襲われた村
村落に近づくにつれ、異変は誰の目にも明らかになっていた。数カ所の家屋から火の手が上がっているようだ。
「た、助けてくれ!!」
村を取り巻く畑の傍を走り抜けようとしたとき、不意に麦穂の向こうで立ち上がった人物が手を振った。イールグンドが手綱を引き、その場から「どうしたんだ!?」と声を張る。
男は一度背後を振り返った後、表情をこわばらせて麦畑を走り抜けてきた。
助けを求めた相手がエルフだと分かると、畑の途中で立ち止まる。
戸惑いが顔に浮かんでいた。
イールグンドが再び「何があった?」と先を促すと、意を決して村を指さした。
「村が……! バケモノに襲われているみたいなんだ!」
「死霊か!?」
「わ、わからない! 俺は見てない! ただ、娘が」
男は背後を示す。初めに彼がいた辺りで、バスケットを抱えた若い娘が立ち上がっていた。酷くおびえた様子だ。
隣には男の妻らしき年頃の女もいて、娘を守るように寄り添っている。
「農作業中の俺たちのところに、いつものように昼飯を届けに来てくれたんだが、村を出ようとしたところでバケモノに出くわしたらしくて……! 娘は運良く逃げ出せたんだが、その後、村から火の手が上がって……、俺たちは怖くて……!!」
「ここに隠れていたんだな」
隣からキールスが言葉を引き継ぐと、男は何度も頷いた。
イールグンドは東を指し示した。
「急いで逃げろ」
「でも! どこに、どうやって……」
「グレゴへだ。避難者たちを受け入れている。街道まで出れば、他の避難者と合流できるだろう」
男はこの言葉に迷う様子を見せたが、村を一瞥すると頷いた。
「わかりました!」
イールグンドがキールスを振り返る。
「急ごう!」
「でもイールグンド。敵の数も分からない」
「行かなければそれも分からん」
言い捨てるとイールグンドは、止める間もなく単騎で駆け出した。キールスはため息をつき、それに続く。
シャイードも彼らの後を追い、途中で背後を振り返った。
ラザロも馬を走らせて従っていた。
村に入った途端、シャイードは子どもを抱えて逃げてくる男とぶつかりそうになった。相手は背後を見ながら走ってきたのだ。手綱を引いてなんとか躱したが、驚いた男は足をもつれさせて転倒した。
腕の中の子どもが泣く。
「おい! 平気か?」
シャイードはその場で一回転する馬をなだめつつ、男に話しかけた。
男は始め、恐怖に目を見開いていたが、馬上の者が少なくとも死霊ではないことに気づいて、安堵を浮かべて立ち上がった。
「村にいきなり死霊の群れが湧き出して……!」
「湧き出した……? 外から来たのではなく?」
子連れの男が頷く。
「たぶん、墓地からで。ヨルの神官様が」
「シャイード! こっちだ!!」
先行していたイールグンドが、一ブロック先で振り返って手招いていた。そちらへ向かおうとすると、男が手綱にしがみついてきた。
「お、お願いです! 助けて下さい!! せめてこの子だけでも連れて……!!」
「……っ!! 死霊はどこにいる?」
「わかりません! あっちにもこっちにもっ」
「汝の世話をしている余裕はない。手を放すのだ」
アルマが背後から冷たく言い放つ。男はびくりとして手を開いた。
直後、ラザロがシャイードを追い抜き、エルフたちの消えた曲がり角を曲がっていく。鞍に取り付けていた魔杖を手に持っていた。
それを目で追ったのち、シャイードは男を見下ろす。
「死霊の方は俺たちが何とかしてみる。アンタはどこか、安全なところを探して隠れていろ」
男は絶望を顔に浮かべ、小さく首を振った。
「無理だ……安全なところなど、もう……」
シャイードは舌打ちをし、片手を大きく薙いだ。
「アンタが諦めたら、その子も終わりだろうが! 行け! 考えろ!!」
男は恫喝を受け、はじかれたように走り出した。その背を数瞬見送り、シャイードは三騎を追った。
角を曲がって進むと、前方の視界が開けた。広場だろう。ラザロが入口で立ち止まっている。
「どうし……、!!」
隣に並びながら、留まる理由を尋ねようとしたところで、その光景は嫌でも目に入ってきた。
無数の死霊だ。広場は死霊で溢れていた。
死人が多いが、骸骨も混じっている。死人は元人間で、衣服を見るに生前はごく普通の村人だったようだ。骸骨の纏う布はボロボロで、もはやどんな衣装だったか分からない。彼らが向かう先に、半球状に輝く光のドームがあり、中で村人が身を寄せ合っていた。
そしてそのドームを守るように、神官服姿が立ちふさがっている。体格が小柄なので、おそらく女性だろう。
神官が気合いと共に戦棍を振るい、死人を打ち倒した。鈴音が響く。ヨルの神官が使う専用武器だ。
左前腕には小型の円盾を装備しており、敵の攻撃を防いでは押し返していた。
いつから戦っているのだろう。神官は、肩で大きく息をしながら戦棍を構え直す。
イールグンドとキールスは、馬で死人の群れを蹴散らしつつ、神官に合流しようとしていた。
ラザロを振り返ると、彼は魔杖を水平に構えて呪文を詠唱し始めたところだ。
シャイードは魔法剣である流転の小剣を引き抜き、手近に迫ってきた死人の首をはね飛ばした。
首をなくした身体は、それでも歩み寄ってきたが、片足で胸を蹴り飛ばして地面に倒す。
その反動で、馬がバランスを崩した。
「っとと……!!」
シャイードは、馬を操りながらの戦闘の経験が一度しかない。その貴重な一度さえ、アルマの変身した馬だ。本物の動物と意志を通わせられるほど、乗馬に精通してない。
その上、死人や骸骨の群れに囲まれて、馬はパニックを起こしていた。手綱を引いても、声を掛けても、制御しきれない。
降りた方が良さそうだと判断し、シャイードは鞍から滑り降りた。
アルマも続いて地面に降りる。
背が軽くなった途端、栗毛の馬は前脚を大きく跳ね上げた。
「あっ!」
シャイードの手から、手綱が離れる。馬は踵を返し、逃げ出してしまった。だが、後を追っている暇はない。それに捕まえたとしても、どこかに縛ってしまえば死人たちの格好の餌食となる。
自由にさせておくのが最善だ。
シャイードはすぐに思考を切り替えた。
襲いかかってきた骸骨の腕を、左手で咄嗟に引き抜いた短刀の背で受ける。
畳みかけるように流転の小剣で斬り払った。
だが骸骨相手に、斬撃は効果が薄い。腕を失った骸骨は、構わずに向かってくる。
背後にステップを踏んだが、そこで何かにぶつかった。
「うおっ!?」
もろともに倒れ込んでしまう。片腕になった骸骨が、首を絞めようとかがみ込んでくる。
「でりゃー!!」
膝を曲げ、両足を勢いよく胸に引きつけた後で思い切り伸ばした。足裏が、骸骨の胸骨を捉えて吹っ飛ばす。
反動で起き上がり、背後を振り返ると、アルマが倒れていた。
「お前かよ! 邪魔だ!!」
「いきなりぶつかってきたのは汝だぞ」
アルマは今の一連の動きで幾分ダメージを喰らったようで、よろよろとした動きで身を起こした。長衣についた泥を払う。
「こんな乱戦の中、ぼさっと突っ立ってるのが悪いだろ!」
「いいや。汝は周りをもっとよく見て戦うべきである」
「ちゃんと見てた!」
「我が見えていなかったであろうが」
「だいたいお前はいつも……、いや待て!!」
喧嘩の途中で、はっとして周囲を見回す。死霊の群れにすっかり取り囲まれていた。
死人たちが、汚らしい歯と爪をむき出しにして突進してくる。
「やばっ」
「言わんことではない」
あくまで冷静で人ごとのようなアルマの態度にカチンとして、再び喧嘩を始めそうになったとき、取り巻いていた死霊の群れが急に動きを止めた。
「?」
すると次の瞬間、死霊たちは反転し、他の死霊たちに襲いかかった。
(ラザロの魔法か!)
振り仰げば、ラザロは目を閉じたまま、唇をぼそぼそと動かしていた。集中し続ける必要があるようだが、周囲は安全になった。
余裕の出来たシャイードは、改めて全体を見回す。
イールグンドとキールスは、その間にヨル神官に合流していた。二人とも白馬を操り、ヨル神官を助けて周囲の死霊と戦っている。
イールグンドは剣を、キールスは風の魔法を使っていた。二人の息はぴったりで、互いの攻撃の隙を補う見事なコンビネーションを見せていた。
(すげえ。まるで右手と左手みたいに呼吸が合っている。俺とアルマとは大違いだな……)
ヨル神官は相変わらず戦棍を振り回していたが、やはり動きが鈍い。助太刀が入って余裕が出来ても、死霊に対し一番効果があるはずの神性魔法を使わないところを見ると、すでに力が尽きているのかも知れない。
(……ん?)
見れば、村人たちを取り囲む光のドームも、先ほどよりも小さく、光も弱々しくなっていた。
空には幽霊が霧のように渦巻いて、消えたり結んだりしている。ドームが消え去るのを待っているようだ。
(俺は幽霊をなんとかしよう)
決意し、そちらへ向かいかけたあとに急ブレーキし、アルマを振り返る。アルマはぼやっと突っ立っていた。
彼に短刀の切っ先を向ける。
「アルマ! お前も何かしろ!」
「何か」
「何でもあるだろ? あの凍らせるやつとか! 一挙に全部片付けられるやつ」
「だがシャイード。ここで我がビヨンドを情報」
「ごしゃごしゃ言ってねえで、早くやれ!」
シャイードはろくすっぽ返事を聞かずに駆け出していた。
「……了承した」
アルマも詠唱を始める。
ラザロが操る死霊と、ドームへ向かおうとする死霊が乱戦している場所を、シャイードはすいすいとすり抜けていく。時折、行く手を遮る死霊の邪魔な部位を斬り飛ばした。
ドームの傍では幽霊たちが、物欲しそうに村人を見遣っている。
だが光の膜に触れては弾かれ、風に散らされる湯気のように姿を薄れさせては、遠くで再び姿を結んでいた。
シャイードは駆けつけざまに、手近の幽霊を袈裟斬りにする。
耳奥にキーンとする叫び声を上げながら、幽霊は霧散した。ドームを向いていた幽霊が、一斉にシャイードの方を見る。
その虚ろな眼窩には、生ある者への憎しみと嫉妬が渦巻いていた。
「そうだ。こっちに来い。お前らの相手は俺だ!」




