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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第四部 死の軍勢
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進軍

 アロケルの流れに沿って東へと向かった川船には、魔銃兵、重装歩兵、工兵が乗っていた。

 先に帝都を発った第一陣で、これにロレンソに駐留する重装歩兵を加え、白雪川の手前に陣を張る予定だ。

 北はサーペンタ海、南はフスフィック山脈に挟まれた農耕地で、農村が点在している。


 騎馬民族ファルディアが西に進軍しようと考えたなら、進路を塞ぐように南北に流れる白雪川を渡河をせねばならない。渡河地点は限られる。

 帝国軍の参謀本部がはじき出した渡河予測地点は、白雪川が三本に分かれる地点の数キロ下流だ。分岐点付近は岩がちで、馬での行軍は難しい。分岐点より南(上流)は流れが速すぎるし、北(下流)は海が切り込んできていて川幅が広すぎる。


 ところが現地に到着してみて、この作戦には問題があることが判明した。

 帝都に伝令が届いた時点で、ファルディア軍は三角州の一番東側にある都市、パタウ付近に到達したと聞いていた。パタウにも防衛のための戦力は置かれているが、予備的なもので、七千騎の手練れの弓騎兵を相手するには役者不足だ。救援は間に合わないと目されていた。


 しかし蓋を開けてみれば、第一陣がロレンソに着いた時点でパタウは健在だった。

 そうなると、白雪川の西側で渡河を阻止するのではなく、東側に陣を張り、川を背にパタウを防衛しなくてはならなくなる。

 西側に陣を張れば、目の前でパタウが蹂躙されても救援できない。みすみす都市を見捨てたとあれば、辺境の住民からは、帝国への忠誠心は失われるだろう。


 こちらが渡河しなくてはならないのだ。逆にそこを、ファルディアに襲撃されるおそれがあった。軽装の魔銃兵はともかく、重装歩兵を渡河させるには細心の注意が必要になる。

 第一陣は、第二陣を率いるレムルスに、作戦の変更について是非を問う伝令を飛ばした。レムルスは軍師としてついてきた宮廷魔術師長のトゥルーリと相談の上、変更を選択する。前提条件が変わったなら、布陣も柔軟に対応せねばならない。

 二人とも、大いに懸念を感じたが、苦渋の選択だ。


 テーブルに広げた付近の地図に、木製のコマが並んでいる。第一陣はロレンソに到達。レムルス率いる第二陣は、ずっと後方のオルドラン平原を進軍中だ。


「パタウが無傷なのは喜ぶべきことなのだが……」


 レムルスは眉根を寄せ、椅子に頬杖をついた。


「……敵に主導権を握られているのは癪だな」


 トゥルーリは地図を睨んだまま頷く。さきほどまで軍議が開かれており、将兵たちもいた。今は彼だけが残っている。


「もとより、あちらが挑んできた戦ですからな。少しずつ覆すしか、ありますまい。なに、第一、第二陣を合わせただけでも、兵力はこちらがずっと上です。それに先代が考案した帝国必勝の陣形もありまする」

「うむ。……」


 そう答えはしたが、レムルスの気持ちはあまり晴れなかった。


 地図に視線を落とすと、パタウの東から南にかけては荒野が描かれている。地図の右下は巨大なミルダース湖で途切れていた。

 パタウから真っ直ぐ南下すれば、魔物の跋扈する闇森と、その膝元である宵都トレビスがある。さらに南は地図外になるが、ザルツルードがあった。

 ファルディアが南方向へ進軍するとは考えづらい。略奪できるものがないのだ。先代によって北東の痩せた土地に押し込められたファルディアが、兵糧を確保して攻め込んだ事例はない。彼らには西に進軍するしか選択肢がないはずだ。


「ファルディアは今、どこにいる?」

「ワイバーン隊の偵察によれば、パタウの南にある遺跡に、略奪した物資を集めているとのことです。接近しすぎれば射落とされるため、詳しくはわかりませぬが」

「遺跡?」

「ええ。崩れた岩が重なるばかりの土地のようです」

「……」


 レムルスは唇に人差し指を横にあて、瞳を右上に動かした。

 彼らは戦果に満足して、帰還するつもりかも知れないし、小休止を挟んでいるだけかも知れない。

 前者であって欲しいとレムルスは思う。


「イヴァリスから何か連絡は?」


 この問いに、老翁は目を閉じて首を振った。

 レムルスは小さく息を吐いて肩を落とす。


(イヴァリス将軍。何があった……? どうして持ち場を離れたんだ)


 そもそもイヴァリスの率いる部隊が、通常通りミルダース湖畔のカルス砦から周囲を哨戒していたなら、ファルディアはいつものように簡単に押し返されていたはずだ。

 レムルスは燃えるような赤髪の偉丈夫に思いを馳せた。



 イヴァリスは、ある時、先代皇帝が見いだしてきたという。若くしてその武勇はすさまじく、晩年の皇帝にとって右腕と言えるほどの存在だった。戦場で数多くの戦果を上げ、皇帝の最後の遠征にも同行した。


 無口で無愛想なところがあり、誤解を受けやすい人物でもあったが、その実直で不言実行な態度に誰もが一目を置いていたのは確かだ。皇帝が亡くなった直後は、水面下で彼を皇帝の座に据えようとする動きもあったらしい。実は彼が、皇帝の隠し子ではないかという噂があったためだ。


 しかしイヴァリスはそれを頑として断り、辺境へ去った。


 有力貴族たちはその後も、力ある彼を取り込もうと画策を続け、彼の元へは縁談が引きも切らなかったという。

 それに嫌気がさしたのか、イヴァリスはある日突然結婚した。

 相手は二十歳ほどの華奢な女性だという。拝謁した者の話によれば、夫人は若いながらも気品と知性を兼ね備えており、さぞや高貴な出自であろうということだ。その一方で、奴隷商から買い入れた娘だという根も葉もない噂も流れていた。美形のイヴァリスを射止めそこなった令嬢たちが、嫉妬して流したものかもしれない。

 当のイヴァリスは、結婚後も専ら辺境に身を置いており、帝都にはまれにしか姿を現さなかった。



(イヴァリスは僕のことを、認めてくれてないのかも知れない……)


 トゥルーリも辞し、天幕にはレムルスと直属護衛官のクィッドが残された。いくらくつろいで良いと言っても、真面目な元剣闘士は聞き入れず、天幕の入口付近に控えている。

 レムルスはファルディアを現す赤いコマを、パタウの東に置いた。


(自分が辞した皇帝の座に、まさか一番年下の、一番弱っちい僕が座るとは思ってなかっただろうし……。僕なんかのために働くのが、嫌になったのかな?)


 イヴァリスを現す緑のコマを、どこに置けば良いかわからない。彼は地図上をうろうろとさせたあと、地図の外にそれを置いた。


(イヴァリスの助けなしで、早期に決着をつけることが出来るだろうか。勝ちを急いで兵に損害を出すことは避けたい)


 ”損害”などと軽く言うことすらはばかられる。それはすなわち、幾つもの死であり、それに数倍する家族の悲嘆なのだから。



 レムルスの率いる第二陣は、主力が騎兵だ。本来は重装騎兵であるが、鎧と食料は川船で先々に運んでいる。こうすることで、ロレンソまでの行軍速度を上げ、兵馬の疲労を軽減した。


 帝都のダルダーレン卿が指揮する輸送計画は完璧だ。必要な時に必要な量の物資が、適切な場所へと運ばれていた。

 彼は能力がありすぎるゆえ、武官たちから評価されないのではないかとレムルスは訝しむ。ダルダーレン卿が六将の地位に就いてからというもの、帝国軍は前線で物資不足に陥ったことがない。

 問題が起きないために、前線の指揮官たちはそれを当たり前と思って、気にも掛けない。有能な管理者に起こりがちな不当評価だ。いなくなってからでないと、その価値がわからないのだ。



(有能な彼ですらそうなんだ。まして僕のことなんて、誰も……)

「こらーーーっ! レムルス!! また心にいじけ虫が湧いてますわよ!」


 唐突に、ユリアが現れた。トゥルーリがいる間は、じっと我慢していたのだ。


「ユリア……」

「やめて下さいませ。貴方がじめじめすると、わたくしまでじめじめしてきますわ。めっ、ですわ!」

「……ごめん」


 ユリアは腕組みして、ふん、と鼻を鳴らした。


「貴方はちゃんとすごいですわよ。だって、貴方には見えていますものね。ダルダーレン卿の、強烈な個性の裏に隠された才能が。王様に必要なのは、武勇よりもそっちの能力だと、わたくしは思いますわ」


 姉の言葉に、レムルスはふわりと心が軽くなるのを感じた。


「ありがと、ユリア。――ふふっ。貪欲卿なんて言われて、本人も否定しないもんな。お金と自分が大好きで吝嗇家りんしょくかだけど、仕事はきっちりだ。彼はすごいよ」

「まあ、レムルス。自分を好きなことは欠点ではございませんわよ?」


 ユリアは胸を逸らし、そこに片手を当てた。


「わたくしだって、この愛くるしいわたくしのことが大好きですもの! それにもちろん、貴方のこともね?」

「うん。……知ってる」


 レムルスは口元に笑みを結んだ。全身に温かい血が巡る。勇気が湧いてくる。


(ユリアがユリアを好きってことは、つまり、僕が僕をちゃんと好きってことだ)

「イヴァリスお兄様には、きっとなにか訳があるのでしょう。相手の気持ちがわからない以上、そう思っておくのがよいですわ。勝手に悪い方に捉えてはダメ。それでは以前の貴方に逆戻りですわよ?」

「そう、……だったね」

「不安に思うのは当然ですわ。わたくしも、戦なんて初めてですもの。でも貴方にはわたくしがついておりますし、わたくしには貴方がついておりますのよ」


 ユリアは視線を転じた。


「それに、クィッドも。ねえ? そうでしょう?」


 クィッドは姉弟の会話を頬を緩めながら聞いていたが、不意に話を振られて瞬いた。

 だがすぐに力強く頷く。


「何があっても、自分は陛下をお守りします。この命に代えて」

「駄目ですわ! 貴方も絶対に死んでは駄目。これは命令ですからね」

「……。はい、陛下」


 レムルスとユリアは、二人同時にほっとした。



 初陣のレムルスにとっては当然、軍を指揮するのも初めてのこと。

 ユリアが見透かした通り、畏れや不安がないと言えば嘘になる。けれど決して、兵の前で見せてはならない。それだけはよくわかっていた。

 ただでさえ、頼りない皇帝だと思われているのだ。どんなに恐ろしくても、自分だけは平気な顔をしていなくてはならない。そうでなければ、誰も彼の後ろに続いてはくれないだろう。


 幼さは何もせずとも年月が解決してくれる。だが、ひとたび臆病者の烙印を押されてしまったら、取り返すのは容易ではない。

 神聖帝国グレゴールの皇帝になる道を選んだ時点で、初陣は、いつか成さねばならないことだった。覚悟はとうに出来ていた。

 ……そう思っていたが、実際は、本当に覚悟できたのはつい最近だと自覚している。

 レムルスは目蓋を閉じた。


「僕は、負けられない」

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