を集中攻撃した。
レムルスの弓の技量は見事だ。
接近したファルディア兵を、弓なりに射た軌道ですら次々に射落としていく。レムルスの傍で戦っていた弓兵たちはその勇姿に大いに鼓舞され、我も負けじと矢を放った。
皇帝に向かって飛んでくる敵の矢は、傍に控えるクィッドが必ず盾で防いだ。
この集中射撃によりファルディア軍は、左右に分かれる。
機動力を活かし、帝国軍を左右から回り込んで、やっかいな魔法兵を背面攻撃をするつもりだ。
しかしその手は当然、レムルスを初めとして、帝国軍とその将官たちが予測していた。
(今だ!)
「騎兵隊、敵右翼へ突撃せよ!」
太鼓の音が鳴り響き、二手に分かれたファルディア軍の右翼にむけ、生き残った騎兵が突撃していく。
この突撃をスムーズにするために、軽騎兵は最前列に置く必要があった。また、風の魔法でファルディア兵をなるべく軽騎兵に近づける必要もあったのだ。
ファルディア軍の半分は、移動の横っ面を叩かれることとなった。生まれついての狩人である敵はしかし、迅速に反応する。
騎兵の突撃から逃げながら、背後を向いて弓を射た。ファルディアの最も得意とする戦法だ。
帝国兵は盾を構えて、運を頼みに全速力で接近していく。重装騎兵だったなら、追いつくことは出来なかったが、ここでは軽装であることが強みとなった。
その上、敵の半分にこちらの騎兵のほぼ全てをぶつけたのである。幾らファルディアが弓矢で敵を倒そうと、自軍の三倍近い敵を相手にいつまでも優位を保てようはずはない。
(敵には、常に大軍で掛かれと兵法の授業で習いましたものね)
ユリアが心の中で話しかけてきた。今は周囲に兵が沢山いる。
口に出して話すことは出来ない。
レムルスは小さく頷いた。
(うん。敵と味方の数に差がなければ、差を作り出せば良いんだ。ファルディア軍は強みがはっきりしている分、戦術が読みやすい)
(正攻法ですわ。問題はこの先ですわね……)
(敵左翼より、こちらの方が兵数が少なくなったからね)
(そこで、また習ったことが生きてきますのね)
(教本通りに行くかはわからないけれど、今度はこっちの強みを活かすよ)
ユリアの危惧した通り、残った帝国弓兵と魔法兵は無防備でファルディア軍の左翼の攻撃に曝されることとなった。
弓兵隊が、接近するファルディア兵と盛んに撃ち合いをする。こちらは敵の数が圧倒的に多く、かなり劣勢だ。
帝国弓兵に、みるみる損害が発生する。
そこで漸く、魔法兵の次なる戦術魔法が炸裂した。背後に回り込もうとしたファルディアの鼻先で、突如として地面が大きく陥没したのだ。
――いや、違う。魔法は完成したのではなく、解除された。
段差は最初からあった。その上を幻覚魔法をかぶせ、平地に見せていただけだ。レムルスはファルディアの回り込みを見越して、初めから窪地の端に陣を敷いていた。
両手で弓矢を持ち、両脚だけで馬を制御していたファルディア兵の多くは、この突然の陥穽に対応できなかった。
なすすべもなく折り重なって穴に落ち、互いの馬の体重でダメージを重ねる。
そこに、機を逃さぬ帝国弓兵の一斉射撃が降り注いだ。
通常の敵あれば、ここで後続の弓騎兵の士気は崩壊していただろう。
だがファルディア軍は強硬だった。辛うじて罠を回避した左翼の残り半分ほどは、窪地を大きく回り込んで帝国軍の背面を突こうと試みたのだ。
先頭に立って指揮をしている者がいる。髪を高く結い上げ、顔の上半分を面が覆っていた。
(あのお面……、部族長? 将の一人だろうか)
(戦略面では、ずっとあちらに主導権を握られてましたものね。なかなかのやり手ですわよ)
(この場所にどうやって現れたのか分からないけれど、略奪だけが目的じゃないようだね)
(あら? 目的なら明確じゃなくて?)
(……えっ?)
「光壁!」
トゥルーリが魔法兵に命じ、陣の背面側に魔法による防壁を展開する。
追い風の魔法よりももっと、防御に特化した魔法だ。一定のダメージまでは敵の矢を貫通させない代わりに、こちらの矢も敵に届かない。
(そうだ。これでいい。あと少し……、もう少し)
レムルスは機を待った。
守備一辺倒になった帝国軍の後背に、穴を回り込んだファルディア兵が次々に横並びし、矢が尽きる程の勢いで光壁を攻撃し始めた。
矢が刺さる度、ハニカム構造の魔法障壁にヒビが入っていく。
一枚を複数人で集中的に狙われると、やがてそこが砕けて穴になった。光壁を張っていた魔法兵が、矢傷を受けて倒れる。
(まだか……!)
次々に光の盾は打ち砕かれていく。空いた穴からは、こちらの弓兵も反撃を試みたが、隣の障壁に当たらないように気をつけると、思うように効果を上げられない。
(持ちこたえてくれ! もう少し)
背後に向き直っていたレムルスは、土煙の立つ右方を見た。
「陛下! お下がりください」
クィッドが隣で馬上から、必死に盾を構えている。
「大丈夫だ。もう少し、もう少しだけ耐えてくれ!」
レムルスは矢を射て、光壁を打ち破った直後のファルディア兵を一人、落馬させた。
(まだか……!)
右方を見た。
その表情が突如、苦悶に満ちたものから、明るいものへと変化する。
土煙の向こう側に、騎影が見えたのだ。旗は、……帝国旗!
「突撃ーーっ!!」
帝国騎兵隊の先頭に立つ将は、剣を掲げて騎馬を襲歩させた。
敵の左翼を追撃し、崩壊させた騎兵隊が、その勢いのまま、魔法兵と対峙するファルディア兵に襲いかかる。
ここにいたり、魔法兵も障壁を解いて、個々が火球の魔法、雷撃の魔法、氷結の魔法で敵兵を各個撃破し始めた。
弓兵は誤射に留意しつつ、逃げるファルディア兵に向けて止めの矢を放つ。
やがて、伝令兵がレムルスの元へと走ってくる。
「敵将を捕らえました!」
「よし。以降の追撃は不要。勝ちどきを上げよ!」
レムルスの命を受け、鼓笛隊が勝利を高らかに打ち鳴らした。帝国兵から歓声が上がる。
士気の崩壊したファルディア兵は、ちりぢりに逃げ去り、戦闘は終了した。




