停滞
薬湯に息を吹きかけ、ラザロはゆっくりと飲み干す。冷えてこわばった身体が、内側からじんわりとほぐされていった。
目を閉じ、深く息を吐く。両手で包み込んだカップからも、冷たい指先に熱がしみた。
乾いた地べたに背を丸めて座ったまま、二人組をそれとなく観察する。さきほどから、彼らはひそひそと話をしていた。何を話しているかまでは聞こえない。
(一体、どういう二人組なんだ? さっぱりわからんな)
今も、白い湯気越しに、シャイードがアルマの手を叩くのが見えた。
(一つわかるのは……)
ラザロはまた一口、薬湯を飲んだ。美味しくはない。青臭く、とことん苦い代物だ。
だが肉体的な疲労も精神的な疲労も回復できる。効能としてうたわれていないが、これを飲むと頭もすっきりする気がしていた。
(……どちらも人間ではなさそうだ、ということか)
死霊術師であるラザロには、霊体が見える。
そもそも彼は、生まれつき霊体が見える体質ゆえに、なるべくして死霊術師になったともいえた。
その延長でか、生きている人間の周りにも、霊魂と魔力と生命エネルギーがまじりあったもの――いわゆる霊気――が、色として見える。同じ人間でも、その時の本人の状態によって、色も光の強さも範囲も幾分変動する。
しかし、アルマとかいう魔術師には色がない。帯びている魔力は肌で感じる。強力な魔術師――本人は否定していたが――だと思う。だが、色がまるで見えないのだ。
もっとも、魔術師の中には、魔力を隠蔽できる者もいるので、これは確実ではない。なんらかの隠蔽を行っている可能性があるからだ。色を偽る理由を、ラザロは咄嗟に考えつかなかったが。
だがあの小柄な方は、ほぼ確実に人間ではないだろう。
聖滅は確かに、呪いを受けている人間に劇的な反応を引き起こす場合がある。ヨル神官たちが納得したのも当然だ。
しかしラザロはそれ以前に、小柄で生意気な少年に違和感を覚えていた。普通の人間とは、身体を取り巻く霊気の大きさと強さが全然違う。まさしく桁違いというレベルだ。体内に包有するエネルギーの量が違いすぎるのだろう。
(こんな光を持つのは、あの方だけだと思っていた)
ラザロは以前から知るとある人物を思い浮かべた。会話を交わした回数こそ少ないが、複雑な自分を理解し、支援をしてくれた非常に貴重な相手だ。
(あの方だけが特別なのかと思っていたが、違うのか。どういうことだ?)
ラザロはいらだたしげにカップを呷った。喉奥を滑り落ちる液体が、もやもやする気持ちを静めてくれる。
(だが……、少なくとも二人とも死霊ではなさそうだからな。なんであろうが、吾輩には関係ない、か)
(………)
(しかし、彼らの出現と、冥界の門の出現。果たしてこれは、偶然か? そうでないのなら、もしかしたら吾輩は千載一遇の)
「そろそろ行こうぜ」
不意に至近距離の頭上から声を掛けられ、ラザロの心臓は飛び跳ねた。カップが空でなければ、中身をぶちまけてしまっていただろう。思考に深く潜りすぎてしまっていたようだ。
「すぐに片付ける」
何とか頷き、広げていたものを鞄に詰め始めた。
◇
議会は膠着していた。
円卓についた十一人の議員は、ほとんどが塩に関わる商人たちだ。合議制と言えば聞こえはいいが、ここザルツルードでは金を持つ者が正義である。
それぞれが難しい顔をしていた。腕組みをして天井を睨んでいる者もいれば、頭を抱えこんでいる者もいる。貧乏揺すりが止まらなくなっている者もいた。落ち着いている者は少数だ。
現状からは想像もつかないが、当初は活発な議論がなされていた。今は風が止み、海の真ん中で往生する船のように静かだ。
(或いは、既に難破船なのかも)
議員たちの手元に新しいお茶を供給しながら、ギルド職員のマイルズは息を吐き出した。
港の沖合に艦隊が姿を見せてから、既に丸二日が経過していた。
初日は大混乱だった。出て行く船、戻ってきた船が、ことごとく拿捕され、積み荷を奪われたからだ。
抵抗を試みた船は撃沈された。大人しく従った船は、乗組員だけが無傷で港に帰された。船はマストを折られて航行不能にされてしまったのだ。
「海賊どもは、帝国によって壊滅させられたはずじゃなかったのか」
誰かが、本日何度目かの愚痴を口にした。
「だから、海賊船ではないよ、アレは。どこかの軍船だろう」
「解放された乗組員の話では……」
「いやしかし」
「彼らの目的は……」
静かだった会議場に、言葉が戻ってくる。けれど、その言葉は一つにまとまるでもなく、ただ入り乱れ、吹き溜まって澱んでいくばかりだ。
(風が吹いても、船が前に進まない。……やっぱり、難破船だ、もう)
隅に控えたマイルズは眉尻を下げた。彼の仕事は、議員たちが心地よく会議を続けられるよう取りはからうことだ。
しかしこうなってしまうと、茶を淹れてもあまり効果は期待できない。議員たちも本心では、不毛な会議に区切りをつけて、家に帰りたいところだろう。
だが事態がいつ急変するかわからない状況で、家に帰ると言い出せずにいた。
たった一つの空席を、ぼんやり見つめている議員もいる。こんな時に病に掛かるとは羨ましい、とでも思っているのかも知れない。
(いい茶葉だったんだけど。手をつけられぬまま、冷めていくのを見るのは寂しいな)
「いっそ、町に攻撃を仕掛けてくれればいいのに」
神経質そうな議員が、モノクルをかけ直しながら呟く。何人かが同調して頷いた。
「大型弩砲の射程にさえ入ってくれれば、返り討ちにも出来ようものだが」
「敵もその辺は、よくわかっているのでしょうな」
年長の議員が、白いあごひげをしごきながら答えた。
大型弩砲は、艦隊が敵対行為を行ってすぐに、狭間胸壁に設置された。今も自警団の兵士が交代で張り付いている。ストックされている矢数も充分だ。威力だけでもかなりのものだが、火矢ならなおいい。敵船の帆を燃やしてしまえばいいのだから簡単だ。
けれども射程内に近づいてくれなければ、ただの飾りにすぎない。包囲を解く役には、立ちそうになかった。
港湾に繋がる河川は、遡上できぬよう河口を大鎖で封鎖する対策が、既に実施されていた。
塩田は広大なため、全てを防衛することが難しい。そのため現在、塩の収穫をフル稼働で行っている。この町を狙う以上、目的は塩だろう。敵自らが、塩田から収穫してまで塩を持っていくとは考えづらいが、塩田そのものを破壊されるおそれはあった。その前に、できる限りの商品を安全なところに移しておきたい、というのが、この議会で真っ先に出た建設的な結論だ。
塩田には契約している傭兵団を呼び寄せて、警戒に当たらせていた。公称はしていないが、彼らの半分は元海賊だ。議会はそれを理解した上で雇っている。いざとなれば海戦も可能だろう。
問題はザルツルードの所有する船には、貨物船が多いということだ。大量に荷物を積み込める代わりに船足は遅く、戦艦と正面切って戦っても勝ち目はほとんどない。
ほとんど、というのには理由がある。船というハード面で負けていても、兵員というソフト面で覆せる場合はある。例えば魔法兵を揃えることが出来れば、海賊相手になら有利に立ち回ることが出来るだろう。
「帝国の艦隊が派遣されてくるまで、どれくらい掛かると言っていたかね?」
肉付きの良い議員が、卓の上で人差し指を跳ねさせて隣に問う。白髪の混じった豊かな髪を結い上げた厳格そうな女性議員が、手元のメモに目を落とした。
「風向き次第ですけど、艦隊の駐留するヴェントスからここまでは、概ね五日から七日ほどです。もっとも、兵が多ければ頻繁に補給が必要になるでしょうからね。帝国が正体不明の艦隊について情報収集を行ってから兵を編成するつもりなら、もっと掛かるかもしれない」
一同は沈黙した。
「つまり、現時点では封鎖解除の目星は全く立たない、と」
「それでもさすがに、二週間あれば、何とかなるのではないのかしら?」
「二週間か……」
立派な眉毛を持ったドワーフの議員が、額に掌を数度あてて唸った。計算機の異名を取る彼の頭の中では、その間、港湾を使用できないことによる損害について、めまぐるしく計算が行われている。
「奴ら、助けを送らないつもりじゃないか?」
円卓の真向かい座る困り顔の議員の疑念に、女性議員が首を振った。
「それは考えられません。いえ、帝国は約束を守るだろう、などという楽観的な話ではなく。彼らには塩が必要でしょうし、ご存じの通り、帝国の海岸地方は雨が多くて、大規模な塩田など作れませんから」
何人かの議員が同調する。
「まあまあ。こうなったらのんびり構えましょう」
一番年若い議員が、笑顔でみなに呼びかける。彼は徹頭徹尾、落ち着いていた。
(僕と余り年齢は変わらないようなのに。随分と肝が据わっているんだな)
マイルズは感心して、その糸目の議員を見返した。お茶も、温かい内に飲んでくれている。
息をついた直後、マイルズは廊下が騒がしいことに気づいた。近くにいた何人かの議員も、背後を振り返っている。
「僕が見てきます」
マイルズは片手を挙げて、小走りに扉の前に移動して開き、外に出て行った。
出たと思ったらすぐに、マイルズは戻ってきた。
議員たちは、彼の姿を一度ちらりと確認したあと、二度見する。すぐ後ろに、見知らぬ男が寄り添っており、マイルズのこめかみに小型の装置が添えられていたからだ。
「た、たすけて……」
マイルズはおびえた瞳で、議員を見遣った。




