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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第四部 死の軍勢
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尋問

 皇帝の執務室には、レムルスその人と直属護衛官のクィッドの他に、宰相のナナウスと見知らぬ男がいた。男は諜報の長ソノスだと自称したが、本人なのか代理人なのか不明だ。またしてもレムルスは男に見覚えがなく、中肉中背の中年という他はこれといった特徴がない。


 執務室はそれほど広くはない。四十平米ほどの正方形の部屋で、一番大きな家具はレムルスが座す執務机だ。背後は壁で、そこには帝国旗が掲げられている。壁の左右は王宮の中庭に面した大きな窓になっており、自然光が室内に射し込んでいた。

 床は磨き上げられた大理石で、中央に毛足の長いフロスティア産の絨毯が敷かれている。

 部屋の左右の壁ぞいに、書棚が幾つかとソファがあった。


 ナナウスは執務机の脇に置かれた木製の椅子に、扉方向を向いて腰掛けていたが、文官が客人の到着を告げると、おもむろに立ち上がった。

 クィッドは、眼光鋭くきまじめないつもの様子で、レムルスの傍に控えている。室内で、明確に武装しているのは彼だけだ。

 ソノスはソファに前屈みで座り、組んだ両手の指を弾ませていた。


 正面の両開き扉が、廊下側に立つ近衛兵によって開かれる。深緋こきひ色のローブを身につけた男が、袖口に入れた両手を高く掲げ、頭を下げて入室した。フードは背中に下ろされており、禿頭が露わになっている。胸からは炎の意匠に囲まれた輪型の聖印を下げていた。


「来たか、エルデン。顔を上げ、中央まで進みなさい」


 ナナウスの言葉に従い、「はっ」と短い返答を吐き出して、エルデンはその通りにした。

 足を止め、再び一礼する。


「皇帝陛下におかれましては、ご機嫌麗しゅう」

「うむ。足労、大儀であった」

「ありがたいお言葉、いたみいります。このエルデン、陛下のお召しとあらば、地の果てからでも喜んではせ参じましょう」


 エルデンはなめらかに回る舌で述べ、顔を上げた。すぐに顔を固定したまま瞳を動かして、室内にいる他の男たちを観察する。

 視線はソノスのところに一番長く留まったが、少年皇帝の元に戻った。


 エルデンはこの会見について、スティグマータから引き継ぐ弔いの仕事についてだろうと予想していた。

 宰相の部下から既に詳細な説明を受けてはいたが、現地を視察しようとした矢先に、地下墓所から魔物が湧き出すという事件が発生した。

 昨日のことだ。

 今日、このような喚び出しを受けるということは、事態に何らかの変化があったと思われる。そのように心づもりしてきたのだ。

 しかし、左手側のソファに座る男には見覚えがない。彼はどういった関係者だろうか、と考え始めた時、皇帝が口を開いた。


「そなたを召喚したのは他でもない。……これについて、説明を求めるためだ」


 皇帝はそう言って、机の上に汚れた酒瓶を置いた。

 随分と年代物だ。ラベルはすり切れ、湿気で黴びたり滲んだりして汚れている。文字は、かつてはあったのだろうが、今は何も読み取れない。

 瓶自体も、白っぽく濁っている。中には液体が入っているが、遠目には色までは分からない。


 それでも、エルデンにはその瓶の正体が一目で分かった。

 ただでさえ大きな目が見開かれる。うっかり眼窩からこぼれ落ちそうなほど。それは彼の驚愕の深さを表していた。


「なぜ……」


 カラカラになった喉から、無意識に言葉が零れ、彼は失態を悟った。すぐに唇を閉じ、唾を飲み込む。


「なぜ、私めに説明を求めるのです?」


 エルデンは一瞬で態勢を立て直し、自らの失言を回収する。


「そなたなら、答えられると思ったからだ。違うか?」


 少年皇帝は、大きな瞳でエルデンをじっと見つめた。


「わ……」

「言うまでもないことですが、陛下の前で偽証を行えば大変な罪になります。よもやないとは思いますが、念のため、お知らせしておきます」


 答えようとした矢先、宰相から釘を刺された。エルデンの目蓋がぴくぴくと震える。彼はたまらず、顔を伏せてごまかした。


「勿論でございます。私めは浄火神のしもべ。世にはびこる偽りを正すことも、我らが神の正義であります」

「よかった」


 レムルスはあどけない様子で笑った。


「では教えてくれ。このような危ないもの(・・・・・)を、そなたたちは何の目的で所持していたのか?」


 レムルスの何気ない言葉に、エルデンはたじろぐ。たった一言に、複数の意味が含まれていた。


 まず、彼らは瓶の正体を知っているということ。

 さらには瓶の所有者が、エルデンたちであることを知っているということだ。


 エルデンの頭は今、巨大な計算機と化していた。彼は浄火教のトップではないが、幹部の一人であり、帝都における布教の責任者である。帝国に深く根ざすという目的を、今まさに推進しているところだ。

 今般の疫病騒ぎでは、人々の不安に乗じ、信徒を増やすことに成功した。あとは皇帝の信任を得て、神殿の建立がなれば、帝都での浄火教の地位は盤石となる。さすれば、帝国内に信者を獲得することもより容易くなるだろう。


 浄火教徒は今、多方面での活動を活性化させている。各地に現れた兆候から、神の降臨が近いと目されているからだ。

 活動費をまかなうため、時には非合法な取引にも手を出した。目の前にある”海の火”はそのうちの一つだ。


 エルデン自身は、正義をなすためのやむを得ぬ小悪だと思っている。どのみち、神が降臨されれば、悪はことごとく炎によって粛清されるのだから同じ事だ。

 エルデンは覚悟を決め、腹の中の息を吐き出し、大きく吸い込んだ。


「ご賢察の通り、それは我らのものでした」

「でした?」


 レムルスは怪訝そうに繰り返す。エルデンは頷いた。


「はい。見いだしたのは確かに我々です」

「自らが使うために所持していたのではない、と?」

「それは誓って」


 エルデンは両手の親指と人差し指で一つの輪を作った。

 浄火神を讃える仕草なのだろう。これは嘘ではなさそうだ、とレムルスは小さく頷く。


「幸いにもこの帝都におきまして、我が教義は多くの市民の共振を得ることができました。浄火神に讃えあれ! ――畏れ多くも陛下のお慈悲も賜り、神殿の建立という宿願に向かって、一歩を踏み出したところであります。しかし組織が大きくなれば、その維持には金銭も必要になります。我らは清貧を良しとするともがらではございますが、新たな信徒にはもとより貧しい者も多く」

「つまり、活動資金を得るために売り払ったのか」


 長くなりそうな話を、レムルスがまとめた。エルデンは言葉を飲み込み、「はい」と簡潔に答える。


「どのように入手したのだ?」

「この付近の小さな遺跡からです。教団が収集した古文書を手がかりに」


 レムルスは無言でナナウスを見遣った。宰相は視線に気づき、小さく頷く。あり得る話だと判断したようだ。

 レムルスは神の信徒に視線を戻した。


「初めから金銭に換える目的で、遺跡から引き上げたのか?」

「……。我らの神は炎神の一面があります。この兵器については伝説こそあれ、製法については謎が多く、我らの神の加護を受けたものである可能性がありましたので」

「なんと。そうだったのか?」


 レムルスは手元の小瓶に視線を落とした。


「いえ、違いました」


 エルデンは残念そうに首を振った。


「発見された瓶からは、浄火神の恩寵は読み取れませんでした。それゆえ、我らには不要のものになったのです。ところが、どこからか噂を聞きつけた者がおり、まとめて譲って欲しいと頼まれ……」

「後ろ暗い取引ゆえに、運搬に下水道を使ったのですな?」


 突然左側から言葉を掛けられ、エルデンは驚いた。彼が入室してからというもの、置物のように静かだった中年男が、同じ姿勢のまま首だけを向けていた。


「ええ……、まあ。私はそちらの担当ではないので、詳しくは」

「荷物なら、我々が差し押さえましたよ? 南に向かう川船に積み終えたところでね?」

「!」

「おやおや? 本当にご存じなかったと見えますよ、陛下?」

「そうか」


 レムルスはどこかほっとしたように答えた。


「それにしても、ですなぁ? そちらの信徒の皆様は実に立派ですね?」


 ソノスが顎を撫でながら続ける。この男、外見には特徴がないが、話し方にかなり癖があった。やたらと語尾を上げた話し方なのだ。疑問形もそうでない言葉も全て疑問形に聞こえる。レムルスはようやく、以前の議会に出席していたソノスと同一人物なのだとわかった。

 あのときも彼は、常に疑問形に聞こえるような喋り方だった。


「な、なにが……」

「とても口が堅くていらっしゃったんですよ? 残念なことにね?」


 どこまでもにこやかに語られた言葉に、エルデンは背筋が冷えた。


「ま、まさか」

「なので、教えて下さいませんか、エルデンさん? あの兵器は、どなたに売却されたので?」


 冴えない男は猫なで声で尋ねた。

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