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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第四部 死の軍勢
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帝国の受難

 議場は途端にざわめきに包まれた。

 ロレンソはアロケル川の本流がサーペンタ海に注ぐ河口にある町だ。内海の港町ほど交易が盛んではないが、サーペンタ海は内海よりも豊かで海産物に恵まれている。

 今回襲撃を受けたパタウはそのさらに東の海沿いにあり、ロレンソとの間には、フスフィック山脈から流れ落ちる白雪川が三角州を形成する豊かな農地もあった。


「どういうことか! 東の辺境は、イヴァリス殿が哨戒任務に当たっていたはずだぞ!?」


 守護の将グラドノフの当然の疑問に、伝令は萎縮する。雷のような大声だったからだ。


「はっ! イヴァリス将軍の隊については、情報が錯綜しております。ファルディアの進入に先立ち、軍を移動した様子ですが、原因は分かっておりません」

「イヴァリスのことだ、何か緊急に対処しなくてはいけない事態が発生したのかもしれない」


 レムルスが椅子に腰掛けながら助け船を出す。


「ファルディアは、イヴァリス殿が移動した隙を突いた、ということですかな?」

「だとすればゆゆしき事態だ。我らの知らぬ味方の動きを、敵方が知っていたことになる」


 議場は浮き足だった。隣の者と交わす言葉が、サワサワとした雑音となって満ちた。

 レムルスは目を閉じ、しばし眉根を寄せていたが、やがて顔を上げた。


「なんにせよ、イヴァリスは落ち着いたら伝令を寄越すだろう。それより、余はファルディアの軍勢の規模が知りたい」

「はい、陛下。報告では七千は下らないとのことです」

「七千か……多いな。しかも全て騎兵なのだろう?」

「ファルディアですので……。抵抗なしとみれば、さらに増えるかも知れません」

「収穫期の小麦が狙いでしょうか?」


 文官が額を揉みながら疑問を挟む。


「そうだとすれば、予測してしかるべきであった。ファルディアはこのところ大人しくしていたから」

「イヴァリス将軍を辺境に置いてから、やつらも下手に動けなかったのでしょう」

「いかがいたしますか、陛下」


 武官の一人が尋ねる。レムルスは椅子の肘置きを握りしめながら眉根を寄せた。


「無論、捨て置けぬ。すぐに派兵せよ。ファルディアの弓騎兵に対抗するには、魔銃兵がいいだろう。それと工兵と重装歩兵を。ロレンソの兵力と合わせて、白雪川の手前でファルディアを足止めするのだ。その間にイヴァリスと連絡をつけ、ファルディアを挟撃する」

「ザルツルードの封鎖解除に、魔銃兵を割かなくて正解でしたな」


 グラドノフが息を吐き出しながら顎を引いた。腕は組んだままだ。


「うむ。海の火という切り札があるゆえ、魔銃兵という切り札までは必要ないとエルデンに助言された。代わりに弓兵は多めに振り分けたが」

「となると、陛下。西の湿地帯はどうします? 南のみならず、東にまで派兵するとなると、西に回す兵が十分に確保できません。余剰兵力は騎兵ですが、湿地帯では力を発揮できないでしょう。当然、王都の守りも必要です」

「それは……」

「敵が死霊となると、対処できる部隊は限られますね。そのうえ、中途半端に兵を送れば、却って被害が大きくなりませんか?」


 文官からの指摘ももっともだ。帝国の戦術の基本は、先代の時代から正攻法――つまり、圧倒的戦力で相手をねじ伏せることにある。それが最も味方に被害が少なく、敵の士気をくじき、短気に戦を終結させるコツだ。大軍派兵で難しいのは兵站だったが、その分野で天才的な才能をもつ将も抱えていた。


「死霊相手に一番たよりになるのはヨル神殿の骸狩り神官だが、彼らは今、地下坑道にある裂け目を監視している。アルマが言うには、裂け目は応急処置で閉じてある状態で、いつまた冥界と繋がらぬともわからぬらしい」

「ではうかつに動かせませんね……。ヨル神官がいなくなり、もしも死霊が地下から湧き出せば、首都は大混乱に陥ります」


 議場は沈黙に包まれた。

 この流れを、一番危惧したのはイールグンドだ。


「西にも人間たちが住んでいる。派兵はしてくれるのだろう?」

「……もちろん、そうしたいが……」


 レムルスが苦しげに答える。


「首都の守りなど、この際、後回しでも良いのではないか?」

「馬鹿を言うな! その隙を別の誰かに突かれたら、ここをどう守ればいいのだ!?」


 エルフの提案に、武官が噛みつく。


「別の誰か……?」

「例えば、お前達エルフだとか!」


 この言葉には流石のイールグンドも面食らった。


「馬鹿げている」彼は首を振りながら、大きなため息をつく。「我らが人間たちの都を占領して、得るものなど一つもない」

「一つだけあるよ、イールグンド」


 と、隣からキールスが口を挟んだ。今度は共通語だ。イールグンドは怪訝な顔をして相棒を振り返る。


「憎悪だよ」


 キールスは皮肉めいて笑った。彼はひらりと片手を振る。


「もっとも、半分くらいは既に得てしまっているのかな? 僕たちはただ、関わりたくないだけだというのに」

「キールス!」


 イールグンドは、使者らしからぬ彼の態度をたしなめた。加えて、キールスらしくもない、と思う。いつも、暴走するのはイールグンドで、それをキールスがなだめる役なのに。

 外に出てからのキールスは、ずっとピリピリしていた。



「なんか、雰囲気悪ぃな……」


 シャイードは人間たちの問題にはなるべく干渉したくない。そのため、ビヨンドの関わる問題以外には口を出さずにいた。

 しかし、レムルスが時折辛そうにするのは、どうしてか見ていられなかった。

 隣のアルマにだけ伝わるように身を寄せ、声を潜めて呟く。これに対しアルマは「そうか?」と、常と変わらぬ様子で答えた。先ほどから手の中で、ぬいぐるみを揉みしだいている。


「我は少し退屈してきたところだ。シャイード、すぐ湿地帯に向けて出発するぞ」

「異論はないが……、俺たちだけでは死霊の群れから多数の住民を守ることは不可能だ」

「その必要はなかろう? 我らは根源を絶ちきることだけ考えれば良い」

「その間にも、犠牲者が多数出るかもしれないぞ」


 この言葉に、アルマはシャイードを振り返った。


「それが何か? ビヨンドとはそういうものであろう、シャイード」

「それは……」


 今度はアルマの方が、シャイードに身を寄せた。


「汝が気にすることではない。全てを守ろうなどと、傲慢の極み。今まで通り、汝は汝のすべきことをなせば良いのだ。それ以外は、生きるも死ぬもニンゲンたちの問題だ」

「……」

「汝、変だぞ。シャイード。些末な問題に囚われて、本質を見失ってはならぬ」


 シャイードは沈黙の後、ため息をついた。


「お前が正しいんだろうな、きっと」

「そうだ。我は正しい。もしも汝が少しでも犠牲者を減らしたいのならなおのこと、すぐにでも出発するべきである」


 二人がひそひそと話す間にも、議論は白熱していた。西に派兵するという話はすっかり消えてしまい、シャイードの隣に座るエルフは苦悩を浮かべていた。


 やがて、議論は一つの結論にたどり着く。

 レムルスは改めて、エルフたちに向き直った。


「そなたたちも聞いていた通りだが、改めて結論を伝えよう。西には残念ながら、即座に軍勢を派遣することは出来ない。代わりに、とりいそぎ湿地帯周辺の村落に伝令を走らせ、旧都グレゴへと住民を集める。旧都なら城壁が堅牢だ。湿地帯との間にはアロケルもある。死霊に肉体があるのなら、橋さえ封鎖すれば容易く進入することはできまい。一方、東へ向かう軍勢には重装騎兵も加え、余みずからが指揮をとる。状況に即応するためだ。イヴァリスを呼び戻し、協力して早期にファルディアを撃退して戻る。それまでの間、そなたたちエルフの軍勢で、なんとか湿地帯の死霊を抑えて欲しい」


 これを聞いたイールグンドは、すぐに返事が出来なかった。

 彼らの議論をずっと聞いていたので、それが皇帝に選べる最善の手なのだとは理解できる。

 しかし、イールグンドには、王都の守りよりも湿地帯を優先すべきだと思われ、どうしても納得がいかなかった。

 俯いたまま、何度か右手で握り拳を作っては開き、やっとのこと顔を上げる。


「……わかり、ました。長老会議を説得できるよう、できる限りのことはいたしましょう」


 彼はそう言うのが精一杯だった。


「俺たちも一緒に行く」


 シャイードがそのタイミングで立ち上がった。自らの胸を、親指で示す。


「俺とアルマで、何とかして原因を断ちきってくる。こっちは心配すんな、レムルス」


 暗かったレムルスの表情に、僅かな光が射した。けれど彼は、すぐにその表情を厳しいものに変えてしまう。


「任せたぞ。シャイード、アルマ」

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