馬上にて
「……」
ラザロはぶすっとした顔で沈黙した。
(”なんか”だと……? いちいち突っかかる物言いをしてくる女だ。傍にいるだけで、人は鬱陶しいのに、喋る奴はもっと鬱陶しい)
「吾輩を改心させるつもりなら、その無駄口はすぐに塞ぐことだ」
「!! べ、別にそういうわけでは……」
図星だったらしい。女は口ごもった。嘘がつけないたちなのだろう。
「……。生まれつきだ」
「えっ?」
突然の言葉に、ディアヌはそれが問いかけに対する答えだと一瞬理解できなかった。
ラザロは顔を半分だけ彼女に向けた。その白い頬を、雨の滴がしとどに流れ落ちている。唇が紫色をしているのが、ディアヌの瞳に焼き付いた。
「吾輩は生まれつき、霊体が見える。彼らと意志を交わすことが出来る。なろうと思ったわけではないが、物心つくよりも先に、吾輩は死霊術師だった」
「……まさか」
ラザロは自嘲した。
「見えるのが当たり前の吾輩にとっては、なぜ、他の者には見えぬのかが不思議だった。この世に未練を残した者たちはまだ子どもの吾輩に、どうにかして生者どもに心残りを伝えて欲しいと願ってきた。伝言には良いことも悪いこともあった。だがどちらを伝えても、吾輩は気味悪がられ、畏れられ、疎外された。時には打ちすえられもした」
「……」
「中には悪霊もいた。人間の中に殺人鬼がいるのと同じようにな。そのせいで、死にそうな目にも何度もあった。だから吾輩は、ミスドラ王国にある魔術の学府へと赴き、本格的な死霊術を学んだのだ」
「ミスドラでは、死霊術が禁呪ではないのですか……?」
眉根を寄せたディアヌの問いに、ラザロは首を振る。
「そんなことはない。表向きは、禁呪とされている。……が、学院長は理解のある方でな。吾輩のもって生まれた力を知ると、密かに師を紹介してくれた。命を守るために」
「命を……」
「おそらく善意だけではなかろう。魔法学院には魔術の系統を絶やさず、次代に継ぐ役目もある。それが例え死霊術のような、禁忌と言われる術であっても。吾輩が後継として適任だったという理由も、多分にあったはずだ。だが吾輩にとっては幸運だった。それまでの不運を埋め合わせるほどではないにせよ」
ラザロはため息をついた。首を少し傾けると、前髪に隠れていた灰瞳が露わになる。死を見抜く瞳で、ラザロはディアヌを肩越しに見下ろした。口元は僅かに嘲りを描いている。
「どのみち、貴様のように人々から尊敬され、愛され、感謝され、表通りを歩いてきた者には理解できぬだろうがな」
最後に憎まれ口を叩き、ラザロは前に向き直った。
背後からローブをつかむ手が、ぎゅっと丸まったのを感じる。
(なぜ吾輩は、よりにもよってヨル神官なんぞにこんな話をしているのだ……?)
ラザロはいらだたしげに目を細めた。自分の心ながら、理解不能だった。
(嫌悪されることなど慣れている。今さら、他人に理解して欲しいなどと、ひとかけらも思っていないというのに)
しかし彼の行動は、まるでその正反対だ。
(……。たぶん、単なる暇つぶしだ。それ以上の意味は、ない)
ラザロは自身に言い聞かせた。
◇
村を出発してすぐのこと。アルマが突然、シャイードのマントの裾をめくりあげた。
「おわっ! 何やってんだ、いきなり!!」
手綱を操りながらも、シャイードはまた魔導書の奇行が始まったのかと気が気ではない。何度も前と後ろを見比べた。
アルマは、ボディバッグの中を漁っているようだ。
「馬鹿! やめろ!!」
シャイードは右手を背中に回して動かすが、無理な姿勢のため、上手く邪魔できない。
「何か焦げ臭いと思ったら」
アルマはバッグの中から、真っ黒に焦げた掌サイズの袋を取りだし、手を伸ばしてシャイードにも見えるようにした。
シャイードは馬を扱いながら、ちらりと目をやる。
「なんだそれ。そんなもの……」
見覚えがないと言おうとして、思い至る。
色はともかく、そのサイズにとても見覚えがあった。
「それ、……ひょっとして」
「汝がアイシャに貰ったお守りであろう」
「それだ!!」
思わずアルマを振り返った。
アルマは焦げた匂い袋を自身に引き寄せる。雨が容赦なく打ちつけた。
「でもなんで焦げてるんだ? 他のものは大丈夫か!?」
急激にバッグの中身が気になる。保存食や着替えは無事だろうか。愛用のピッキングツールは。
「他は無事だ。これだけが焦げている。いつから焦げているのだ?」
「知る訳ねーだろ。しばらく入れっぱなしだったし……」
「ふむ……」
アルマは思案の末、焦げた匂い袋を丸呑みした。
シャイードは前を向いていて気づいていない。
「これは……。うむ。そうか」
「何か分かったのか?」
雨の中、先行するエルフたちの後ろ姿を見失わぬように気をつけながら、背後に問う。
「汝に投げかけられた悪意ある魔法を無効化して、焦げたようだ。掛けられていた願いと相反する魔法だったのであろう」
「ふーん。で? 掛けられていた願いって?」
「それは分からぬ。魔力由来であれば分かったが、おそらく共振力によるものだ」
「そうか。お前、共振力の方は感知できないといっていたものな」
「うむ。どのような神性魔法があるかは教典の情報を喰って概ね理解しているが、共振力の痕跡からそれを特定するのは不可能だ。しかし、汝の掛けられた魔法ならばわかる。そちらは魔力由来だった」
「それを早く言えよ。まどろっこしいな!」
「聞いてきたのは汝であろうに。しかしあの村に、ここまで高度な魔法を使う死霊がいたであろうか……?」
アルマが自問したのを聞きつけ、シャイードははっとした。
「あっ!! そういや、村人とのやりとりでごたごたして伝えてなかったな。お前の氷魔法が発動した直後に、突然ビヨンドが現れたんだ。死出虫で出来た不気味なやつ。そいつに何かされたんだが、何の変化もなかったんだ。俺も、キールスも。ビヨンドはすぐに逃げたんだが……」
「だから言ったのだ。あの不安定な戦場で、ビヨンドの情報再現魔法を使えば、新たな穴が空くかも知れないと」
「……言ってねえだろ!? は? 何だそれ。初耳なんだが!」
「言おうとしたが、汝が聞く耳を持たなかった。我の魔法でビヨンドをこの世界に再現すると、周囲の世界膜に幾分ダメージが行く。空間が歪むのでな。通常であれば問題ないレベルだ。だが、あの村は既に冥界との世界膜が薄く……」
シャイードはこの衝撃的な情報を、途中から聞いていなかった。最初から、思い当たる節がありすぎた。
ビヨンドが出現したり近づいたときにいつも感じる目眩。それを、アルマがビヨンドを喚び出す時にも感じていた。
あれはどちらも、世界膜が今まさに受けているダメージを、空間の歪みとして認識していたのだ。
「そうか。それで、急に裂け目が出来て、あのビヨンドが!」
「汝に掛けられたのは、絶命の魔法だ」
「……!!」
シャイードは言葉を失った。今さらながらに、心臓が縮み上がっている。
「死ななくて良かったな。お守りは身代わりに焼失したが、命を亡くすよりは良かろう」
「この俺が……、そんなに簡単に死んでたまるか……」
反論する口調も、力がない。
死ぬ。
――死。
シャイードにとってのそれは、どこか遠い世界の話だった。或いはもっとずっと、遠い未来の。
死は、周りにいる者たちに訪れるものだった。決して自分にではない。危険な戦いをくぐり抜けてもなお、自分だけは生き残れる。だって自分は世界で最強の、ドラゴンなのだから。
だからいかにビヨンドが強大であろうとも、無敵であろうとも、何も怖くなかった。
確かに、妖精裁判の折りには、苦しんで生きるよりはと、死を選びたくなった。けれどその時でさえも、やってくる死は、こんな風ではないはずだった。
こんなに理不尽に、知らぬ間に、何の前触れもなくやってくるものだとは。
死とは因果の果てにあるものなのだと、思い込んでいたのだ。
しかし実際のところ死は、地平線の彼方にあるのではなく、今も常に背中に張り付いている。
「俺がもし死んだら……」
これほどの雨が降っているというのに、シャイードの喉はからからだった。言葉は僅かに掠れている。
シャイードは目を瞑った。
指先がやけに冷たい。




