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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第四部 死の軍勢
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大穴

 フォスを従えて、シャイードはアルマの背を追う。


「!!」


 途端、前方から悪臭が漂ってきた。えた臭い。甘ったるい腐臭。かび臭さ。鼻を刺す刺激臭。硫黄の臭い。それらが渾然一体となった、何とも表現しがたい腐敗臭だ。

 シャイードは襟元の布を引っ張り上げて、鼻と口を覆った。

 アルマの隣に並ぶと、フォスの光に照らされて、先の地面が大きく陥没しているのが見えた。

 確かに、大穴だ。


「これも坑道なのか……?」


 もっと良く見ようと、シャイードは二、三歩、穴の方へ足を踏み出す。そこで急に背中を押された。


「うおっ!?」


 崩しそうになったバランスを、両手を振って足を踏ん張り、取り戻す。だがさらに押された。


「おい、アルマ! ふざけ……」


 振り返った目蓋が、驚愕に見開かれる。

 アルマは斜め後ろで目を閉じて立ち尽くしていた。上向けた掌を僅かに持ち上げ、詠唱準備に入っているようだ。シャイードを押したのは、彼我の間に忽然と現れたドワーフたちだ。


 眼窩が真っ黒な闇の穴になっている。どの顔も、何の表情も浮かべていない。身体は青白い半透明だ。それなのに、彼らがシャイードに触れると、彼は大穴の方に押された。

 シャイードはよろけながら、大穴を見遣る。酷い目眩がした。


(間違いない。――世界膜の破れ目!)


 ドワーフたちは群れになって、シャイードを取り囲んでいる。


「ふざ……けるなっ!!」


 シャイードは抜き身の流転の小剣(フラックス)を敵に向け、大きく水平に薙いだ。前方にいた二、三人のドワーフが霧散する。

 しかし、後ろのドワーフたちが一歩ずつ前に出ただけだ。


「アルマ!」


 アルマは空に向けて次々と印を結び、詠唱を始めていた。近くにいる幽鬼レイスは、彼を無視してシャイードの方に向かってきている。

 シャイードは舌打ちして、幽鬼への攻撃を続けた。剣の放つ青白い光が暗闇の中で踊る度、幽鬼が霧散する。だが死角にいた別の幽鬼に、右腕を掴まれた。


(寒い……!)


 幽鬼に触れられたところから、生命力が吸われる。それは骨身に染みる寒さとして感じられた。咄嗟に右足で幽鬼の膝裏を蹴りつけるが、通常なら相手を転倒させるほどの強打も、ただ幽鬼の身体をすり抜けただけだ。


「なっ……!」


 逆にシャイードは、酷くバランスを崩してしまう。そこに、幽鬼たちの腕が一斉に襲いかかってきた。


「そっちは触れるのに、ズリィぞ!」


 フォスがシャイードをかばうように前に躍り出る。シャイードは意図を汲んで目を瞑った。

 次の瞬間、フォスは閃光を放った。

 一瞬、世界は白と黒に染め上げられ、幽鬼の動きが止まる。

 だがそれだけだ。

 フォスの光は、幽鬼に何のダメージも与えることが出来なかった。彼らを僅かにひるませただけだ。


「くそっ!! 放せっ!!」


 剣を振るいたいが、腕をがっちりと掴まれてしまっていて、果たせない。

 穴のすぐ傍で、シャイードは多数の腕によって床に倒されてしまった。そのままずりずりと、穴に向けて押される。フォスがシャイードの脇にくっつき、押し戻そうとするが、まるで助けにはならない。


(まずい!!)


 アルマの詠唱は続いている。シャイードは穴の縁に指を立てて粘ったが、ついにフォスと共に大穴に向けて放り出されてしまった!


「うわああっ!!」


 悲鳴と共に落下する。闇には底が見えない。


(翼を……、いや駄目だ!)


 咄嗟に背から翼を出そうとして逡巡する。翼を出して穴から飛び出せば、ラザロに見られてしまう。

 突如、身につけていたマントを何者かに掴まれた。シャイードはUをひっくり返した姿勢で、空中にぶら下がる羽目になった。


「!?」


 何が起きたのか、すぐには思考が追いつかない。

 原因究明よりも先に、眼下の闇の底から良くない気配が上がってくるのを感じた。それはぶんぶんと鳴る低いうなりだ。無数のうなりが互いに干渉し合い、大きな渦となって、浮かび上がってくる。

 全身が総毛立つおぞましさだ。


 茫然自失の間にも、シャイードの身体は上昇を始めた。うなる指先が、逃がすものかと彼を追うなか、落ちた距離を巻き戻し、ついに穴の縁を越えた。さらに上へと浮遊していく。

 大穴の傍に立ち尽くし、シャイードを見上げてくるドワーフの幽鬼たちの姿、そして詠唱するアルマが見えた。


 フォスが目の前に飛んできて、シャイードはようやく我を取り戻した。背を振り返る。


 そこにも幽鬼がいた。


 シャイードは目を見開いて、鋭く息を吸い込んだ。

 格好から、ドワーフの鉱夫の一人だと思われるが、なぜシャイードを助けようとしているのか意図がわからない。幽鬼は構わずに空中を浮遊して穴から彼を遠ざけていく。

 眼下にラザロの姿が見えた。杖を掲げ、逆の手も空に翳してこちらを見ている。幽鬼は彼にむけて高度を下げた。


(アイツの魔法か!)

「……ハセキュール、デア、あらーにぇ・まぁてる」


 その瞬間、アルマの詠唱が完成した。足元から発生する魔力の力場で三つ編みが浮かび上がり、大きく暴れてからゆっくりと落ちる。

 直後、アラーニェの親蜘蛛がアルマの頭上に浮かび上がった。親蜘蛛は、アルマの腕の動きに追従して、穴に向けて飛んだ。情報を元に再現された幻影の大蜘蛛は、糸を吐き、大穴と重なるように存在していた見えない世界膜の破れを、脚を巧みに操って縫い付けていった。


 マントを握っていた力が消え、シャイードの身体は最後の二メートルほどを落下した。彼は硬い地面に四つん這いに着地する。


「いてて……」


 最後にバランスを崩し、尖った石で左膝を軽く打った。背後を振り返ると、幽鬼の姿がない。

 打ち身を擦りながら立ち上がる。小剣を鞘に収め、目眩に額を抑えた。

 俯いたまま首を捻るとラザロが、ぽかんと口を開いているのが見えた。足元には空の酒瓶が落ちている。中に入っていた砂状の何かで、自身を取り囲む円を描いていた。

 彼の視線の先にはアルマの姿。さらに奥には、糸を織りなす大蜘蛛がいた。


 ドワーフの幽鬼は次第に姿を薄れさせ、大蜘蛛が世界膜の破れを塞ぐと同時にちりぢりに消え失せた。

 役目を終えたアラーニェの親蜘蛛もまた、構成していた魔力がほどけて霧散する。

 アルマは大きく息を吐き出し、三角帽子を深くかぶり直して振り返った。直後、左手を素早く横になぎ払う。


「?」


 シャイードがその奇妙な動きに首を傾げている間に、近くに戻ってきた。


「かなり大きく破れていたが、何とか塞ぎきった。応急処置に過ぎぬが……」

「お、……おう。ご苦労、」

「貴様、アレはどこのどういう魔法だ。聞いたこともない文法だったではないか」


 シャイードの言葉尻にかぶせて、ラザロが食い気味に問いかけた。興奮している様子で、幾分早口でアルマを指さしている。アルマは首を振った。


「汝には教えぬ」

「! なぜだ。禁呪に属する魔法だからか!? それなら安心するがいい、吾輩、」

「我は構う。駄目だ。断る」


 シャイードは瞬いた。


(先ほどの意趣返しか)


 ラザロにも、アルマの意図は当然察せられ、ぐぬぬ……と紫色の唇を噛んでいる。それでも、代わりに杖を触ってよいとは言わないようだ。


「……。まあ、ともかく。この場はもうよかろう。なんにせよ、死臭は消えた」


 ラザロは首を振り、杖の石突きを地面にトン、とついた。


「とはいえ、吾輩の任務は、この事態の原因究明なのでな。何をやったのか、大方の予想はつくが、説明はして貰うぞ? 貴様らを吾輩に同行させた皇帝陛下も、それを望んでおろう。違うか?」


 シャイードは瞳を横にしてやや考え、ラザロに戻す。


「違わないだろうな。教えるのは構わない。どうせ帰り道も長いんだ。――ところで、アルマ」


 シャイードは途中で、アルマに向き直る。


「お前は何を捕まえたんだ?」

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