アルマ
「なんだ、だらしがない」
「誰のせいだと……、思ってやがる……」
膝と両手を石床についたまま、シャイードは恨めしそうに相手を見上げた。
アイシャは、いや、アイシャを乗っ取った何者かは、聞こえなかったのか無視したのか、返事をしなかった。
戦斧を担いだまま、棒立ちしてシャイードを見下ろしている。
「ふむ……。汝らがいかに強靱な生命力を誇ろうとも、氷漬けから解き放ってすぐはまともに動けぬか」
その言葉に、シャイードは目を見開いて息をのむ。反射的に瞳が動き、鋭く周囲を見回した。
「お前……、なにを知って……?」
「いかに姿を偽ろうと、魔力の配分を見れば分かる。我を誰だと思っておるのだ」
小声の低音で問う言葉は、超然と構える相手の言葉に飲み込まれた。
シャイードは舌打ちする。
「知らねーよ。お前まで、冗談を言うタイプだったとは」
先ほどは世界を救うなどと突拍子もない冗談を不意打ちで言われ、ただでさえやっと立っていた足から力が抜けてしまったのだった。
「『冗談』?」
アイシャが瞬く。
乗っ取られた彼女になにがしかの表情が浮かんだのは、これが初めてではなかろうか。
彼女はしばらくの間、何かを思い出そうとするかのように視線を斜め上に向けていた。
やがて再びシャイードを見下ろす。
「『冗談』というのは、『嘘』みたいな意味だったか?」
確認するように問う相手に、シャイードは一度言葉に詰まり、「……まあ、当たらずとも遠からずだな」と答える。
彼女は、ふむ、と納得したように頷いた後、
「なれば。我は冗談など言わぬ」
きっぱりと答えた。
「でもさっき……」
「我は、冗談など、言わぬ」
表情はまったく消えているが、二度同じ言葉を繰り返してシャイードの反論を封じた。
今度はシャイードが瞬く番だ。しばらくぼんやりとアイシャを見上げていたが、あぐらをかいて片膝を上げた姿勢に座り直す。
少しずつ、身体が動くようになってきた。
「おいアイシャ…、じゃなくてアイシャの中にいる奴。少し話を整理させろ」
「ふむ?」
アイシャは担いでいた戦斧を、床に下ろした。
「まず……、お前は誰だ?」
「我か? 我はアルス……、とりあえずアルマと呼んでおくがよい」
「アルマ?」
「うむ」
シャイードは片眉を上げた。相手が何か言いさしてやめたことに気づいたが、考えてみれば名前などどうでも良い。
知りたいのはもっと根源的な、その正体についてだ。
「アルマとやら。どうしてアイシャの身体を乗っ取っている」
「汝を助けるため。動かせる身体がこれしかなかった」
シャイードは眉根を寄せた。
(身体を持たない種族? 死霊のたぐいか?)
この遺跡には墓地に該当する区画がある。
そこには死霊や、歩く死体などの魔物が徘徊しているので、この場に居たとしても不思議ではない。
死霊たちの特殊能力に憑依能力があるのは、よく知られている話だ。
次の質問を口にするために、シャイードは唾を飲み込む。
そののち、覚悟を決めて口を開いた。
「アイシャは無事なんだろうな。まさか、死ん……、死んだり……」
「心配は要らぬ。汝を――シャイードを助けるためと説明し、同意を得て身体を借りた」
答えを聞き、シャイードは息を吐いて肩の力を抜く。
(ただ不思議なのは……)
「先ほどから何度も口にしているが、アルマ。お前はなぜ俺を助ける?」
「それは汝が、我の主だからだ」
「なるほどそう……、ふぁっ!?」
シャイードは身を乗り出した。自分の顔を指で示す。
「お、俺がなんだって? あるじ……? なんだそれ、何かの間違いじゃ、」
「我は間違わぬ。間違うのは常にニンゲンだ」
人間であるアイシャが、アイシャの声音でそれを口にするのは、どことなく滑稽だった。
彼女は相変わらずの無表情だが――いや、だからこそ――そのちぐはぐさにシャイードは場違いにも小さく鼻で笑う。
「はは……、後者に関しては、全く同意だが」
シャイードに浮かぶ表情は、皮肉に満ちて、高慢で傲慢な、逆説的に人間らしさがあった。
アルマはそんなシャイードの笑いを理解しかねたのか、ただじっと見つめてくる。
そして再び口を開いた。
「汝は、我が主である証を持っている」
「俺が……?」
そこまで聞いた時、理解が電撃となってシャイードの脳裏を走り抜けた。
片膝立ちの姿勢になる。
「そうか……、そうだったのか……」
顔を伏せる。マントの下で胸に手を当て、布地の内側に隠された硬い感触を握りしめた。
それから顔を上げ、目の前の少女を見つめた。
「アルマ! お前が、師匠の……サレムの遺産なんだな?」
アルマは仁王立ちで、重々しく頷く。
「サレムは我の主であった。今は汝が主である」
(見つけた! ついに見つけた! 師匠が自分に託したかったものを!)
シャイードは高揚した。2年間の苦労は、無駄ではなかった。ついに今日、報われたのだ。
そしてすぐに冷静になる。
「でもこれは一体……」
戸惑う。
アイシャの身体を乗っ取ったアルマという存在を前にして、新たな疑問が生まれただけだ。
死ぬ間際に師匠が言い残した、「未来を開け」という言葉。
自分の未来と、このアルマとやらがどう関係してくるのか。
「アルマ。サレムは俺に何をさせたいんだ。お前、何か聞いてないのか」
アルマは重々しくまぶたを閉じた。
「どう言えば伝わるのであろうな……」
言葉が……、とか、翻訳がおかしい? とか、小さく呟いている。
シャイードはその間に立ち上がる。
一歩近づいたとき、アルマが目を開いた。
「問題は小分けにしろ、と賢者は言う。シャイード、汝の問題を小分けにするのだ。共に一つずつ粉砕しよう」




