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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第四部 死の軍勢
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賢者と愚者

 シャイードは心に誰かが触れるのを感じた。

 反射的に、中を覗かれぬように固く閉ざす。


『怖れずとも良い』


 脳裏に声が響いた。最長老と目が合う。そこでシャイードは初めて、相手が女性であることに気づいた。


『お主は、――人間ではないな? しかし妖精にも見えぬ』

「……」


 シャイードは唇を引き結び、返事をしなかった。


『なるほど。とても重い秘密のようだ。お主の心の扉はまるで鋼鉄のよう。硬く、冷たい。ならば詮索はせぬ』


 心をまさぐる魔力イーサの流れが、身体から引いた。シャイードは小さく息をつく。


「妖精王よ、シャイードよ。なぜ、森の魔法を破った?」


 最長老が口を開く。

 シャイードは左足に体重を移動し、左手を腰に置いた。


「そんなの、ここに用があったからに決まってるだろ。お前らにもだ」

「口を慎みなさい」


 長の隣にいたエルフがたしなめる。しかし、長は片手を挙げて抑えた。


「彼は王だ。王とは尊大なもの。それは、その肩に負う責務の重さゆえのこと。そうだな?」


 シャイードは鼻を鳴らす。


「俺は俺だ。王であることは、目的を果たすための手段に過ぎない」

「なるほど。その傲慢さは、生来のものか」


 最長老は目を細めた。笑ったようだ。


「実に興味深い。妖精たちがどうしてお主を王に選んだのか、気になるところではある。だがそれは別の物語なのだろう。お主は強引にも、静かに暮らす我らの領地に踏み入った。それに対する謝罪の気持ちはあるか?」

「ないね」


 シャイードは即座に答え、肩をすくめる。


「使者として発った仲間を閉め出すような奴らに、何で俺が謝んなきゃなんねーんだよ」


 この言葉に、長老会議のエルフたちはざわついた。

 最長老だけは、手の甲を口元に当てて身体をのけぞらせる。


「ふ……、ふははは! なるほど。お主は我が同胞のために、それをしたのか」

「べ、別にそういうんじゃねーけど! そっちはついでだ! ついで!」


 シャイードは急に、怒ったような早口で唇をとがらせる。片足を半歩踏み出した。


「つうか、アンタら、世界の危機だっつーのに、なに自分たちだけ家に鍵掛けて引きこもってるんだよ!」

「世界の危機? ……ああ、死霊たちのことか」


 シャイードは頷く。


「イールグンドをレムル……、皇帝の元に派遣したのは、ニンゲンと力を合わせて事態を何とかしようとしたからだろ!?」

「いいや、妖精王。それは誤解だ。長老会議は若きエルフの熱意に折れただけ。そして熱意は無為に終わった。ゆえに我々は、より多くの同胞を守る道を選んだまでのこと」

「二人を見捨ててか!」

「我々は出て行く者を追いはしない。森を出ようとする者は、既にその心を病に蝕まれておるからだ」


 この言葉に、ずっと後ろにいたイールグンドは静かに頭を垂れた。拳が強く握られる。

 長は気づいているのかいないのか、構わずに先を続けた。


「森を出て行くエルフは、決して幸せになれぬ。我らは生まれた森で、木々の守人として生き、同じ土へと還るべき者。その円環から外れた者は、悩み、苦しみ、あがき、失望して、結局は教えが正しいことを身をもって知るのだ」

「愚かなことよ……」


 長老会議の別のエルフが、最長老の言葉を受けて呟く。その他大勢も、小さく頷いている。


「『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』……ってか」

「その通り」


 シャイードがうつむき加減で低く口にした格言に、最長老が深々と頷く。シャイードは顔を上げた。


「でもな、『本で読んだだけでは、本当に知ったことにはならない』って、俺の師匠は言ってたんだ! 転んだら痛いと知っていても、どこがどう痛むのか、どれほど痛いのかは、実際に転んだ者にしかわからない。わからなければ、怪我をした時にどうしたらいいのか、怪我をした者がどうして欲しいのかだってわからないからな」

「ではお主は、痛みを知るためにわざと転んでみせるのか? 違うだろう? 転ばなければ痛みを知ることもない。最期まで痛みを知らずに生きられるのなら、その方が幸せだとは思わぬか?」

「転ばずに生きるなど、誰にも出来るはずがない」

「我らには出来る」


 最長老はきっぱりと否定した。


「お主の師が真に賢者ならば、お主が痛い思いをしないで済むように導くべきだったのだ。のう、妖精王よ。お主は、生き方がわからぬゆえに迷い、苦しみ、生まれてこなければ良かったと思ったことはないか?」

「……っ、それは……」


 シャイードは言葉に詰まった。

 最長老の言葉は、直感では違う、とわかっている。けれど、論理的な反論が思い浮かばない。


 彼女の言う通り、誰だって痛い思いはしたくないだろう。落とし穴だとわかっていて、経験のためにわざと引っかかる奴などいない。生き方を教えて貰えるなら、もっと上手に、痛みを知らずに生きられるのかも知れない。


「何のことはない。生き方を知らぬお主には、転びながら生きる道しかなかっただけのこと。お主は何も、自分で生き方を選んだわけでではない、愚者よ。芋虫が、生まれた葉の上で、それしかないからそれを食べた、それと同じことよ」

「それは違うぞ」


 シャイードが答えを見つけるよりも早く、背後から声がした。

 振り返れば、鍔広の三角帽子を被った長身が、ゆっくりと歩み寄ってくる。


「こやつはちゃんと、自分で選んでここにおるのだ。無知がゆえに、森を閉ざすことしか選べなかった汝らとは違う」

「許可を得ずに動くな!」


 駆け寄ろうとした武装エルフたちを、最長老は首を振って制した。アルマはもとより、恫喝にも動じる気配はなく、歩みを止めはしない。


「我が主はシャイードだ。我に命令できるのも、シャイードだけだ」

「お主は……?」

「我はアルマ。シャイードに所有されている」

「……奴隷か?」


 最長老は穢らわしいものでも見るように、眉をひそめた。人間たちの行う”同族の所有”という悪行を、毛嫌いしている。


「いいや違う。語ることを禁じられておるゆえ、そのことは語れぬ。だが、別のことを語ってやろう。――汝らは世界に大きな争いや異変が起きる度に、森を閉ざして自分たちだけは安全にやり過ごしてきた。ゆえに、此度の異変をも、同じようにしか評価できぬのであろう。それこそ、愚者が経験からしか学べぬように。――だが、これ(・・)は違うぞ、長命者たちよ」


 最長老は険しい顔のまま、アルマの口元を見つめている。アルマの顔の上半分は、大きな黒い鍔に隠されて見ることが出来ない。


 彼女は先ほどから、魔力の腕を伸ばし、この奇妙な男の正体を探ろうとしていた。だが、探れない。一定以上、近づくことも出来ぬし、相手からは魔力を感じるのに命の巡りを感じない。取り巻く魔力には色がなく、何の情報も得られない。


 全てを隠蔽しているのだとすれば、とんでもなく高位の魔術師だ。

 そうでないとしたら……、――異形のバケモノだ。


 最長老はその長き生の中で、実に久しぶりに、背筋に恐怖の冷たき手を感じていた。


「汝らも、ニンゲンたちも、死者ですらも、みな同じ盆の上に載っておる。そこでいかに目を閉じ、耳を塞いでうずくまろうと、盆がひっくり返れば全てが無に還る。今はそういう瀬戸際なのだ。そして」


 と、アルマはついにシャイードの隣に並んだ。


「我が主はその事実を認め、しかして実現するを認めず、滅びに抗う道を選んだ。支配下にある妖精たちのためだけでなく、この世界に在る全ての生き物のために」

「そんなんじゃねーけど……っ」


 シャイードはアルマの大げさな物言いに耳まで赤くなり、小声で反論した。しかしその声は、アルマにしか聞こえなかった。


「こやつはこの通り、とても年若い。幼いと言っていい。むしろ、汝らから見れば、生まれたばかりの赤子と何ら変わりはないであろう」

「……んだと!?」


 今度の反論は全員に聞こえた。だがアルマは気にせずに先を続ける。彼は右腕を持ち上げ、真っ直ぐに最長老の額を指さした。顎を僅かに持ち上げたため、アルマの右の瞳が帽子の下から覗いた。

 そこに渦巻く深淵を覗き見て、最長老は蛇に睨まれた蛙のように動けなくなった。


「それでも、汝らよりもよほど現実が見えておる。賢く、勇敢だ。対するに、汝らは一体何をしておるのだ、愚か者ども。世界を見よ。そこに円環を見いだすのなら、自らの身体で感じてみせよ。――全ては繋がっておるのだ。例外はない。環のどこかがちぎれたなら、汝らもまた、等しく滅びの道を歩むことになるであろう」

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