尋問
皇帝の執務室には、レムルスその人と直属護衛官のクィッドの他に、宰相のナナウスと見知らぬ男がいた。男は諜報の長ソノスだと自称したが、本人なのか代理人なのか不明だ。またしてもレムルスは男に見覚えがなく、中肉中背の中年という他はこれといった特徴がない。
執務室はそれほど広くはない。四十平米ほどの正方形の部屋で、一番大きな家具はレムルスが座す執務机だ。背後は壁で、そこには帝国旗が掲げられている。壁の左右は王宮の中庭に面した大きな窓になっており、自然光が室内に射し込んでいた。
床は磨き上げられた大理石で、中央に毛足の長いフロスティア産の絨毯が敷かれている。
部屋の左右の壁ぞいに、書棚が幾つかとソファがあった。
ナナウスは執務机の脇に置かれた木製の椅子に、扉方向を向いて腰掛けていたが、文官が客人の到着を告げると、おもむろに立ち上がった。
クィッドは、眼光鋭くきまじめないつもの様子で、レムルスの傍に控えている。室内で、明確に武装しているのは彼だけだ。
ソノスはソファに前屈みで座り、組んだ両手の指を弾ませていた。
正面の両開き扉が、廊下側に立つ近衛兵によって開かれる。深緋色のローブを身につけた男が、袖口に入れた両手を高く掲げ、頭を下げて入室した。フードは背中に下ろされており、禿頭が露わになっている。胸からは炎の意匠に囲まれた輪型の聖印を下げていた。
「来たか、エルデン。顔を上げ、中央まで進みなさい」
ナナウスの言葉に従い、「はっ」と短い返答を吐き出して、エルデンはその通りにした。
足を止め、再び一礼する。
「皇帝陛下におかれましては、ご機嫌麗しゅう」
「うむ。足労、大儀であった」
「ありがたいお言葉、いたみいります。このエルデン、陛下のお召しとあらば、地の果てからでも喜んではせ参じましょう」
エルデンはなめらかに回る舌で述べ、顔を上げた。すぐに顔を固定したまま瞳を動かして、室内にいる他の男たちを観察する。
視線はソノスのところに一番長く留まったが、少年皇帝の元に戻った。
エルデンはこの会見について、スティグマータから引き継ぐ弔いの仕事についてだろうと予想していた。
宰相の部下から既に詳細な説明を受けてはいたが、現地を視察しようとした矢先に、地下墓所から魔物が湧き出すという事件が発生した。
昨日のことだ。
今日、このような喚び出しを受けるということは、事態に何らかの変化があったと思われる。そのように心づもりしてきたのだ。
しかし、左手側のソファに座る男には見覚えがない。彼はどういった関係者だろうか、と考え始めた時、皇帝が口を開いた。
「そなたを召喚したのは他でもない。……これについて、説明を求めるためだ」
皇帝はそう言って、机の上に汚れた酒瓶を置いた。
随分と年代物だ。ラベルはすり切れ、湿気で黴びたり滲んだりして汚れている。文字は、かつてはあったのだろうが、今は何も読み取れない。
瓶自体も、白っぽく濁っている。中には液体が入っているが、遠目には色までは分からない。
それでも、エルデンにはその瓶の正体が一目で分かった。
ただでさえ大きな目が見開かれる。うっかり眼窩からこぼれ落ちそうなほど。それは彼の驚愕の深さを表していた。
「なぜ……」
カラカラになった喉から、無意識に言葉が零れ、彼は失態を悟った。すぐに唇を閉じ、唾を飲み込む。
「なぜ、私めに説明を求めるのです?」
エルデンは一瞬で態勢を立て直し、自らの失言を回収する。
「そなたなら、答えられると思ったからだ。違うか?」
少年皇帝は、大きな瞳でエルデンをじっと見つめた。
「わ……」
「言うまでもないことですが、陛下の前で偽証を行えば大変な罪になります。よもやないとは思いますが、念のため、お知らせしておきます」
答えようとした矢先、宰相から釘を刺された。エルデンの目蓋がぴくぴくと震える。彼はたまらず、顔を伏せてごまかした。
「勿論でございます。私めは浄火神のしもべ。世にはびこる偽りを正すことも、我らが神の正義であります」
「よかった」
レムルスはあどけない様子で笑った。
「では教えてくれ。このような危ないものを、そなたたちは何の目的で所持していたのか?」
レムルスの何気ない言葉に、エルデンはたじろぐ。たった一言に、複数の意味が含まれていた。
まず、彼らは瓶の正体を知っているということ。
さらには瓶の所有者が、エルデンたちであることを知っているということだ。
エルデンの頭は今、巨大な計算機と化していた。彼は浄火教のトップではないが、幹部の一人であり、帝都における布教の責任者である。帝国に深く根ざすという目的を、今まさに推進しているところだ。
今般の疫病騒ぎでは、人々の不安に乗じ、信徒を増やすことに成功した。あとは皇帝の信任を得て、神殿の建立がなれば、帝都での浄火教の地位は盤石となる。さすれば、帝国内に信者を獲得することもより容易くなるだろう。
浄火教徒は今、多方面での活動を活性化させている。各地に現れた兆候から、神の降臨が近いと目されているからだ。
活動費をまかなうため、時には非合法な取引にも手を出した。目の前にある”海の火”はそのうちの一つだ。
エルデン自身は、正義をなすためのやむを得ぬ小悪だと思っている。どのみち、神が降臨されれば、悪はことごとく炎によって粛清されるのだから同じ事だ。
エルデンは覚悟を決め、腹の中の息を吐き出し、大きく吸い込んだ。
「ご賢察の通り、それは我らのものでした」
「でした?」
レムルスは怪訝そうに繰り返す。エルデンは頷いた。
「はい。見いだしたのは確かに我々です」
「自らが使うために所持していたのではない、と?」
「それは誓って」
エルデンは両手の親指と人差し指で一つの輪を作った。
浄火神を讃える仕草なのだろう。これは嘘ではなさそうだ、とレムルスは小さく頷く。
「幸いにもこの帝都におきまして、我が教義は多くの市民の共振を得ることができました。浄火神に讃えあれ! ――畏れ多くも陛下のお慈悲も賜り、神殿の建立という宿願に向かって、一歩を踏み出したところであります。しかし組織が大きくなれば、その維持には金銭も必要になります。我らは清貧を良しとする徒ではございますが、新たな信徒にはもとより貧しい者も多く」
「つまり、活動資金を得るために売り払ったのか」
長くなりそうな話を、レムルスがまとめた。エルデンは言葉を飲み込み、「はい」と簡潔に答える。
「どのように入手したのだ?」
「この付近の小さな遺跡からです。教団が収集した古文書を手がかりに」
レムルスは無言でナナウスを見遣った。宰相は視線に気づき、小さく頷く。あり得る話だと判断したようだ。
レムルスは神の信徒に視線を戻した。
「初めから金銭に換える目的で、遺跡から引き上げたのか?」
「……。我らの神は炎神の一面があります。この兵器については伝説こそあれ、製法については謎が多く、我らの神の加護を受けたものである可能性がありましたので」
「なんと。そうだったのか?」
レムルスは手元の小瓶に視線を落とした。
「いえ、違いました」
エルデンは残念そうに首を振った。
「発見された瓶からは、浄火神の恩寵は読み取れませんでした。それゆえ、我らには不要のものになったのです。ところが、どこからか噂を聞きつけた者がおり、まとめて譲って欲しいと頼まれ……」
「後ろ暗い取引ゆえに、運搬に下水道を使ったのですな?」
突然左側から言葉を掛けられ、エルデンは驚いた。彼が入室してからというもの、置物のように静かだった中年男が、同じ姿勢のまま首だけを向けていた。
「ええ……、まあ。私はそちらの担当ではないので、詳しくは」
「荷物なら、我々が差し押さえましたよ? 南に向かう川船に積み終えたところでね?」
「!」
「おやおや? 本当にご存じなかったと見えますよ、陛下?」
「そうか」
レムルスはどこかほっとしたように答えた。
「それにしても、ですなぁ? そちらの信徒の皆様は実に立派ですね?」
ソノスが顎を撫でながら続ける。この男、外見には特徴がないが、話し方にかなり癖があった。やたらと語尾を上げた話し方なのだ。疑問形もそうでない言葉も全て疑問形に聞こえる。レムルスはようやく、以前の議会に出席していたソノスと同一人物なのだとわかった。
あのときも彼は、常に疑問形に聞こえるような喋り方だった。
「な、なにが……」
「とても口が堅くていらっしゃったんですよ? 残念なことにね?」
どこまでもにこやかに語られた言葉に、エルデンは背筋が冷えた。
「ま、まさか」
「なので、教えて下さいませんか、エルデンさん? あの兵器は、どなたに売却されたので?」
冴えない男は猫なで声で尋ねた。




