第一印象
「……何が起きた?」
突然周囲で氷風が渦巻いたかと思ったら、戦っていた死霊たちが次々に凍り付いてしまった。
イールグンドは戸惑い、馬首を巡らせる。先ほどまであった、光のドームがいつの間にか消えていた。中にいた村人たちが呆然としている。
前方に、キールスの後ろ姿が見えた。
左手側には、戦棍を手に、崩れ落ちそうになりながらも油断なく周囲を見回しているヨル神官が。
イールグンドは迷わずキールスの方に向かった。馬を並べ、彼を振り返る。
キールスは空の一点を見つめていた。その視線を追うと、黒いもやが空間の亀裂に吸い込まれていくところだ。
もやが消えると、亀裂は見えなくなってしまった。
「何が起きた?」
今度は独り言ではなく、隣に問う。
キールスの傍にいたはずの風精霊は、いつの間にかいなくなっていた。彼の魔力が底をつき、精霊界へと帰還してしまったのだろう。
キールスはゆっくりと首を巡らせて、イールグンドを見た。
焦点の合っていなかったリーフグリーンの瞳に、光が戻ってくる。
「わからない」
彼は首を振り、空虚な口調で言った。
それから見ていた方に向き直り、空の一点を示す。
「氷嵐が吹き荒れた後、突然轟音がして……、何か、黒いものが」
彼は額を押さえた。
「頭が重い」
「魔力を使いすぎたんだろう」
「かもね」
そこに、シャイードが走ってきた。
「大丈夫か、キールス! あの黒いやつが、お前に集ってたけど」
「ああ、うん。別に平気。疲れただけで」
シャイードに素っ気ない口調で答え、キールスは片手を振った。
「そうか」と、シャイードはほっとして肩を落とす。
どんよりと曇っていた空から、ついに雨が降り出した。
◇
アルマの魔法の範囲は、村全域に達していた。死人や骸骨たちは氷に閉じ込められたが、隠れていた村人には傷一つつけていない。
ただ、凍り付いた死霊たちは、一時的に動けなくなったに過ぎない。
シャイードたち一行は、おびえきった村人を説得し、すぐにでも旧都グレゴへ向かうよう指示した。
雨は本降りになった。氷は、あまり保たないかも知れない。
その一方で、炎を上げていた家屋は自然に鎮火した。火事の原因だが、パニックになった村人が、煮炊きに使っていた火のついた薪を死霊に投げつけたかららしい。
「改めまして。助太刀、感謝いたします。私は冥界神ヨルに仕える神官で、名をディアヌと申します。遍歴の途中で、たまたまこの村に滞在しておりました」
艶やかな宵闇の長髪を肩から滑り落とし、ヨル神官はかしこまった様子で頭を下げた。前髪は眉の上でまっすぐに切りそろえられ、後ろ髪の先端も同様に揃っている。
広場に面した、店舗の軒下である。
彼女の黒い神官服は、良く見ればあちこちが破れ、ボロボロだ。
本人も、おそらく同じくらい疲弊しているはずだが、顔を上げた彼女は凛とした姿勢を崩さない。
「俺はシャイード、そんでこっちがアルマ。……と、ラザロ」
「イールグンドとキールスだ」
名乗り、或いは紹介される者たちを一人一人見つめて会釈した後、ディアヌは広場を振り返った。
アルマの魔法でああなったことは、村人に避難を呼びかける最中に話してある。死霊たちは氷に閉ざされており、今はこちらからも物理的に破壊するのは難しい。
「氷が溶ければ、彼らはまた自由になってしまうということでしたね。それならば、私はここを離れるわけには参りません。彼らを殲滅しなければ」
「そうは言っても、アンタ、ボロボロじゃねーか」
「少し休めば気力も戻り、祈りを神に届かせられるようになるはずです。聖滅であれば、氷に入ったままの死霊も滅せるでしょう」
「好きにさせればいいだろう。吾輩たちは先を急ぐ必要があるのだし」
ラザロはにべもない。
だがそのラザロの右腕を、隣に立っていたディアヌは突然つかんだ。ラザロはびくっと肩を跳ねさせる。
「残念ですが、貴方だけは、このまま行かせることは出来ません。逮捕します」
「たたた、逮捕!? なぜ吾輩を」
「見ていました。貴方の周りで起きたことを」
「……!!」
「罪の重さは、ご自身が一番自覚しておられるのでは? 貴方にはヨル神殿において、異端審問を受けて頂きます」
「こっ、断る!」
ラザロは腕を振りほどこうとした。だが、彼女の力の方が強い。
ラザロは左手の指で素早く印を描き、静電の魔法を使った。周囲で電撃が弾け、ディアヌは顔をしかめる。
けれど彼女は、腕を放さない。それどころかますます強く握った。
ラザロは悲鳴を上げた。
「痛っ、痛い! 腕が折れる! このっ……、小娘、放さぬか!!」
「何があろうと、絶対に放しません!」
二人の様子を見つめていたアルマは、シャイードに向けて少し身をかがめた。
「随分と熱烈な告白だな」
「あれを見て、どうしてそう思ったわけ!?!?」
見かねたイールグンドが仲裁に入り、ディアヌはしぶしぶラザロを解放した。だが油断なく剣呑な瞳を、死霊術師に向けたままだ。
「なんという馬鹿力だ。まったく……」
ラザロは解放された腕を撫でながら小声で文句を言っていたが、フードを深く下ろして彼女とは目を合わせようとしない。
イールグンドは続ける。
「君がここに残ることを、止めることは出来ない。だが、ここを立ち去ろうという我々の意志もまた、尊重されるべきではないか? 俺たちは現在、この死霊騒ぎの原因を断つべく、行動を共にしている。それは君の信奉する神の意志にも適う行為だと思うが?」
「貴方たちが?」
ディアヌは疑いのまなざしを送る。
「でも貴方は、エルフでしょう?」
「いいたいことはわかるよ」
キールスがひらりと片手を持ち上げ、割って入った。
「イールグンドはちょっと変わってるんだ」
ディアヌはシャイードにも視線を向ける。
「この子どもも?」
「おい、今、子どもっつったか!? 俺は21だ!!」
「えっ、私よりも年上!? それは大変失礼しました。全くそうと見えなくて……」
神官は素の表情で驚き、慌ててシャイードに向けて一礼した。シャイードは舌打ちをし、「くそっ」と小声で悪態をつく。口調に悪意が全く感じられないのが、却って傷つく。
ディアヌはアルマに瞳を動かした。
「それで、貴方は大魔術師様でしょうか。この氷の魔法……。範囲が戦術魔法レベルですね」
「大魔術師ではないが」
「その上、とても謙虚なのですね」
ディアヌは感心したように吐息をつく。そして目蓋を閉じ、しばし考えこんだ後で再び開いた。
「わかりました。どうか、私もお供させて下さい。確かにイールグンドさんのおっしゃる通り、死霊がわき出るこの事態を解決することこそ、我が神の御心に沿いましょう」
「俺は構わないが……」
イールグンドはキールスを見た後、シャイードを見る。
「僕はイールグンドがいいなら別に」
「俺も異論はないけど、アンタ、馬はいるのか? あっ、俺の馬もだ!!」
「キールス。悪いが」
「いいよ。任せて」
イールグンドがキールスに目配せすると、相棒は身を翻した。軒下を出て、水しぶきの向こうに姿を消す。
「吾輩は絶対に反対だ!」
ラザロが強い口調で言った。




