”猫ちゃん”
エルデンから得た情報を元に、直ちに軍議が招集された。
川船ごと押収した”海の火”は、エルデンの自発的な申し出により、浄火教徒が内海に面する都市オウンノへと運んでゆく。彼らは古文書から、この海戦兵器の取り扱いについても学んでいた。
帝国の海軍兵力はヴェントスに主力艦船があるが、時を合わせて東へと出港し、オウンノにて川船と合流。物資と兵員を積み替えたのちに、ザルツルードへ向かう。
軍議の翌日を準備に当て、そのさらに翌日に、編成された兵と共に川船の列が南へと向かった。
「お父様がご存命のころは、戦争に行く兵士たちを華々しく送り出しておりましたわね」
王宮の尖塔から東の空を眺めつつ、ユリアが言った。ここからは見えないが、帝都の東から、緩やかに蛇行しつつ南下するアロケルの支流の一つに、川船が連なっていることだろう。
レムルスは頷く。
「でもこれは戦争じゃないから」
「まだね」
「………。戦争になると思う? ユリア」
ユリアは沈黙した後、首を振った。
「わかりませんわ。穏便にすめば、一番いいのですけれど」
「大丈夫だよね……? そのために、充分な戦力を振り分けたし」
「敵のかたに、戦わないで諦めていただくために、ですわね」
「うまくいくといいんだけど」
一人で二人分の会話をする皇帝を、護衛官のクィッドが傍で見守っている。その表情は穏やかだ。
レムルスはユリアとの会話を、基本的に人前では行わない。必ずと言っていいほど、変な目で見られるからだ。
けれどクィッドは例外だ。彼はレムルスのどんな欠点も、何も言わずに受け止めてくれる。
ユリアな気分のレムルスに対しては、レディとして接してくれた。おしゃれを手伝い、町へ抜け出す時は護衛をし、わがままに根気よくつきあってくれる。
レムルスが心を許せる、数少ない理解者なのだ。
「あら? あれは……」
尖塔の窓からユリアは顔を突き出した。つま先立ちした両足が震えている。途端にクィッドが慌てた。
「陛下、そう身を乗り出されては危のうございます」
「顔を出しただけでは、どうやったって落ちませんわよ? それよりも、ねえ、クィッド。あそこを歩いてくるの、シャイードじゃありません?」
ユリアの声は弾んでいた。見れば確かに、前後を近衛兵に固められつつ、中庭を歩いてくる。三角帽子の魔術師も一緒だ。クィッドはやや表情を曇らせた。
「そのようです」
「ですわよね! 遊びに来て下さったのかしら」
「違うよ、ユリア。地下の穴の件を、報告に来てくれたんだ」
地下墓所の騒動が片付いたことと、はぐれた兵が無事に救出されたことは、事件の翌日に兵舎とヨル神殿から正式に報告があった。
しかし、シャイードたちに依頼した原因究明の方はまだだ。
魔術の将ラザロ=ハザードから、「旧坑道内に大穴があった」という手紙だけが先に届いていた。詳細は、シャイードたちが説明するだろうと書かれていたが……
「ラザロ=ハザードは来ないのかな?」
「ラザロともお話ししてみたかったですわね。さ、早く行きましょう、レムルス! シャイードをお待たせしたくありませんわ」
「う、うん……」
階段を振り返るユリアに対し、レムルスは窓枠つかんで抵抗した。
ユリアは、シャイードに会えることを喜んでいる。
一方、レムルスは少し怖かった。自分を嫌いかも知れない人と、同席するのは。
当たり前だが、ユリアはその気持ちをすぐに見透かした。
「もうっ! また心にいじけ虫が発生しておりますわよ、レムルス」
「だって、ユリア……」
「だってじゃありません。いいですわ。あなたが会いたくないのなら、わたくしが一人で会います」
「えっ、でも、報告を受けるのは皇帝の仕事で……」
「そちらもわたくしが代行してさしあげますから、ご心配なく。あなたは指をくわえて見ていらっしゃれば」
ユリアはつんとして顔を上げた。クィッドに片手を差し出す。
護衛官はその小さな手を、無骨な手で精一杯恭しく持ち上げた。
「クィッド。わたくしのドレスを用意して下さいな。それと、髪の毛をかわいくして」
「……はい、陛下」
クィッドは何とも複雑な表情で、けれども従順に返事をした。
◇
シャイードとアルマは、皇帝の私室の隣室に通されていた。いつの間にか顔パスになっている。
「こんなにぬるい警備で大丈夫か……?」
ソファに腰掛けたシャイードは、眉根を寄せて扉を見つめた。隣のアルマに「暴れるつもりなのか?」と真顔で尋ねられる。
アルマは両手でぬいぐるみを持っていた。
三角の耳が生えた俵型の頭に、胴体、手足、尻尾がついた二頭身のぬいぐるみだ。両目は丸ボタンで、大きさも色も不揃い。口は顔を半周するほどの弧に、無数の短い縦線が交わったものだ。縫い目は不器用で、手足の長さもバラバラ。体色は汚れた薄緑色。全体の印象として、可愛らしさと不気味さが喧嘩している。
アルマは話しながら、ぬいぐるみの片手をぴこぴこと動かしていた。
シャイードはぬいぐるみの頭にチョップを食らわせた。
「んなつもりはねーけど! 武器だって置いてきてるし」
「フォスは連れておるがな」
「フォスは武器じゃねえから」
光精霊は、喚ばれたと勘違いして、マントの裾から覗く。シャイードは無意識に指でつついた。フォスは構ってもらい、嬉しそうに指に絡みついてくる。
アルマはぬいぐるみを右手に持ち直し、左手で一口サイズのケーキをつまんだ。
シャイードは唇をとがらせる。
「陛下のご友人、だって。友達になった覚えはねーっつーの」
「そう言われたとき、まんざらでもなさそうだったが」
「誰がだよ!」
「汝以外に誰がいるというのだ」
ぬいぐるみの腕が、びしりとシャイードを示す。シャイードは人差し指と中指でV字をつくり、ぬいぐるみに目つぶしをくらわせた。
「レムルスの奴、外堀から埋めようとしてるんじゃねーだろうな……」
「そんなことより、このケーキはなかなかの情報量だぞ。うむ。細かく刻んだナッツとフルーツが沢山入っておるのだな」
アルマはテーブルに用意されていた三段のケーキスタンドから、小さなケーキを次々口に放り込んでいる。
「お前、ほんと自由だよな……」
シャイードは鼻を鳴らし、頭の後ろで手を組んでソファに身を預けた。
地下墓所の騒動のあと、疲れたラザロを送るふりをして再び屋敷に入り込んだシャイードとアルマは、彼の寝ている間に勝手に内部を捜索した。
本は貴重なものだが、そこは魔術の将。個人が所有するには多すぎる数の本が屋敷にはあった。魔導書も多い。
しかし結局、ビヨンドの記載がある本どころか、死霊術の本すら見つからなかった。
「死霊術は禁呪であるから、簡単に見つかるところには置かぬだろう」とアルマは言ったが、それならばビヨンドの本だって隠されているはずだ。
なんとしても見つけ出すと意気込んだシャイードだったが、捜索半ばで本に埋もれて眠ってしまった。地下探索の疲れが出たのだ。
アルマは眠らずに情報を喰っていたが、シャイードが目を覚ましたときに、無言で首を横に振った。
「満足したかね?」と、ラザロが戸口に現れて言った。彼はあくびをして、積み上がった本を避けながら二人に近づいた。
「捜索させてやった代償に、大穴の報告は貴様たちがしてこい」
そう命じて、アルマに不気味なぬいぐるみを放って寄越した。
「その猫ちゃんを持っていけ。吾輩も見て聞いている」
「猫ちゃん?」
シャイードが怪訝そうにぬいぐるみを見遣る。
「猫……?」
アルマは受け止めたぬいぐるみを、上下左右から検分したのちに首を傾げた。
「我の知っている猫とは違」
「ね・こ・ちゃ・ん・だ!」
ラザロは歯をむき出して言い張った。
それが今、アルマの手にある。これは初歩の人形術らしく、やろうと思えば自在に動かすことも出来るそうだが、疲れるからとアルマに運ばせている。
ラザロは自分が皇帝に報告するのが面倒で、視覚と聴覚を預けたのだ。
どこまでも省エネで生きたいのが、ラザロという男らしい。
ノックの音がして、扉が開いた。その音で、フォスはマントの内側に引っ込む。
クィッドを従えて現れたのはユリアだ。以前とはデザインの違う、紺色のドレスを身に纏っている。ユリアの淡い金髪と白い肌には、その色が良く映えた。
ドレスは膝下丈のため、両脚には白いタイツをはいている。
ユリアは服の裾をつまみ、腰を落とした。
「ごきげんよう、シャイード。アルマ」
「ユリアか。レムルスはどうした?」
途端にユリアは、頬をぷくっと膨らませる。
「もうっ! わたくしの顔を見る度に、弟のことを聞くのはやめてくださらない? こんなに愛くるしいわたくしがやってきたのですから、あなたはまず喜ぶところから始めるべきですわ」
「お……おう……?」
「嬉しいのだ」
アルマが棒読みで言い、猫のぬいぐるみにバンザイポーズを取らせた。




