海戦
ザルツルードの封鎖を解き、西へと向かった船団は、タタ島付近で帝国艦隊と遭遇した。
シャーク船長は、己の不運を呪う。
よりによって一番会いたくない相手と、一番会いたくないタイミングだ。
嵐の予言さえなければ、内海の南岸を通って自由都市に向かう航路もあるにはあった。だが、ザルツルードから最も近い安全な港は、内海を真っ直ぐ西に進んだここ、タタ島にある。船長に選択肢はなかった。
この海域への帝国海軍の到着がもう少し遅ければ、或いは自分たちの到着がもう少し早ければ、タタ港でザルツルードへと急行する帝国艦隊をやり過ごすことができただろう。あとは嵐が始末してくれたはずだ。
(待っているときには来やしなかったのに……!)
船長は奥歯を噛みしめて顔をしかめた。
すでに船長に交戦の意志はない。海神がこの戦いを望まれていないのだ。
彼は船首で自ら旗を振り、交渉を望んだ。
帝国はしばしの沈黙の後にこれを受け入れ、各々の旗艦のみが海上を進み出て舷側を合わせる。
空はどんよりと曇っていた。風は穏やかだ。船長はこれを、嵐の前の静けさだと受け止めている。
一方、帝国側はこの交渉の申し出を、罠だと疑っていた。相手の艦隊は所属不明、目的も不明だ。さらには、ザルツルードの封鎖を解いて突然、この海域に現れた意図も不明なのだ。
「エルデンを呼んでこい」
帝国海軍の旗艦に搭乗する提督は、浄火教のリーダーを名指しした。
「念のために、”海の火”をいつでも放てるように準備させておけ。旗艦さえ沈めてしまえば、あとは頭をなくした蛇も同然だ」
やがて、伝達の魔法により、交渉の回線が開かれた。
『貴公らの所属と、航行の目的を述べよ』
帝国海軍の軍服を身に纏った男が、舷側から問いかける。周囲にはずらりと弓兵が並び、旗を持つ男を威嚇した。妙な動きをすればすぐに対応する構えだ。
一方、シャーク船長の方でも同様に、舷側に矢をつがえた海賊達を並べていた。
数は心許ない。
獣人兵は彼の指揮下にはないからだ。
獣人兵は事ここに至っても沈黙を守っていた。甲板には出そろっており、戦装備を備えている。
それを不気味に思う甲板員もいた。
「俺たちは、自由都市に雇われたただの船乗りだ。敵意はねえ! 嵐が近づいている。その間、島に避難しようとしているだけだ。そこを通してくれ!」
『しらばっくれるな。貴様らがザルツルードを封鎖していた一味であることは明白だ。すなわちそれは、帝国への敵意に他ならない。我が艦隊は、貴様らの排除を任務としている。質問に正直に答え、投降すれば良し。さもなくば、船を破壊して貴様らを海水づけにしてからじっくりと目的を聞き出すまでだ』
軍人はじっくりと、という部分を強調した。暗に拷問すると言っているのだ。
シャーク船長は舌打ちをする。
(簡単に言いくるめられる相手じゃねぇか)
彼は舷側に着いていた両手を、顔の高さに持ち上げた。
「わかった、わかった。腹割って話そう。俺たちはミ……」
言いかけた船長の身体が、不意に揺れた。
背中に衝撃があった。視界の下方に、何か赤いものが出現する。
船長は視線を下げた。
腹から、奇妙なものが生えていた。薄く、細長く、硬くて先が尖っている。赤黒い。なんだか剣みたいだな、と思ったとき、それがぐるんと回転した。周囲から驚愕と怒声が上がる。
船長の身体は傾いだ。
腹の中が、冷たくて熱い。
(いや……)
船長はぼんやりと、人ごとのように思った。
(痛えのか、俺は)
「お頭っ!?」
近くにいた海賊が、倒れる船長に駆け寄る。他の者は一斉に背後を振り返った。獣人兵たちが武器を抜いて並んでいる。
「気でも狂ったか! てめぇら!!」
「”反徒の舌は、風車のごとし”」
”逆風吹くたび、よく回る”と続くことわざを前半だけ引用し、船長を刺した獣人兵は、倒れた身体から刃を引き抜いて血振りした。甲板に、赤い染みが点々と飛び散る。
「降伏は認めない。それ以前に、先方にもその気はなさそうだ。嫌でも戦って貰うぞ」
獣人兵は顎をしゃくった。海賊たちは、獣人兵に弓を向けながらも、顔を背後に向ける。間近の帝国艦上に不審な動きがあった。
「だまし討ちか! 汚え!!」
「お前たちが言うのか? それを。ハッ、傑作だな!」
獣人兵は怒っている。歯をむき出し、或いは喉奥で唸っていた。
「何の話だ!?」
「まだシラを切るか!」
「お頭は……!?」
問われた海賊は、弓を投げ出し、甲板に座り込んで両手で船長の傷口を押さえている。だが、あふれ出る血は止まらない。彼はおびえた瞳で振り返り、小刻みに首を振った。シャーク船長の白いサッシュは、真っ赤に染まっていた。
船長が死の腕に囚われたことは、誰の目にも明らかだった。
一部始終を舷側で見守っていたトルドは、恐怖に身を震わせた。瞳を泳がせ、弓を構えたまま後退る。仲間たちも獣人兵も、互いへの憎しみで対峙しており、トルドが下がっても誰も気に留めない。
全員の死角へと移動したのち、トルドは素早く身を翻した。階段へと飛びこむ。
一方、海賊と獣人兵の間で交わされる怒号と叫声は、伝達の魔法を使って帝国の旗艦にも届いていた。
「どうやら、仲間割れをしているようです。どうしますか?」
伝達の魔法を操る魔術師が、提督に尋ねた。提督は唇の端を吊り上げ、左右非対称な笑いを顔に浮かべる。
「交渉人が死んだんじゃ、交渉は終わりだ。これより、討伐に移る。総員、戦闘配置につけ! エルデン!!」
「はい。準備は整いました」
深緋色のローブを纏った不気味な神官が、胸に手を当てて腰を折った。
背後には同様の信徒達が、海戦兵器を携えて投石機の傍に控えている。
「よし。まずは一発、試しに見舞ってやれ」
「御意。この距離であれば、まず外すことはないでしょう」
エルデンは配下の信徒達に向け、片手を上げて合図を送った。陰気なローブの集団は頷き、投石機に”海の火”をセットする。
彼らは浄火神に、”発火”の奇跡を祈った。
◇
動いていた船が止まってから、少し時間が経った。
(港に着いたのか?)
湿った床に寝転んでいたフォレウスは、身を起こして身体のこわばりをほぐした。
薄暗い船倉に籠もっていると、時間の感覚がなくなる。今が朝なのか昼なのか夜なのか、さっぱりわからない。前回、料理人が食材を取りに来てからどれくらい時間が経ったのだろう。
(ここはまるで冥界だな。もしかしたら俺は、いつの間にか死んでいたのかも知れん)
フォレウスは口元を緩めた。
(そうだったらどんなに楽か。ああ、でもヴィヴィは怒るだろうな。土産を買って帰る約束が果たせない)
ぼんやりとそんなことを考えていると、階段を大急ぎで駆け下りる足音が聞こえてきた。柱の定位置に戻ろうとして、思い直す。
足音が軽い。おそらくトルドだろう。
「おっさん! いるか!?」
光石のランプはしばらく魔力を供給されておらず、光量が落ちていた。トルドはそれに触れ、室内は明るさを取り戻した。
フォレウスは闇になれた目を瞬く。
「そりゃいるさ。これでも一応、囚人なもんでね」
フォレウスはおどけて両手を持ち上げ、肩をすくめた。「模範的とは言いがたいが」と軽口を続ける。
その間にトルドは、フォレウスの傍に駆け寄って両膝をついた。背中に矢筒をつけ、左手には短弓を握りしめている。腰には大ぶりのナイフもあった。
少年は泣きそうな顔をしていた。フォレウスの軽口など、全く耳に入っていない様子だ。
フォレウスは真顔になる。
「どうした? 何かあったのか」
「帝国の艦隊が……!」
「まさか……。かち合ったのか!?」
少年は顔をしかめて頷いた。
「こっちよりも船の数が多いんだ。勝てっこないよ! おっさん、何とかしてくれ! 帝国の軍人なんだろ? 上手くあっちに話して、助けてくれよ! お頭も死んで……、俺、……俺、どうしたらいいのか……!」
フォレウスは興奮する少年の肩を、両手でつかんだ。
「落ち着け、トルド。シャーク船長が死んだのか? 敵の攻撃はもう始まっているのか?」
トルドは首を振った。
「違うんだ。獣人兵達だ! 獣人兵が突然、お頭に後ろから斬りかかって」
「なっ……!? 何でそんなことになってるんだ!」
トルドは再び首を振る。
「わ、わっかんね! でも、獣人兵は、何としても帝国軍と戦いたいみたいで」
フォレウスは少年を解放すると、右手で頭を抱えた。いらだたしげにため息をつく。
「くっそ!! 最悪だ。トルド、頼んでいた件はどうなった?」
「そうだ、おっさんの銃! お頭の隙を見て、部屋の中を探したんだけど、鍵の掛かったチェストの中は見られなかった」
「……まあ、仕方ねぇ。そこまで絞ってくれただけでも、御の字だ。行くぞ」
「う、うん!」
フォレウスは立ち上がり、少年を伴って甲板へ急いだ。




