不調和
一行がスティグマータの居留地に着いたとき、時刻は正午を過ぎていた。
ラザロの屋敷を出たのち、メリザンヌの家に寄り、シャイードは探索装備一式を回収している。
道すがら、馬車の中で昼食を済ませることにしたが、ラザロはいらないと断り、水分だけを摂っていた。
「地下に潜ったら、次いつ食えるかわかんねーけど?」
腹が膨れて幾らか気分が上向いたシャイードは、忠告のつもりで口にした。しかしラザロは鼻を鳴らしただけだ。
シャイードは門番の兵に名を告げ、死霊の調査に来た旨を伝える。話は通っていたようで、すぐに入場を許された。
そのまま先頭に立ち、迷いのない足取りで高炉のある建物へと向かう。
アルマが隣に追いついてきて、高炉を物珍しそうに見上げた。
「あれが死体を焼く炉か」
「ああ。まだ稼働してないようだな」
「浄化教徒が仕事を引き継ぐ前に、事件が起こった訳か」
「昨日の今日だしな。……どうだ。何か感じるか?」
アルマは目を閉じ、深呼吸を一つした。それから目蓋を開いて足元を見つめる。
「地下に違和感がある。まだ遠い」
「……ビヨンドか?」
「或いは世界膜の破れだ」
シャイードは唇を引き締めた。
「また? 随分と立て続けに起こるじゃないか」
「良くない兆候だぞ、シャイード」
「わかってる。だが、一つずつ対処していくしかないだろ」
シャイードは肩越しに振り返った。ラザロは二人のすぐ後ろを歩いている。フードを深く被り、頭を下げているので表情は全くわからないが、会話に耳を澄ませているようにも見えた。
やがて一行は、建物の中に入っていく。内部にも兵士がいて、三人が入って来たことに気づくと怪訝な表情をしたが、口に出してはなにも問われなかった。
通路を奥へ向かうと、突き当たりに地下墓所へ続く階段がある。その前に立つ兵士には誰何されたが、やはり名を告げただけで通された。
「死霊の群れと聞いたが、地下はどんな様子なんだ?」
シャイードは護衛の兵士に尋ねた。
「はい。ヨルの神官たちが入ってからは、物音が聞こえなくなっています。付近の死霊たちは浄化されたものかと」
「はぐれた兵士は戻っていないか?」
「今のところ誰も。神官らと合流できていれば良いのですが」
心配そうに述べる兵士の顔を見つめながら、シャイードは頷く。
「地下の地図はあるか?」
「下水路を簡易的に写したものでしたら」
話していた兵士が隣の兵に指を向けると、相手は頷いて通路を逆走し、少しして羊皮紙を持ち帰った。
シャイードはそれを受け取る。一瞥して、返した。
それは本当に簡易的な殴り書きで、余り探索の役に立ちそうになかったのだ。
(セティアスが持っていた地図とは大違いだ。アレがまだ、少しは頭に残っている)
シャイードは目を閉じこめかみをもんだ。
(あのとき、アルマが一緒にいたなら、地図の情報を喰わせておけたんだがな。あっ、そういえば!)
「おい、アルマ。お前が図書館で喰った情報の中に、地下道の図面はあったか?」
「都市計画を綴った書類に、地下都市の上層部を下水道にする計画書があった。あれでよいか?」
「バッチリじゃねえ?」
シャイードはニヤリと笑い、アルマの背中をぽんぽんと叩いた。
「その情報を元に、違和感の強い方に案内しろ」
「了承した」
その後ろで、ラザロは僅かに顔を持ち上げた。
「情報を……喰う……?」
目深に被ったフードの下で、怪訝そうに片眉が跳ねている。言葉は呟きで、前に並び立つ二人には聞こえない。
「フォス、出番だぞ」
シャイードは真新しいマントを開き、フォスを喚び出す。クロスボウを組み立てながら、ラザロを横目で見た。
ラザロは大鎌めいた杖の先端に、明かりの魔法をかけたところだ。
「アンタ、どれくらい戦えるんだ?」
「吾輩のことは心配いらん。自分の身は自分で守れる。貴様は精霊使いか? そっちこそ、足を引っ張るようでは困るぞ」
「はっ。アンタの足なんかつかんでも、俺が助かるどころか、転倒させて終わりだろうがよ」
シャイードは小馬鹿にしたような表情を浮かべ、憎まれ口を叩いた。わざとらしい挑発だが、相手は全く乗ってこない。
(少なくとも冷静だな)
シャイードは内心、安堵する。
「とてもそうは見えぬやも知れぬが、シャイードは腕利きの引き上げ屋なのだ。地下探索は得意中の得意だぞ」
「ほう……?」
アルマの補足に、ラザロの声音に興味がこもった。二人分の視線が集まる。シャイードは腕利きと評されたことで、少し頬を赤らめた。
「お前、ほんと一言よけいだぞ、いつも!」
「そうか? では……。シャイードはいたって普通の引き上げ屋なのだ」
「そっちじゃねーよ!! 言い直すなよ!!」
すかさずシャイードの手の甲が、アルマの腕に命中した。
「………。貴様らは次から、まとめて道化師を名乗った方がよかろうな」
「我は道化師では」「ねえ!!」
「息もぴったりだ」
フヒヒヒッと、唐突に不気味な声でラザロが笑った。ツボったのか、俯いたまま断続的に肩を痙攣させている。笑い続けているようだ。
シャイードはあっけにとられた。陰気で不機嫌な雰囲気の相手が、まさかこんなくだらないことで笑うとは思っていなかったのだ。
(へ……変な奴……!!)
シャイードはちょっと距離を取った。
準備を整えた一行は、フォスを従えたシャイードを先頭に階段を下りる。アルマが続き、しんがりはラザロが務めた。
階段を下りた途端、シャイードは微かな目眩を感じた。空間に違和感がある。
(アルマの言う通り、これは破れ目が、)
「うお? なんだこりゃ……!!」
地下墓所にたどり着くなり、シャイードは思考を中断して声を上げた。数日前に訪れた時とは様子が一変している。
骨で装飾された通路の床に、砕けた骨片が散らばっていた。変色した壁の骨は、幾つかが剥がれて空白になっている。進むほどに、散らばる骨の数は増えた。まるで誰かが、棚の上に置かれていた骨壺をぶちまけたみたいだ。
シャイードはその光景にぞっとする。
空気の温度も、以前に来た時より低く感じられた。前は雨の夜、今は曇りの昼間なのにもかかわらず、だ。
アルマは初めて足を踏み入れたこの場所に興味津々で、壁の骸骨を触ったり引っ張ったりしている。囓ろうとしたのは止めた。ラザロが見ていたからだ。
そのラザロの方も、床に落ちていた円筒状の骨片を拾い上げ、杖の明かりに翳している。手の中で転がしたのち、断面を観察した。
「温存しているようだな」
ぼそりとラザロが口にする。
「温存?」
聞きとがめたシャイードが繰り返すと、ラザロは驚いたように頭をのけぞらせた。聞かれていると思っていなかったようだ。
ラザロは持っていた骨片を腰のポーチにしまった。
「ヨル神官たち。ここの骨は武器で砕かれただけだ」
「?」
首を傾げたシャイードに、アルマが並ぶ。
「つまり、神性魔法を使ってはいないということであろう」
「魔術師よ。どうやら貴様の方は、少しは頭が回るようだ」
「なっ……!」
シャイードはプライドを傷つけられ、握り拳を作った。だが、すぐにわからなかったのは本当のことなので、何もいい返せない。悔しいが。
「シャイードは神性魔法にうとい。ただそれだけだ。頭の回転は速いほうだぞ」
意外なことにアルマがいい返した。シャイードは驚き、顔を跳ね上げて彼を見る。無表情だし声は平坦だが、怒っているようにも見える。……ような。
「ほう? 貴様はその小僧を、随分と評価しているのだな、魔術師」
「我は魔術師ではなくアルマだ。そう呼ぶがよい」
「魔術師ではない? では、貴様は何者なのだ、アルマ」
「突然雑談が好きになったのか? ラザロ。いいから先にゆくぞ」
アルマがよけいなことを答える前に、シャイードは促した。唇をへの字に結びつつも、頬が少し赤い。
ラザロは小さく首をすくめただけで、再びしんがりについた。