ヤドリギ宿し
深く眠っていたシャイードにとって、朝の訪れまでは一瞬だった。
急に鼻がむずむずとし、くしゃみと共に目を覚ます。
目蓋を薄く開くと、ぼやけた視界に明るい緑色が見えた。
それがかさかさと動いているのだ。
意識が急速に目覚めた。目蓋が大きく開き、ぼやけていた視界が像を結ぶ。
「……くさ? なんでくさ?」
身体はまだ目覚めきっていないのか、言葉はやたら舌っ足らずになった。野宿だっけ、と目を擦りながら身を起こしかけたところで、「ヤドリギ」と、アルマの声が降った。
シャイードは顔を上げる。黒い三角帽子の鍔の陰から、端正な顔が覗いていた。緑の塊は、アルマの手にある。彼はそれを、シャイードに差し出した。
「ヤドリギ?」
「ヤドリギ」
「……。マジだ。ヤドリギじゃん」
「そう言っておろう」
ベッドの上に身を起こし、鼻先をくすぐった草玉を両手で持ち上げる。
「ははっ、鳥の巣みてー。どうしたんだ、これ」
「採ってきた」
「お前が?」
「我と、フォスとで」
「いつ?」
「夜明け前に」
シャイードは瞬く。
「いないと思ったら、そんなことしてたのか! フォスも!?」
シャイードがその名を口にすると、アルマの帽子が持ち上がり、フォスが中から出てきた。アルマはずれた帽子を脱ぎ、手に持った。
フォスはシャイードの指先に絡みつく。それを撫でながら、シャイードはアルマとフォスを交互に見遣った。
「お前ら、いつの間にそんなに仲良くなったんだ?」
フォスはふわわーと優しく光ったが、アルマが「別に仲良しではない」と素っ気なく言うと、急速に光がしぼんでしまった。
シャイードは眉根を寄せ、アルマを上目遣いに睨みつける。
「おい。フォスを虐めるな」
「別に虐めていない。我は事実を言ったまでだ」
シャイードは舌打ちをした。慰めるようにフォスをひと撫でし、ヤドリギを持ってベッドから両脚を下ろす。
「まあ、ともかく? これがあれば、死王の指輪のビヨンドも楽勝だな」
「うむ。……」
アルマは何か言いたげな表情で――無表情だったが――、その場に立ち尽くし、シャイードを見下ろしている。
シャイードは不思議そうに瞬いた。
「? なんだ? 他に何かあるのか?」
「シャイード。汝は重大なことを忘れておる」
「重大なこと……?」
アルマは暗闇のような瞳を、ひたとシャイードに据えている。不安で胸がざわついた。
シャイードは寝起きの頭を回転させ、何を忘れたのだろうと考えた。周囲を見回す。
ラザロのベッドもディアヌのベッドも空だ。
「……。今朝、何か約束でもあったか? 俺、寝坊した?」
アルマは何も言わずにシャイードを見つめていたが、やがて目蓋を閉じて、ゆるりと首を振った。
「だめだな、これは」
「なんだよ! 言えよ。不安になるだろうが!」
シャイードは瞳を揺らした。問いかけながら、何を忘れているのか必死で考えている。
「我とフォスは、ヤドリギを見つけてきたのだ」
「? それはもう聞いたけど」
「汝、嬉しいか?」
「え……」
シャイードはベッドに腰掛けたまま、ヤドリギに目を落とす。
イ・ブラセルの森でも、冬になるとヤドリギはよく目立った。採ったりはしなかったが、ころころと樹上にうずくまる姿はユーモアがあって、嫌いではなかった。
思い出すと懐かしくなると同時に、胸がちくりと痛んだ。
シャイードは目蓋を閉じる。
そしてすぐに開いた。
「……つか、これどうすりゃいいんだっけ?」
アルマは首を左右に振った。
「だめだこれは」
「えっ、二度も……?」
アルマが急に身体を折り、シャイードの顔に顔を近づける。
真っ黒な瞳に間近から見つめられ、シャイードは本能的に身が竦んだ。
「近い、近い!」
思わず、ベッドに腰掛けたままのけぞる。だがのけぞっただけ、アルマは顔を近づけてきた。腹筋がぷるぷるする。
「シャイードよ。我は時間を無駄にせず、汝が眠っている間にヤドリギを探した。このことによって、我らは今日、すぐにでも湿地帯に向かうことが出来る。汝はレムルスに約束していたな? 『何とかして原因を絶ちきってくる。こっちは心配すんな』と。我は汝の交わしたその約束を、実現すべく力を尽くしたのだ」
「お、おう……」
無理な姿勢での返答は、声がうわずる。
アルマは姿勢を戻した。
「その我と、……一応フォスに対しても、汝は何か言うことはないのか? 労をねぎらうような……」
「あっ! ……ありが……、とう?」
あからさまに催促され、シャイードはやっと思い至った。瞳を揺らしながら使い慣れない言葉を口にする。姿勢を戻し、上目遣いにアルマを見た。
アルマは、口の端を僅かに持ち上げていた!
瞳が全く笑っていないせいか、見下すような表情にも見えたが――実際、物理的に見下されている――、満足げにも得意げにも見える。
「発音がイマイチだが、まあ良かろう。感涙にむせぶが良いぞ」
「ぐっ……。なんだこの屈辱感……」
アルマに僅かなりとも表情が浮かんだことにも驚いたが、それ以上にもやっとして胸の前で握り拳を震わせた。
フォスがふわっと視界に入ってくる。シャイードは表情を柔らかくした。握り拳を開き、フォスをもう一度撫でる。
「フォス。ありがとうな」
フォスが穏やかに明滅する。アルマが首を傾げた。
「我への礼との、この差ははんだ。納得いかぬぞ」
「ふん。どうせフォスの方が活躍したんだろ。その差だ」
鼻を鳴らしつつシャイードは適当に言った。何故かアルマは反論せず、無言で帽子を被って鍔を下ろした。
◇
「さて。では武器だ」
着替えを済ませ、武器を佩いたシャイードは、ベッドとベッドの間のスペースに立っていた。
アルマは向かいに立ち、ヤドリギを掲げ持っている。フォスが横から様子を見守っていた。
「魔力斬り、だったよな」
「うむ。ヤドリギの魔力を、吸い取るような形でな?」
「む、難しいことを……!」
シャイードは流転の小剣を右手に構え、唇を舌でなめた。目の前の若草色に集中する。
見えない手を動かせと言われているように、感覚がわからない。
普通に斬ってしまいそうだ。
「力は要らぬ。感覚を研ぎ澄ませるのだ」
シャイードはアルマの心地よい低音を聞きながら、呼吸を整えた。真っ直ぐにヤドリギを見つめる。
そうすると何か、ヤドリギの輪郭を縁取るように、空気が揺らいでいるように見えてきた。目の錯覚かも知れない。けれど、集中するほどに、揺らぎはよく見えるようになる。
「いいぞ。あとはフラックスが力を貸してくれよう。何しろ、そやつは植物とはとても相性が良い」
アルマの言葉に、視線をヤドリギに固定したまま小さく頷く。
シャイードは、妖精の道を開くために空間斬りをしたときのことを思い出した。あの時の感覚に似ている。
眉間に意識を集中するほどに、身体はリラックスした。
「ふう……」
一度、深く息を吐き出し、吸い込むと同時に一歩を踏み出す。「やっ!」と、短い発声と共に小剣を振った。
ヤドリギの前半分を破壊し、葉を散らしながらシャイードの剣はすり抜ける。
(駄目か……!?)
シャイードは片顔をしかめた。普通に斬った感触しかない。
しかし遅れて、流転の小剣とヤドリギが同じ空気の揺らぎで繋がる。
「あ……」
飛び散った葉が、床に落ちる前に空中で止まり、時間が逆転したように元の枝に戻っていく。と、ヤドリギ自体が発光して、……消えた。
ヤドリギを縁取っていた空気の揺らぎが、小剣を縁取っている。
「これは……」
呆然として見守っている間に、揺らぎは弱まり、消え去った。
シャイードは瞬き、小剣を軽く振ってみる。特に代わった手応えはない。無言でアルマを見上げた。
「大丈夫であろう。……多分」
「多分て!?」
急に心配になる。もう一度小剣を見下ろした。
「指輪のビヨンドを斬ってみればわかるであろう」
「それじゃ遅すぎやせんか、アルマさんよ?」
シャイードは半眼になり、皮肉めいた口調でアルマに問うた。
アルマは一つ、瞬いた。
そこに、バタバタと駆け寄る足音が聞こえてくる。アルマは背後を振り返り、シャイードはアルマの横から顔を覗かせた。
戸口に現れたのはディアヌだ。頭を下げ、肩で息をしている。
「た、……大変です……っ!!」
「どうした! 死霊の襲撃か!?」
シャイードは剣を鞘にしまい、そちらにむかう。ディアヌは顔を下向けたまま、首を振った。切りそろえた長い黒髪が揺れる。
それから彼女は顔を上げた。
「キールスさんがっ! キールスさんが、消えてしまったんです!」




