魔力斬り
翌日も雨だ。一日、馬を常歩で進め、夕刻にようやく黒森が見えてきた。
森の背後には切り立った崖がそそり立つ。大高地だ。
この辺りは大高地の陰になるため、日没が早い。天気が悪いこともあって、既に辺りは真っ暗だ。シャイードはフォスを隣に浮かせて馬を進めた。
森の端にたどり着くと、先行していた二人のエルフがなにやら口論をしている。エルフ語だ。
「どうした?」
シャイードは、手綱を引いて馬を止めた。
問題の発生を予感して、自然に眉根が寄る。正直、昨夜も雑魚寝でよく眠れず、睡魔が酷い。これ以上のやっかいごとはごめん被りたいところだった。
イールグンドが振り返る。
「それが……、森が閉ざされてしまっているのだ」
「えっ!?」
驚きで目が覚めた。森を見遣る。
一見して普通の森だ。闇に沈んでいるが、入れぬようには見えない。
「嘘だと思うなら、試してみれば?」
キールスがシャイードの表情を読み、馬を下げた。
シャイードは半信半疑で、馬を進める。
「なんだ。普通に入れ……んっ!?」
森に入って行くと、すぐに視界が開け、白馬にまたがった二人のエルフが待ち構えていた。
イールグンドとキールスだ。
シャイードは来し方を振り返った。森だ。
「あれ? 俺、真っ直ぐ来たよな……?」
「迷路の魔法が掛けられている。空間が歪められておるのだ」
アルマが背後から言った。
「その通り。こうなった以上、もはや外からは連絡のつけようがない」
荒々しく吐息してシャイードたちに答えたのち、イールグンドはキールスを振り返った。
「何故だ! キールス。どうして伝書梟など飛ばした!?」
「長老会議に頼まれていたんだ! 一刻も早く、返事が知りたいからって。でも、まさか僕たちを見捨てるなんて」
「長老たちがすぐにでも森を閉ざす口実を探していた事実を、見落としていたとでも言うのか!」
「そんな……。僕にそんなつもりは」
イールグンドは斜め下に視線を逸らした。
「お前が俺を裏切るなんて、考えもしなかった」
「!!」
この言葉に、キールスの表情が変わった。顔から一切の表情が抜け落ち、凍りつく。そのまま時が止まってしまったようだ。
「俺に黙って、『皇帝は兵を出さない』と報告したのなら同じことだ。彼は出さないと言ったわけではない。東の状況を速やかに処理して、それから軍を動かしてくれると言ったんだ。これは手紙ではニュアンスが伝わらない。俺自身の言葉で伝えるべきだった。しかも俺は皇帝に、長老会議を説得する努力をすると約束したのだ!」
イールグンドはそっぽを向いたまま、馬首を巡らせた。
「……少し辺りを見てくる」
返事を待たず、振り返りもせずに彼は馬を走らせた。
キールスは茫然自失している。
そこにラザロたちが追いついてきた。彼はぼんやりするキールス、何故か森に背を向けているシャイードたち、走り去ったイールグンドを順に見つめた後、無言で森に入っていく。
「あ……」
シャイードは片手を伸ばした。止める間もなかった。
ラザロはすぐに森から出てきて「んんっ!?」と言った。
「ちょっと!? 何をやっているんですか、ラザロさん。ふざけてないで、しっかり馬を操って下さい!」
「吾輩は真っ直ぐ歩いただけだ!」
「森の外に出てるじゃないですか!!」
「吾輩のせいではない!」
「おい、お前らまで喧嘩するなよ。エルフたちが森を閉ざしちまったらしいんだ」
「なるほど、そういうことか」
ラザロは薄い唇をへの字にした。
「全くの無駄足だったというわけだな。こんなことならやはり、旧都から直接湿地帯に向かうのであった」
「それは、私や村人を救ってくれたことも、なかったことにしたいということですか!?」
ディアヌが憤慨する。
ラザロは右手でハエを払うような仕草をした。
「ああ、そうだ。全く、小娘はぎゃんぎゃんと五月蠅くて敵わ……ぎゃあああ!!」
ディアヌが背後からラザロの身体をぎゅっと締め、死霊術師は悲鳴を上げた。
「仲が良いな」
「お前の目は節穴だな……」
アルマの感想に、シャイードはため息をついた。どっと疲れる。
「とはいえ。このままぼんやり突っ立ってても身体が冷えるだけだ。アルマ、お前この魔法を打ち破れないか?」
シャイードが身体を捻って背後を見遣ると、アルマは木々を見上げた。
「そうだな……。これは我がやるよりも、汝がやる方が効率が良さそうだ」
「……俺が?」
シャイードは目を丸くしたあと、半眼になり眉根を寄せる。口の端に片手を立てて小声になった。
「まさか、燃やせとか言わねえだろうな……」
「そのような無意味ことは言わぬ。こっちだ」
アルマはシャイードの左腿にある、流転の小剣の鞘を叩いた。
「フラックスは元来、生命――とりわけ植物に強い影響力を持ち、同時に変化・変容を司る魔器だからな。”迷い森”の魔法を打ち破るにはうってつけであろう」
「へえー……これが……」
シャイードは小剣を腰から引き抜き、刀身を立てて掲げ持った。この闇の中、うっすらと輝いている。
「つか、便利すぎじゃね? フラックス」
「何をいまさら。妖精王の王権の証だぞ。汝は小剣にして振り回しているから、忘れがちであろうが」
「確かによく斬れる。放り投げても戻ってくるし」
「……。常々考えておったが、汝はもっと持ち物を大切に扱った方が良い。特に本とか」
「あーあー。急に耳が遠くなった」
軽口を叩きながら、シャイードは馬から飛び降りた。続いて降りたアルマに、手綱を渡す。
ラザロとディアヌも、口論をやめてシャイードを目で追った。
シャイードはアルマを振り返る。
「これ、どうすればいい?」
「少し進むと、反転するポイントがあるであろう? そこで剣を振れ」
シャイードは頷き、森の中に歩いて入っていく。フォスも一緒だ。
少し歩くとやはり、前方にアルマが立っているのが見えた。一歩二歩、下がっていくと、森の景色に戻る。そこで振り返ると、後方にアルマがいた。
「この辺か。よし」
左手で空間を触ってみても、何も感じない。
だが、アルマがそこを斬れというのなら、何かがあるのだろう。
シャイードは流転の小剣を振りかざし、思い切り振り下ろした。
「……!?」
剣は空中で、何かに妨害されたように止まる。目に見えない弾性のある縄でも張られているようだ。
「ううう……っ!!」
剣を振り抜こうと力を入れると、不可視の縄がたわむのか、少しは剣が下がるのだが、斬れる感触がない。
シャイードは一旦、剣を戻す。
もう一度、上段に構えて、先ほどよりも素早く振り下ろした。
――駄目だ。上手く行かない。
「どうだ」
「うわっ!」
すぐ後ろから声がして、シャイードは肩を跳ねさせた。いつの間にか、馬を連れたアルマがそばに来ている。
シャイードは一歩横にずれて首を振った。左手で、剣が止まる辺りを示す。
「お前の言う通り、ここに何か抵抗がある。けど、上手く斬れねえ」
「もう一度、やってみるのだ。我は良く見ている」
シャイードは一つ息を吐き、左足を軽く前に出して剣を構えた。
「はあっ!!」
勢いよく振り下ろす。
アルマは少しかがみ、剣の止まったところをじっと見つめた。
「どうだ! アルマ!!」
抵抗を振り切ろうと渾身の力で振り下ろしつつ、隣に尋ねる。
「ふむ。ダメージは行っている。この調子で頑張ればいけそうだぞ」
「よし」
「あと一万回くらいか」
「ぶっ!!」
あまりの数字につんのめった。二、三歩、前方に蹈鞴を踏んで、すぐに振り返る。アルマは姿勢を戻していた。
「おいふざけるな。そんなにやってられっか!!」
「うむ。……斬れた」
「え……」
シャイードは虚を突かれた。斬れた感触はなかった、……気がする。
確認のため、その場でもう一度剣を振ってみたが、今度は何の抵抗もない。
それに前に進んで振り返ったのに、前後が逆転していない。
「本当だ。斬れてる!!」
「そうであろう」
「じゃあ一万回ってのは、なんだったんだよ!! 嘘か!!」
アルマは目を瞑り、ゆっくりと首を振った。
「汝が力で斬ろうとしていたのでな。そのままでは一万回くらい必要だった。シャイードよ、ああいったものは力ではなく、魔力で斬らねば駄目だ。古の生き物である汝の潜在的魔力は高い。だから気を逸らせば、無意識に魔力で斬ると思ったのだ」
シャイードは瞬いた。剣を持つ手を見下ろす。
「力斬りでもなく、技斬りでもない。今のは魔力斬り、とでも言うのか……」
「使いこなせるようになれ」
「全っ然、感覚がわかんねえんだけど……」
アルマに背中を叩かれたが、シャイードは困惑するばかりだった。




