野営
降り始めよりは勢いが衰えたものの、村を出てからも細かい雨が降り続いていた。
シャイード一行は平原の真ん中で夜を迎える。水はけの良い丘の大樹の陰に、協力してテントを張った。
出発当初から、野営の際はテントで雑魚寝する予定だった。しかし、想定外に人数が増えてしまったため、内部はぎゅうぎゅうだ。
「神官殿。もしも雑魚寝が不快であれば……」
「どうぞディアヌと呼び捨て下さい、イールグンドさん。以前は孤児院で男も女もなく、枕を並べて眠っていました。お気遣いなく。雨がしのげれば重畳です」
「そうか。ではせめて、男たちの頭側にこう、横になれば」
「ありがとうございます。ではそういたします」
ディアヌが深々と一礼すると、イールグンドは少し笑って片手を振り、野営の準備に戻っていく。顔を上げた彼女は、その背中をしばらく目で追った。
ちらちらと様子を見ていたキールスが、ディアヌに近づく。
「僕たちエルフは性差をまるで気にしないんだ。人間みたいに年中発情もしてないしね。イールグンドが口にするまで、僕はあなたが女性だってことをすっかり忘れてたよ」
「私が人間だから気遣って下さったんですね、イールグンドさんは。とても真摯な方ですね」
「……。もしかして、イールグンドのことを好きになった? 人間って、すぐに異性を好きになるんでしょう?」
キールスのこの質問に、ディアヌは目を剥いた。慌てて首を振る。
「い、……え。それは誤解です。それに、私は神に仕えるものですから、そのような浮ついた感情など」
「ふうん? 人間でも神官は、誰を好きになるか頭で決められるのか。すごいね」
「神は博愛を説かれます。恩寵はあまねく全ての人に与えられるものであり、誰か一人に執着すべきではありません」
「そ。ならいいんだ」
キールスはさっさと身を翻した。雨の中、草を食む馬たちに、余り遠くに行かないようにとエルフ語で呼びかける。
ほっと肩を落とした彼女は、周囲を見回した。
そして一人離れたところに座る猫背を見つけると、肩を怒らせてつかつかと歩いて行く。
「こそこそと何をしているんです!?」
背後から急に声を掛けられ、ラザロはびくっとした。不機嫌そうに振り返る。
腰に手を当てたディアヌが、上体をかがめて覗き込んでいた。彼女は急に眉間を開く。
「あれ? ……料理ですか?」
「いや。服を乾かすついでに、水をな」
ラザロは片手鍋を手に立ち上がった。ディアヌは、そこでラザロの服がすっかり乾いていることに気づく。
火に当たっていたわけではない。火は、別のところでイールグンドが育てている。
「それってつまり……」
「”集水”の魔法は禁呪ではないからな。貴様に文句を言われる筋合いはないぞ」
ディアヌが開いた口を遮り、ラザロは先回りして言った。
「服の水分を、鍋に? すごい! 便利ですね! 私にも掛けてくれませんか? 下着までびしょ濡れで、気持ちが悪くて……。あ。……汚くありませんか、その水……」
表情をころころと変えつつ、神官は一息に言った。
ラザロは圧倒され、ぽかんと口を開いていたが、ぶつぶつと小声で呪文を呟き、指をぱちりと鳴らした。
ディアヌの服が乾き、片手鍋の水位が上がる。
「集水は、純粋な水の成分だけを集める。蒸留した水くらい綺麗だから安心していい」
「あ、……りがとう、ございます。……。こんな良い魔法なら、皆さんにも掛けて差し上げましょうよ!」
「え……」
「みなさーん、ラザロさんが」
「あ、貴様。吾輩はまだ何も……!!」
ディアヌは神官服の裾を揺らし、朗報を伝えに行く。ラザロは慌てたせいで、片手鍋の水がローブの裾にかかり、がくりと頭を垂れた。
結局、ラザロが全員に集水の魔法を掛け、衣服を乾かすと同時に調理器具に綺麗な水を満たした。
それを使って、ディアヌがスープを作る。皆が持っていた保存食を出し合い、不思議なごった煮が出来た。
エルフたちは乾燥した木の実や茸やナッツを、シャイードは干し肉を、ラザロは煎じ薬を。ディアヌは丘に生えていたイラクサの新芽を加え、塩で味を調えた。
料理が完成に近づくと、皆はたき火の傍に集まってくる。ラザロですら、温もりを求めて炎の傍にやってきた。アルマだけはシャイードの背後、片手を伸ばしてギリギリ届くかどうかという場所に座っている。
シャイードは回ってきた器を受け取った。スープから立ち上る嗅ぎなれぬ匂いを警戒し、恐る恐る口をつける。意外にも味は悪くない。それどころか、限られた食材で作ったにしては、よく出来ていた。
「美味い」
冷えた身体が芯から温まる。あっという間に自分の分を平らげてしまった。
温かいスープを口にしたことで、一行の間にも穏やかな空気が流れる。死霊との戦闘と、雨に曝されながらの行軍で、心身ともに疲れて冷えていたところに、この食事は特効薬となった。
膝を抱えて座ったまま、キールスが上機嫌に歌い始める。そこにイールグンドも加わった。エルフ語の歌詞だ。キールスの儚げで美しい高音に、イールグンドの安定感のある低音が絡み合い、うっとりする和音となった。
歌が好きなフォスも、シャイードの手元で気持ちよさそうに揺れている。
ラザロでさえも、フードを下げたままじっと聞き入っていた。
二人が歌い終わると、ディアヌが感激した様子で拍手を送る。それに釣られて、残りの者たちもぱらぱらと拍手をした。
「エルフ語は聞き慣れておりませんが、とても綺麗な響きなのですね。流れる水のような、木の葉を揺らす風のような。今のはどのような歌なのですか?」
「狩人に恋した月の歌」
「キールスの好きな歌だ。人間の間では、どんな歌が流行っているんだ?」
ハンターグリーンの瞳が好奇心を宿し、シャイード、ラザロの順に移動した。
「お、俺は、歌は全然。知らねえし、歌えねえ……!」
「吾輩にそのような余興を期待しても無駄だ」
「そうか。残念だな」
イールグンドが眉尻を下げる。シャイードがアルマを振り返り、口を開きかけた時、ディアヌが立ち上がった。
「では僭越ながら、私が、人間を代表してお返しを」
彼女は頬を染め、こほん、と咳払いをした。イールグンドがぱちぱちと手を叩く。
神官は腹に片手を当て、もう片手を大きく開いて軽く目を閉じ、息を吸い込んだ。
ディアヌの声はよく通った。声質も悪くない。
歌詞は明るく、楽しく滑稽な雰囲気で、素朴な祭り歌のようだ。
問題は、思わぬところで飛びはね、転び、予想外の展開を見せる旋律の方。高音から低音にぶんぶんと振り回され、リズムは狂い、しかして本人はとても楽しそうだ。
彼女は旋律破壊者――つまり、酷い音痴だった。
聞いている者たちは皆、一斉に悪酔いした気分になる。例外はアルマだけだ。
歌い終わったとき、魔導書以外のメンバーは一時的に、三半規管に著しい障害を負っていた。
「す、すごかった。これが、人間の歌……」
イールグンドがまだショックから立ち直れぬ様子で感想を述べる。アルマはエルフたちが歌ったときと同様、無表情でぱちぱちと拍手を送っている。
ディアヌは得意げに、胸に手を当てて一礼した。頬は歌う前よりも紅潮している。
「喜んで頂けまして、光栄です」
「うう……吾輩、目眩と動悸が」
ラザロがぼそりと呟いたが、幸い、立っている彼女には聞こえなかったようだ。
「孤児院では年下の子どもたちを眠らせるために、毎晩子守歌を歌っていたんですよ。歌には自信があるんです。よろしければもう一曲……」
アルマ以外の全員が、高速で視線を交わす。その時ばかりは、何年も組んだパーティのような完璧な連携と意思疎通を見せた。視線は、最終的にイールグンドに集まった。
曰く、好奇心の責任を取れ――。
イールグンドは、期待に満ちた純粋な瞳で見つめてくる神官に、引きつった笑顔を向けた。
「いや、今宵はみな疲れているし、明日も早い。早めに休むのが良いだろう」
「そう、ですか? 子守歌、きっとよく眠れると……」
「ありがとう。またの機会に頼む……っ!」
語尾は痛切で、どこか懇願めいていた。
「そうですね。ではそうします」
ディアヌは僅かに残念そうに、座った。
一行は、ほぅ、と長い息を吐く。
彼女の子守歌を聴いて育った子どもたちの音感について、シャイードは思いを馳せた。
見張りは、密かにシャイードの命令を受けたアルマが買って出た。魔導書には睡眠が必要ない。だが表向きは、まだ眠くないからだということにして(嘘ではない)、もし眠くなったら交代すると言っておいた。
みな疲れていたので、特に誰も疑問に思わず、異も唱えなかった。




